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籠神社

kono





  祭  神:彦火明命 豊受大神 天照大神 海神 天水分神
  説  明:所謂、元伊勢の一つです。
       栞には、
      「神代の昔と謂われる遠い上代から、今の奥宮の地真名井原に匏(よ
       さ)宮と申して、豊受大神が御鎮座になっていたが、人皇十代・崇
       神天皇の御代に、天照皇大神が大和国笠縫邑から御遷座になり、豊
       受大神と共にお祭り申し上げた。
       古称は、匏宮と申したが、後にこれを与佐宮又は吉佐宮・与謝宮と
       も申した。
       ヨサは、アメノヨサヅラの意味であり、ヨサヅラとは、ひさご(匏
       は『ひさご』と読む)のことである。
       天照皇大神は与佐宮に四年間御鎮座の後、人皇十一代垂仁天皇の御
       代に伊勢国伊須須川上へ御遷宮になり、豊受大神は、人皇二十一代
       雄略天皇の御代に至るまで当地に御鎮座あらせられ、同天皇の御代
       二十二年に伊勢国度会郡の山田原に遷らせられた。
       吉佐宮の神主家は元初から海部直であり、同氏は大化の改新以前は
       丹波国造家であったが、大化改新以後は祝部(神主家)として歴代
       奉仕した。
       大化改新の後、天武天皇御宇白鳳十一年に至り、海部直伍佰道祝は、
       与謝宮を籠宮と改め、彦火火出見尊を主神として祭っていたが、元
       正天皇の御代養老三年に、御本宮を奥宮真名井神社の地から、現今
       の御本宮の地へ遷し奉り、伍佰道の子愛志祝が新たに同氏の祖火明
       命を主祭神とし、天照豊受両大神及び海神を相殿にお祭りし、又、
       天水分神も併せ祀られたのである。爾来、千二百数十年、伊勢根本
       の宮と云い、又別称を吉佐宮とも申し、元伊勢の社として朝野の崇
       敬が篤い。
       古の真名井原は、奥宮から御本宮の地を経て、更に西方に延長して
       いたが、中古以来これを府中と名づけられた」
       とあり、更に、主祭神の説明は、
      「彦火明命 亦名火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、
       又極秘伝によれば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、そ
       の御祖の大神(下鴨)も併せ祭られている。
       彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜り、大和国及
       丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国
       造の祖神であらせられる。
  住  所:京都府宮津市字大垣430
  電話番号:0772−27−1582
  ひとこと:つまり、この神社は、元伊勢でありながら、主祭神は、「天照御魂
       神・饒速日命」なのです。
       天照大神ではなく、天照御魂神なのですね。

       籠神社の名前は、火明命=山幸彦が、籠で作った船に乗って、海神
       の宮を訪れたことから名づけられたのだそうです。
       そして、その籠船を作ることを教えた、塩土爺神は、「豊受大神」
       という名前で、外宮・真名井神社に祀られています。

       だから、つまり何がどうなのかというと・・・。
       一言では言いづらいのですが、
      「天照大神」が祀られているはずのところに、「天照国照彦・・・」
       という、名前は似ているけど別の重要な神様が祀られている、ちょ
       っと、不思議な・・・いえ、重要な鍵を握っている神社だと、思わ
       れます。

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