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忍路神社

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  祭  神:大国主命 手置帆負命 屋船久々能知命 屋船豊宇気姫命 彦狭知命
  説  明:平成祭礼データによりますと、
      「創立年月日寛政2年。明治17年5月17日大國主神社を忍路神社と
       改称す。同23年5月11日社殿類焼す。同29年3月12日再建許
       可。同年12月21日落成届け出。同42年8月16日明細帳中村名
       並地番及神器庫記入洩訂正出願。同年12月3日許可。大正9年12
       月1日忍路村元場上589番地へ移転改築の件出願。同月22日許可。
       同月31日落成。大正10年2月4日神饌幣帛料供進神社に指定。昭
       和9年1月17日幣殿増築・神饌所・社務所建築追認の件出願。同年
       2月12日認可。」
       とあります。
  住  所:北海道小樽市忍路
  電話番号:
  ひとこと:手置帆負命・屋船久々能知命・屋船豊宇気姫命・彦狭知命は、境内に
       ある、稲荷社に祭祀されている神様です。

       屋船久々能知命は、日本書紀に出てくる神様で、伊奘諾・伊奘冉が生
       んだ木の神々・句句廼馳(くぐのち)神のことでしょう。
       豊宇気姫は五穀豊穣の神様、豊受姫。稲荷神に相応しい神様です。
       
       手置帆負命と彦狭知命は、古語拾遺に、共に天太玉命が率いておられ
       た神の一柱として名前が挙げられています。
       手置帆負命は、讃岐の忌部氏の祖神、彦狭知命は、紀伊の忌部氏の祖
       神とされています。

       でも、何よりも、この四柱、「上棟式」にお祀りされる神々なんです。
       詳しくは、ここを御覧ください。
       上棟式で祀られる神様を詳しく載せてくださっています。

       参拝した日、7月6日。ちょうど夏祭りの宵宮でした。
       夏祭りは、神様にに乗っていただき、海を30分ほど周った後、宮
       にお戻りいただくという次第なのだそうです。
       例えば、大阪の天神祭は、天神様に船で旅所へ渡っていただくお祭り
       ですが、この神社のお祭りは、ただ、「周遊の旅」をしていただく、
       というお祭りなのですね。

       神社の管理をしている方によると、
      「北海道の神社は、天照大神を勧請していることが多いのに、なぜか、
       この神社は、出雲の大国主命を勧請している。
       もともとは、海自体を神様としてお祀りしていた神社です。」
       とのことでした。

       だとすれば、神様に船に乗っていただいて、海を周る、というお祭り
       も納得行きます。

       ひと時、神様自身、つまり、海に「お戻りいただく」わけです。

       そして、なぜ、この神社に大国主命を勧請したんでしょうか?
       大国主伝説と海の神様は、あまり関わりがないように思います。

       が・・・。
       実は、この小樽市は、縄文時代(西暦前2000年から1500年)
       に造られた、ストーンサークル(環状石籬)が80基ほど見つかって
       いる土地なのです。

       この忍路神社から南東へ2キロほどにある、忍路環状列石は、最大直
       径が32メートルほどもある、はっきりしたストーンサークルです。

       話はごろりと変わります。
       松本清張氏の「砂の器」を読んだことがありますか?
       ない人には申し訳ないのですが・・・。
       謎解きの要の一つに、「犯人はずーずー弁を話していた」というのが
       あります。
       そこで、刑事は犯人は東北の人間だとあたりをつけるのです。
       ところが、「ずーずー弁」を話すのは、東北だけではないのです。
       ずっともっと南西の土地・・・。
       そう出雲のある地域でも、ずーずー弁が話されているのです。

       なぜでしょう?
       こう考えるのは、不自然でしょうか?
       即ち、もともと、出雲にずーずー弁を話す民が住んでいた。
       が、なんらかの事情でその民の一部は、北東を目指し、現在の東北地
       方へ移住した。
       だから、出雲と東北の二つの地域で、同じような言葉、ずーずー弁が
       現在でも使われている。

       この忍路ストーンサークルの北側に忍路土場遺跡があり、そこからは、
       貝殻・骨などはもちろん、大量の縄文土器なども発掘されているのだ
       そうです。

       つまり、縄文文化の担い手は、やはり、日本列島を縦横無尽に移動し
       ているのです。

       だとしたら。
       大国主命を祭祀する出雲の民が、ここまでやってきて、ここに大国主
       を思わせる何かを祀っていて、代々、忍路の人たちが大事に御祀りし
       てきた、なんてことを考えるのは、ちょっと夢見がちすぎでしょうか?

       北海道は、大和朝廷の力の範囲ではありません。
       だから、「日本の文化」を探すと、がっかりするかも。
       でも、反対に、「日本文化に侵されない縄文文化」を探すには、最適
       な土地かも知れませんね。

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