benkyou

柿本神社

kakinomoto




  祭  神:柿本人麻呂
  説  明:柿本人麻呂は、持統・文武両天皇に仕えた宮廷歌人。
       序詞・枕詞などを駆使、格調高い作風で万葉集中随一の叙情
       歌人。
       後世、歌聖と称される。

       伝記は明らかでなく、和銅の初め頃、五〇歳ぐらいで、任地
       石見国で死んだといわれています。

       この神社は、人麻呂公が亡くなられた数年後に創建されたと
       伝えられています。
  住  所:奈良県北葛城郡新庄町柿本
  電話番号:
  ひとこと:柿本神社の周辺地域は、柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜
       って居住したという言い伝えがあるそうです。

       万葉集は、いろんな身分の人の歌が編纂されています。
       天皇の歌はもちろん、いわゆる乞食者(ほかいびと)の歌ま
       で。もちろん、男女の区別もありません。

      (乞食者というと、誤解がありそうなので、説明しておくと、
       住所が不定で、家々をまわって歩き、寿歌(ホギウタ)を歌
       って食を乞うた芸人であると言われています。)

       万葉集の編纂者は、大伴家持ですが、原型は、柿本人麻呂が
       造ったのではないか、という説もあります。

       彼の歌は、いろんな場所で句碑で見ることができますね。
       景色を愛でる歌、恋する気持ちを詠んだ歌、心情を謳った歌。
       中でも誰でもが知っているのは、次の一編でしょう。
      「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 
       ひとりかも寝ん」

       山鳥の尾のように、長い夜を、一人で寝る寂しさよ・・・。
       くらいの歌でしょうか?
       百人一首では、天智天皇、持統天皇の歌に続いて、3番目に
       収録されています。  
       この歌がよい歌なのか、どうか、素人の私にはわかりません。

       ただ、人麻呂が、天皇に重用されていた、ということは、わ
       かります。
       なぜなら、天皇・皇子の挽歌の数において、人麻呂は抜きん
       でているからなんです。

       例えば、草壁皇子が身罷った時の歌は、次のようなものです。

      「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 
       隠らく惜しも」
       −天に日は照り輝いているけれど、夜、天を渡る月が隠れて
       しまっていることのなんと悲しいことか−

       いかがです?
       素人から見ても、天皇を「太陽」と置いて、「あなた(持統
       天皇)が元気でいらっしゃるのはとても嬉しいけれど」と、
       持ち上げつつも、月(草壁皇子)の死を美しく悲しく、歌い
       あげてますね。

       我が子を失った悲しみで打ちひしがれておられたであろう、
       持統天皇も、この歌で、慰められたんでしょうね。

       人麻呂は、西洋の王についている「フール」のようなもので
       あったのではないでしょうか?

       身分は低いけれども、常に天皇(王)の側にいて、気持ちを
       慰め、引き立たせるという役割ではなかったでしょうか?

       でも、しかし。
       このような役割を、人は望むでしょうか・・・?

       戦争にでなくてもいい、衣食住は保証されている・・・とい
       う長所はあるけれども、
       自分の意思ではなく、天皇(王)の意思に迎合しなければな
       らず、身分は低い・・・。

       ただ、「フール」は、トランプで言えば、ジョーカーです。
       キングに勝てるのはジョーカーだけなんです。

       それは、一般には、「王の側に近寄れるのは、ジョーカーだ
       け・・・つまり、暗殺できるのは、ジョーカーだけだから」
       と説明されていますが、それだけではないでしょう。

       王(天皇)の気持ちを掴んでいるのが、「ジョーカー(人麻
       呂)」だから、なのかも知れません。

       人麻呂公がどのような人物であったのかはわかりません。
       が、自分の意思がなければ、自尊心がなければ、このような
       美しい言葉を使いこなすことはできないんじゃないかな?
       と思わせる歌もあります。

      「み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど  
       直(ただ)に逢はぬかも」 
       −熊野の浦の浜木綿のように、幾重にも心に恋うているのに、
       直に逢う事のかなわぬことよ−

       見る人によっては、陳腐に感じるかも知れませんが、美しい
       と、私は感じます。

       次の歌も、恋の歌ですが、人麻呂をハンサムに思い描くか、
       そうでないかによって、かなり感想が違うかも・・・。

       見てそのままの歌ですので、訳はつけません。
       それぞれの心で楽しんでください。

      「恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 我妹子が 吾家の門を
       過ぎて行くらむ」

home 神社のトップに戻ります back