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東葛城神社

higashikatsuragi




  祭  神:菅原道真公 他数十座
  説  明:境内看板には、
      「当神社は、もと菅原神社と称し、菅原道真公を祀れり、創建・由緒
       は不詳ですが、
       ご本殿は大規模で『三間社流造 正面軒唐破風付 桧皮葺』で、江
       戸時代前期、慶安(西暦1648年〜1651年)頃の遺構と推定
       されるもので、貴重なものであります。
       明治五年村社に列し、大正二年に旧東葛城村内に在りし数十社を合
       祀して東葛城神社となりました。
       大正三年十一月には、増改築の落成式が行われて、大正五年三月神
       饌幣帛料供進社に指定せられ、その後昭和二十年の終戦を経て今日
       に至りました。」
       と記載されています。
  住  所:大阪府岸和田市河合町字東出1893
  電話番号:
  ひとこと:何が凄いといって、この東葛城の地域だけで、大正までは、数十社
       ものお社があったということでしょう。

       さて、菅原道真公は、「雷公」といわれたりして、「怨霊」神とし
       て有名ですね。

       具体的にどんな被害があったか、ご存知ですか?
      「雷がよく鳴ったもんだから、後ろ暗いことがある人間がびびったん
       じゃないの?」
       そう、思ってませんか??

       あなたは、甘い!!
       いえ、私も、実はそれくらいのことだと思っていたのですが、結構
       シビアに、祟りは行われているのです。

       延喜八年 藤原菅根が雷火に打たれて死亡
       延喜十三年 源光、狩猟の最中に底無し沼に馬ごと突っ込み死亡

       道真公と敵対していた二人が、変死しています。

       道真公を左遷に追いやったといわれる、藤原時平は、延喜九年に、
       道真の怨霊に怯えながら亡くなりますが、この時、時平の枕元に、
       道真公の霊が蛇となって現れたといいます。

       しかし、何よりもショッキングなのは、日本紀略に記された、次の
       事件でしょう。

       延長八年六月二十六日
      「諸卿、殿上に侍し、各請雨のことを議す。午三刻、愛宕山上より黒
       雲起つ。急に陰沢あり。俄に雷声大鳴し、清涼殿の坤の第一柱の上
       に堕つ。霹靂神火あり。殿上に侍るの者、大納言藤原清貫衣焼け胸
       裂け夭亡す。年64。また右中弁平希世顔焼けて臥す。また紫宸殿
       に登る者、美努忠包、髪焼け死亡す。紀蔭連、腹燔けて悶乱す。
       安曇宗仁、膝焼けて臥す。」

       想像してみてください。
       いかがですか?

       恨まれる心当たりのある人間がびくつく気持ちはわかるでしょう。
       特に、その落雷の火柱を見た人間なら、
      「次は俺かい?」と思って、びくびくするのは分ります。

       藤原時平の子供も孫も、「自分の生命は長くない」と諦めていた節
       がある、と、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」の中に書かれているの
       ですが、時平の子孫である、というだけで、短命を覚悟するなんて、
       なんだか、却って可哀想ですね。

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