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大原野神社

oharano




  祭  神:建御賀豆智命 伊波比主命 天之子八根命 比淘蜷_
  説  明:境内看板を転記します。
      「大原野神社鎮座の一帯は山城地方でも古くから開けたところで、一萬年も以前の
       有柄尖頭器が山の手から発見されている。人皇五十代桓武天皇が、都を奈良から、
       京都向日市を中心とした長岡京(784〜794)に遷された時、鷹狩を愛した
       天皇は、しばしば大原野に足を運んで、鷹を放たれた。
       万葉集の編者大伴家持が、
        「大原やせがいの水を手にむすび
          鳥は鳴くとも遊びてゆかん」
       と詠んだのも、狩に供奉した時のものである。
       またこの風景を賞で、藤原氏の人達は、氏神・春日大社のご分霊を遷し祀ること
       にした。これが当社の起りである。
       御祭神は、
       第一殿 建御賀豆智命
       第二殿 伊波比主命(經津主命)
       第三殿 天之子八根命
       第四殿 比淘蜷_
       がお祀りされtれいる。
       文徳天皇は仁壽元年(851)祖父藤原冬嗣が生前果たせなかった壮麗な社殿を
       創建され、春秋二季勅使をつかわし勅祭を行われた。
       應仁乱後は社運おとろえ、祭儀さえ中絶したが、後水尾天皇(1648)が再建
       された。今の本殿四棟春日造はこの時のものである。
       慶應元年十一月加茂、石清水の勅祭に次いで、官祭が復興され、近くは大正十一
       年十一月十四日、時の皇后(貞明皇后)が、当社に行啓遊ばされた。
       御例祭は桜花満開の四月八日に執行。
       特殊神事として御湯身祭と御田刈祭の二私大祭がある。」
  住  所:京都府京都市西京区大原野南春日町1152
  電話番号:
  ひとこと:紅葉の美しさで有名な神社です。

       私の写真では、その美しさは伝わりきらないかもしれませんが(^^ゞ

       さて、御祭神の顔ぶれ
       建御賀豆智命・伊波比主命(經津主命)・天之子八根命・比淘蜷_。
       始めて見る、お名前かも・・・。
       そう思うかもしれません。

       が、漢字表記をちと変えてみましょう。

       武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比賣大神。

       なぁんだ、あちこちでお見かけする神々ではありませんか。

       いわゆる、「春日四神」ですね。

       でも・・・。ちょっとこだわってみましょう(笑)

       なぜ、御祭神のお名前を、「一般にはあまり使われてない」漢字を使用して表記
       しているのか?
       単なる偶然かもしれませんが、四神が、四神とも、珍しい漢字表記になっている
       のが、なんとはなしにひっかかるのです。

       まず、武甕槌(建御賀豆智)命ですが、この神は、春日四神の一柱であると共に、
      「鹿島神宮」の御祭神であることで有名でしょう。

       平成祭礼データによれば、全国で、「建御賀豆智」の表記で、このご祭神をお祀
       りしているのは、岐阜県が多いような??

       としたら、岐阜県あたりで、「建御賀豆智」という表記が、流行った(?)のか
       もしれません。
       大原野神社のこの表記は、その「流行」を受けたのか、それとも、御祭神が御遷
       座の時、何かの理由で、その「流行」地を経由したとか。
       
       経津主(伊波比主)命は、同じく香取神宮の御祭神として有名です。

       次に、私が一番「珍しい!」と思ったのは、この神様。
       天之子八根命。
       この表記は初めて見ました。
       勿論、単に知らなかっただけですけど。

       この表記も、やはり岐阜県の神社でよく使用されてるような気が・・・。

       そんなわけで、この四柱神の表記、どうも、中部あたりを経由したんじゃ?
       というような気が、ふつふつ・・・ふつ、とするんですが、それにどんな意味が
       あるのだと聞かれると、「さぁ〜〜」ってな曖昧な答えをするしかありません。

       が、それじゃあ、すっきりしないですよね。

       そこで、何かひとつ、妄想をでっちあげてみましょう。

       岐阜県はその昔、「美濃」と呼ばれていました。

       ・・・余談ですが、昨日、NHKの「国盗り物語 総集編」をたまたま見たので
       す。
       ドラマの中だけの話なのか、史実なのかは、わかりませんが、
       前半の主役・斉藤道三は、「美濃を制するものは天下を制する」と言ったとか。
       それは、主要な道が通っていることや、京に近いことが理由なようです。

       美濃が重要な地であると考えたのは道三だけではありません。
       現在でいう「岐阜県不破郡」には、天武天皇により、「破られることのない関」
       つまり、「不破の関」があったんだそうです。

      「不破の関」なんて聞いたことがない?
       そうですか?
       この「関」、廃止されてしまいましたが、後世までこの地は要衝の地として認識
       されています。

       そう、この「関」があった地は、「関が原」と呼ばれました。

       関が原といえば、徳川家康の顔が浮かぶかもしれませんが、壬申の乱でも、この
       地をいち早く制した天武天皇側が勝利しました。
       重要な地なのですね。

       しかし、
       大原野神社創建当時・・・つまり、桓武天皇の時代ですが、天皇は、この「関」
       をいきなり廃止したと言われます。

       それはなぜでしょうか?

       江戸時代、「関」は、「入り鉄砲に出女」を阻止した・・・なんていわれますよ
       ね。
       不正に「出る」のも見張り、不正に「入る」ことも見張っていたわけです。

       その関を廃止するというのは、なぜ?

      「出入り」を、見張る必要がなくなったから?

       桓武天皇は、崇道天皇の祟りをひどく恐れたと言われています。
       恐れたからこそ、住み慣れた平城京を捨て、風水で言う「四神」の揃った平安京
       を創建し、そこに逃げ込んだのだと。

       そんな時代、「出入りを自由にする」なんてことがありえるでしょうか?

       何か、すごく不自然な気がします。

       もし、
      「良いものだけが入ってきて」
      「悪いものだけが出て行く」
       という扉があれば、それは別ですが・・・。

      「不破の関」は、そんな扉だったのでしょうか?

       大原野神社の御祭神の表記、「建御賀豆智命・伊波比主命(經津主命)・天之子八
       根命・比淘蜷_」の神々が、本当に美濃を経由してやってきたのなら、これらの神
       々こそが、桓武天皇の期待した、不破の関を破って入ってきて欲しい、良き神々だ
       ったのかもしれません。

       ・・・妄想ですよ、妄想。

       しかし、桓武天皇の時代、「漢字」は既に力を持ち始めていたでしょう。

       ほら、「陰陽師」が活躍するのも平安時代ですよね?

       ですから、桓武天皇が、御祭神の漢字表記にこだわったと考えるのは、それほど不
       自然なことじゃないような気がします。

       あ〜、勿論、長い神社の歴史の中で御祭神の表記が変わることはありえるんで(^^ゞ
       この御祭神の表記に、本当にそんな意味があったかどうかは、かな〜り眉唾です。
       でも、想像すると、いろんな妄想が浮かんでくることも、確かなんです(~_~)

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