benkyou

芦屋神社

ashiya




  祭  神:天穂日命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「祭神は、天穂日命(アメノホヒノミコト)。もと芦屋天神社と称していたが、
       昭和21年に芦屋神社と改称。
       毎年4月第1日曜日には花祭りが、10月16日には秋祭りが行われる。境
       内西側には古墳時代(7世紀)後期の横穴式石室墳が残されており、社殿の
       裏庭には立派な宝塔や猿丸安時の奉献梅樹の歌碑などがある。また境内には
       珍木おがたまの木等多くの樹木があり、実に素晴らしい景観をかなで四季を
       通じ訪れる人も多い。かつては境内には市花『コバノミツバツツジ』が多く
       あり、大きなものは3m、樹齢200〜300年を超えるものがあった。
       ヤマモモも樹齢200〜300年を超えた樹木が今も植わっています。
       社殿及び諸建物は昭和5年に新改築されたが、平成7年の阪神・淡路大震災
       で大被害を被り、現在の社務所は、平成14年12月に落成竣工した。」
  住  所:兵庫県芦屋市東芦屋町20−3
  電話番号:0797−34−1833
  ひとこと:天神社・天満宮といえば、菅原道真公が祀られていることが多いですね。

       しかし、そればかりではありません。
       例えば、少彦名命を見かけることは、大層珍しいことではありませんし。
       そして、この神社のように、天穂日命が祀られていることも、それほど珍し
       いことではないように思います。

       なぜ、天神社に少彦名命が祀られていることが多いかについては、私はいろ
       いろ考えることがあります。

       いろいろトンデモになるし、今回は天穂日命の神社なので、無難なところを
       あげると・・・。

       まず、少彦名命は高(神)産霊神の子とされていますから、「天神」には違
       いないということ。
       高(神)産霊神の手から零れ落ちた神・・・つまり、天から降ってきた神で
       あるということ。
       などです。

       では、天穂日命が天神社に祀られているのは、なぜなのでしょうか。
       理由は二つほど考えられます。

       天穂日命は、ある種、不思議な神様です。
       彼は、天照大神と素戔鳴尊が誓約により生み出した神々。
       一般的に・・・という言い方は変ですが・・・、彼は天照大神の御子である
       とされていますが、日本書紀一書(第一)では、素戔鳴尊の御子であるとさ
       れています。

       そして、天照大神が葦原中国(出雲のことであると言われています)を手に
       入れようとしたとき、最初に遣わされたのが、この天穂日命でした。

       しかし、彼は葦原中国の王である大己貴命におもねって、三年たっても復命
       しませんでした。
       そこで、第二弾の使者として、天稚彦命が遣わされましたが、彼も大己貴命
       の娘である下照姫を妻にして復命しませんでした・・・そして、彼は殺され
       てしまいます。

       つまり、天穂日命は、裏切ったにも関わらず、命は助けられました。
       そしてどうなったか。

       日本書紀一書(第二)によれば、経津主神と武甕槌神により、葦原中国が平
       定された後は、大己貴神の祭祀を掌ったとされています。

       そして、彼の子孫には、野見宿禰公が出ます。
       野見宿禰公は土師氏の祖。
       つまり、天穂日命の子孫には、菅原道真公がいるということになります。

       ですから、「天神社」に、天穂日命が祀られているのは、菅原道真公の祖神
       としてである・・・という考え方もできるわけです。

       もう一つは、天穂日命は、高天原から葦原中国に使わされた神でした。
       つまり、葦原中国側の視点で見れば、「天神」という印象が強いでしょう。

       ・・・ということで、「天神社」に天穂日命が祀られている、という考え方
       もできるわけです。

       天穂日命は出雲土師連の祖であると日本書紀に記されています。

       それでは、天穂日命が天下る以前の出雲の民はどこへ???

       天穂日命は、大己貴命の祭祀を掌りました。
       つまり、大己貴命は死んだということでしょう。

       天穂日命が天下る前の葦原中国について、こんな表現がされています。
      「蛍火のように輝く神や、蠅のように騒がしい良くいない神がいる。また草木
       もみなよくものを言う」
       想像すると、ちょっと怖い(^^ゞ
       とりあえずは、天の神々から見て「不気味」と感じる神々に溢れていたとい
       うことです。

       これらの「悪しき神」は平定されたわけですが、皆殺しにされてしまい、誰
       もいなくなってしまったんでしょうか??

       経津主命と武甕槌命の葦原中国平定の時、出雲の神すべてが殺されたかどう
       かはわかりません。
       しかし・・・、丁重には扱われなかったということではないでしょうか。

       それを踏まえると、こういう考え方が出来ます。
       天穂日命は、自分を受け入れてくれた神々の死を弔った神である、と。

       そして、その地の連の始祖となったのである。
       言ってみれば、「のっとり」になるわけですが、そのことは天穂日命にとっ
       ては不本意なことだったかもしれませんし、とりあえず、彼は、生前彼と親
       しかった「被征服者」を神として祀った・・・考えようによっては人情味の
       ある神だったといえるでしょう。

       そして、彼が死んだ後、彼が祀った神々と区別する意味で、
      「天神社」に祀られたと考えることは、さして不自然ではありませんね。

       記紀神話中で、出雲の神々は、何度か祟っています。
       崇神天皇の時代、垂仁天皇の時代・・・。

       しかし、自分達を滅ぼした、高天原が現役の時代、出雲の神は祟りをなしま
       せんでした。

       これは、出雲の神々が、天穂日命の祭祀に満足していたからじゃないかと思
       います。

       つまりですね。
       天穂日命のバックには、葦原中国の蛍みたいに光る神も、蠅のような神もつ
       いてるわけですね(笑)

       そう考えると、天穂日命を祀った、天神社が、すごくチャーミングに思えて
       きませんか?

home 神社のトップに戻ります back