hitokoto

一宮神社

ikkyu





  祭  神:大己貴神(別名・大国主神)
  説  明:境内看板によりますと、
      「慶雲四年(西暦707年)麿子親王の創建にかゝる古社。
       丹波・丹後の国境の守護神として崇敬され、天正年間、福智山城
       なるや、城中・城下の鎮守神として崇敬を集め、城主によって社
       殿の修復がなされ、宝物、神饌田等の奉献もあり、現在は福知山
       鎮守・守護神としてのみならず、全国各地方からの崇敬参拝者多
       し。
       現在の本殿は、正徳四年四月に炎上後、時の城主朽木民部少輔植
       元によって、享保三年八月に造営されたもので、其の後寛政三年
       七月に修理がなされ、後は屋根の吹替え等の補修が加えられた程
       度で現在に至っている。ただし、幣殿、拝殿は、昭和九年に建て
       替えられている。
       境内には、十二の由緒ある境内社がある。
       御神徳は、福徳、円満、和平、開運、縁結び、商売繁栄、五穀豊
       穣、国土開拓、医薬、禁厭、病疫祓除、温泉、わけても顕幽両界
       を主宰し給う神として、神威極めてあらたかなる神である。」
       とあります。
  住  所:京都府福知山市堀2249
  電話番号:0773−22−2058
  ひとこと:麿子親王とは、用命天皇の皇子です。
       つまり、聖徳太子の異母弟にあたるわけなんですが、この皇子も
       なかなかの豪傑です。

       丹後の伝説では、大江山を拠点に暴れまわっていた、鰾古・軽足・
       土車(熊)という3匹の鬼を退治した英雄が、この麿子皇子です。

       鰾古・軽足は倒したのだけれど、土車大岩に逃げ込んだので、そ
       こに封じ込めた、と、言われています。

       その大岩は、京都府竹野郡丹後町竹野に、「立岩」として今も残
       っています。
       今でも風の強い、波の高い夜などは、鬼の号泣する声が聞こえる
       んだそうですから、この鬼もなかなかしぶといですね。

       用命天皇の皇后・間人媛も丹後には縁の深い女性ではありますが、
       ここは、麿子皇子に視点を絞ってみましょう。

       麿子皇子の母親は、広子姫。この父親は、葛城直磐村だと言われ
       ています。
       葛城氏ですね。

       また、同母妹の、酢香手姫皇女は、斎王を務めています。
       兄妹揃って、神秘に色づけられているわけなんです。

       また、この麿子皇子は、「当麻公」と呼ばれ、当麻氏の祖といわ
       れます。
       この当麻公という名前は、母の出身地から取られた名前ではない
       かといわれているのですが・・・。

       そうすると思い出すのは、もっと昔、当麻にいた、力持ちです。
       当麻蹶速は、「我こそ天下一の大力」と自慢していたため、人に
       憎まれ、終には、出雲の力持ち、野見宿禰に退治されてしまうの
       ですが、それでも並々ならぬ力持ちであったことは間違いないで
       しょう。

       鬼退治をした麿子皇子は、この当麻蹶速の血をひいていたのかも
       知れません。

       また、興味をひくのは、「清園寺古縁起」によると、麿子親王は、
       十七才のとき二丹の大王の嗣子となったとされています。

       二丹の大王って?
       どうも、二丹は、「にゅう」と読むらしいのです。
      「丹」に関する部族、と養子縁組したということでしょうか?

       鬼と産鉄民族というのは、縁が深いと言われています。
       つまり、武器として、協力な「鉄」を持った民族を、「鬼」とし
       て恐れたのだ、とか。
       また、反対に、危険な産鉄作業を、奴卑にさせ、その者たちを、
      「鬼」と呼んで差別したのだ、とか。

       としたら、鬼=鉄と、麿子=丹を対立させる意味は、一体なんな
       のでしょうね?

home 神社のトップに戻ります back