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須衛都久神社

suetsugu






  祭  神:伊邪那美尊 須佐之男尊
       配祀:速玉男命 事解男命 菊理媛命
  説  明:ご由緒を転載します。
      「創立は明らかではありませんが、出雲風土記に記載されている『須衛都久社』が今日に
       至ったものであります。
       はじめは松江城山亀田山にありましたが、慶長年間(約380年前)、領主堀尾吉晴公が
       城を築くため、神主門脇肥前守久定(現永岡宮司家の七代目)に命じ、元権町に社殿を
       遷しました。延宝二年六月(約310年前)には松江地方に大洪水があり、社殿が破損し
       ましたので、延宝五年に現在地に社殿を遷しました。
       当社は、末次郷の総産土神として藩主松平氏に、明治以降は県庁の産土神として崇敬さ
       れてまいりました。また、毛利、堀尾、京極、松平と累代の領主城主から社領祭田が寄
       附されていましたが、寄進された宝物、証文、棟札等は、毛利尼子の時代(約420年前)
       の数度の戦乱で焼失し、現存していません。明治四年に郷社、明治六年には県社に定め
       られました」
  住  所:島根県松江市西茶町106
  電話番号:
  ひとこと:ホテルに向かって歩いていたら、「参詣道」とあったのでお参りした神社です。
       出雲国風土記に記載があり、延喜式神名帳にはない。
       つまり、式外社ですね。
       なぜ洩れちゃったのかな?
       風土記を確認すると「神祇官のない神社」に挙げられていますから、規模の問題かもし
       れません。
       
       ご祭神の顔ぶれは、日本書紀の一書(第十)黄泉の国の一節に登場する面々です。
       伊弉冉を追って黄泉の国へやってきた伊弉諾は、「私を見ないでください」と頼む伊弉
       冉を無視し、無遠慮に彼女を眺め続けていました。
       怒った伊弉冉が「じゃあ私もあなたの本当の姿を見ます」というと、伊弉諾は「恥ずか
       い」と感じ、逃げ去ろうとするんです。
       サイテーやな。
       その際伊弉諾は別れを宣言するために「もう縁を切りましょう」と言っています。
       さらに「お前には負けない」と。確かに恥知らずさでは負けてない。
       
       そして唾を吐きかけると、速玉之男神が誕生します。
       それを履き払ったときに生まれたのが泉津事解之男神。
       その後、泉平坂で伊弉諾と伊弉冉が言い争いをするんですが、伊弉諾は「はじめあなた
       を悲しんで慕ったのは、私が弱虫だったのだ」なんぞと言ってます。知らんがな。慕っ
       てもいいけど、人のいやがることをすんなって話です。
       そのとき泉守道者がこう申し上げています。「伊弉冉のお言葉を伝えます。『私はあな
       たともう国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私はこの国
       にとどまって、ご一緒には参りません』だそうです」と。つまり伊弉冉は直接話せなか
       ったのでしょうね。それは伊弉諾が既に「生者の側」に来ていたからでしょうか。
       そしてこのときに登場するのが菊理姫。彼女が何を申し上げたのかは、なぜだか書かれ
       ていません。ただ、伊弉諾はそれを聞いて褒めたとだけ。
       
       こうやって読み返してみると、泉守道者は伊弉冉の代弁者、菊理姫は伊弉諾の代弁者だ
       ったのかも。
       あるいは翻訳者?
       
       素戔嗚は「母の国へ行きたい」と泣いて、伊弉諾に疎まれています。
       
       こうしてみると、この神社の御祭神は「黄泉側」の神々ってことになりますね。
       
       さて往古、この神社はどのような性質の神社だったんでしょうね?

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