hitokoto

野江水神社

noemizu





  祭  神:水波女大神           
  説  明:境内看板によりますと、
      「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被る事がありました。
       そこで水難から逃れ様として水の神様がおまつりされました。
       天文二年(西暦1533年)、三好宗三(政長)が、この附近に榎
       並築城の際、水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に社
       を建てて篤く祭られたのが現在の社殿の位置と言われています。
       天正十一年(西暦1583年)、豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火
       除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し、幣
       帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。
       元禄十六年(西暦1702年)の大洪水では、一面水海と化し、住
       民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、
       雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。
       享和二年(西暦1803年)の大洪水にも当神社は無事であったこ
       とを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。
       現今の社殿は明治十六年(西暦1883年)の造営後、度々修築を
       加え、今日に至ります。
       昭和五十三年NHK教育テレビ『生活の中の日本史』で全国に放映
       され、話題になりました。
       天にあっては太陽の光、地にあっては雨、水の恵みがあればこそ生
       命があり生活があるのです。この万物生成の根本を主宰されている
       のが当神社のご祭神です。」
       とあります。
  住  所:大阪市城東区野江4丁目1−39
  電話番号:06−6931−6979
  ひとこと:祭神は、水波女大神。
       多分ご存知の方は多いでしょうが、この神様は、伊邪那美命の尿か
       ら化生した神様で、罔象女神とも書きます。
       そんなわけで、どちらかというと、治水よりも、祈雨の神様として
       活躍してらっしゃる神様であります。

       治水の神様と言うと、どちらかというと牛頭天皇・素盞鳴尊ではな
       いかなぁ?なんて思うのですが、どうでしょう?

       三好宗三という人物について調べてみましょう。

       宗三というのは、出家した後の名前で、その前は、三好政長と名乗
       っていました。
       細川晴元に仕えた、戦国時代の英雄の一人のようです。
       あんまり聞かない名前ですが、茶道家としても有名で、なかなか、
       趣味の良い人物だったみたいです。

       織田信長が使っていた、宗三左文字っちゅう刀があります。
       これは、結構有名なようで、国の重要文化財にも指定されてます。
       この「宗三」とは、三好宗三のことなんだそうです。
       もともと、三好宗三が刀匠正宗の弟子に造らせたもので、これを、
       武田信虎に引き出物として贈り、信虎から今川義元に娘の嫁入道具
       として贈られ、最後に、織田信長が桶狭間の戦利品として所持した
       ものなのだそうです。

       んでもって、茶道具でも、有名な謀略家・松永久秀が信長に贈った
       という、茶入れ(濃茶を入れる容器)「九十九髪」も、元は、宗三
       の持ち物だったといわれてます。

       偶然かも知れませんが、三好宗三は自分の持ち物を、信長に二つも
       奪われてるんですね。

       この事実と、自分の城の鎮守の神様を、信長が崇敬した牛頭天皇に
      (牛頭天皇の方が、願い事に関する神徳は篤いにも関わらず)しなか
       ったことと、何かかかわりがあるのかどうか?
       また、戦国についていつも質問ばかりしている、こたつ城主さんに、
       尋ねてみたんですが、「関わりがあったと言うのは時代的にも、距
       離的にも考えづらい」ということでした。

       宗三は、天文十七年(西暦1548年)、三好長慶に討たれて亡く
       なるのですが、これは、室町幕府の管領職にあった細川晴元を打倒
       するためで、宗三は、その家臣であるために討たれたんです。
       言ってみれば、「将を討たんとすれば、まず馬を射よ」の「馬」だ
       ったわけですね。
       織田信長が生まれたのは、西暦1534年。元服したのが、154
       7年ですから、直接の関わりは・・・、やっぱ難しすぎですね。       

       まぁ、日本の神様は、例えば「風の神様」は、風の恵みも与えるし、
       暴風から民を護ってもくださる。
       両面での恵みを与えてくださるので、水波女大神を、治水の神様と
       して祀るのも、特別おかしなことだとは思わないんですけれど。

       ただ素直に納得しちゃうと面白くないもんですから(^^ゞ

       二人は前世で敵同士だったのかも?
       と怪しい説でも出しておきます。失礼しましたm(__)m

               *************

                   後記

       河内判官殿より情報をいただきました。
       そのまま転記します。
      「そもそもこの三好宗三は三好長慶から見れば叔父さんにあたります。し
       かし、乱世の常と云ふことで、一門同士でもほとんど敵のやうな関係で
       して、三好長慶のお父ちゃんの三好元長は、この宗三に裏切られて堺で
       自害してしまいました。これを根に持った長慶は年長ずるに及んで復仇
       のために畿内に進出して宗三を目の敵とし、宗三を支持してゐた管領・
       細川晴元とも喧嘩するに至ったのでした。」

       つまり、本当に身内のもめ合いですね。
       つまり宗三が因縁を持つとしたら長慶に他なりません。
       牛頭天皇と長慶に何か関係があるのか?

       また河内判官殿からは、下記のようなヒントを頂きました。
      「ところでこの「榎並」と云ふ土地なのですが、「榎並猿楽座」と云ふ一
       団がゐました。猿楽は基本的に神社を背景としてゐます。彼らの信仰し
       てゐた神様とかと関係してゐたとか云ふのは考えられんでせうかねぇ」

       なるほど。この榎並は、榎並猿楽発祥の地とされています。
       この一団について調べてみる価値はありますね。
       猿楽の守護神といえば、アメノウズメの命。
       ミツハメノカミとの関係は・・・。

home 神社のトップに戻ります back