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崇道天皇社

sudouten





  祭  神:早良親王(追号 崇道天皇)
  説  明:境内看板によりますと、
      「当社は平城天皇大同元年(1180年前)の創立にして、桓武天皇
       の皇弟・早良太子(光仁天皇・高野夫人の第二皇子)の霊を鎮め祀
       る。
       天応元年桓武天皇の皇太子となる。
       延暦三年都を平城京より長岡京に移し、天皇政事を太子に任せらる。
       同四年故ありて乙訓寺に幽閉され、後淡路島に配流途に崩御あらせ
       らる遺骸を仁井の里に埋葬された。
       国内に凶事続出親王の怨霊との声高まり、同十七年天皇遺骨を大和
       八嶋陵に迎え同十九年陵に於いて追尊の儀執行せらる。
       平城天皇大同元年社を建立霊を慰められたのが当社の創立である。」
       とあります。
  住  所:奈良市西紀寺町四十番地
  電話番号:
  ひとこと:大同元年といえば、西暦でいえば、806年。
       鳴くようぐいす平安京に既に遷都された後ですね。
       平城天皇は、桓武天皇の次代の天皇ですから、まだ、早良親王の祟
       りは続行していたんですね。
       しかもそのうえ、平城親王は、早良親王廃太子により、自分が皇太
       子になれたんですね。
       ですから、平城天皇が早良親王を恐れるのは、ごく自然な心の作用
       なんでしょう。

       ただよくわからないのは、なぜ、その時代の都、つまり平安京では
       なく、既に、都でなくなってしまった平城京・奈良に早良親王の魂
       を鎮めたんでしょうか??

       この場所は、怨霊鎮めに適した場所だというのでしょうか?

       平城天皇は、809年に病気で、弟に皇位を譲り、奈良に腰を落ち
       着けます。
       が、健康が回復すると、都を自分のいる、平城京に遷そうとしたん
       ですね。
       嵯峨天皇が病臥した光仁1年(西暦810年)9月のことでした。

       手中にある時には、それほど大事と思っていなかったものが、自分
       の手を離れると、かけがえのないものに思える・・・。

       よくあることですね。
       ただ、この天皇の場合、めまぐるしい。

       806年即位。
       809年譲位。
       810年重祚を望んで兵の準備。

       犯罪(?)の影に女あり。

       どうも、一人の女性にお尻を叩かれていたようでもあるんです。
       その女性の名前は、「藤原薬子」。

      「薬子の変」は、歴史の教科書にも載ってますよね?

       この藤原薬子とはどんな女性だったのでしょうか。

       藤原薬子は、平城天皇の正室ではありませんでした。
       尚侍、つまり、天皇つきの女官です。
       薬子の娘が入内したので、付き添いとして後宮に入ったのですが、
       天皇は娘よりも、薬子にぞっこんになってしまうんですね。

       まぁ、そのことは当時でも、スキャンダルとされたらしく、一時期
       桓武天皇により、薬子は後宮を追放されていたそうですが。

       つまり、年齢的には、平城天皇よりも上だったと考えられます。

       そして、決定的に彼女の性格を現していると思う逸話がこれです。

       つまり、平城遷都と重祚を目指して兵を起こそうとした、平城天皇
       の試みが失敗した後、平城天皇は仏門に入りますが、薬子は自殺し
       たのです。

       彼女の激しさが伺われる話でしょう?

       いや、単に、天皇は処刑されなくても、薬子は処刑されるというこ
       とで、それくらいなら、と自ら自分の命を絶ったのかも知れません
       が、そうだとしても、意志のはっきりした女性であることがわかり
       ます。

       まぁ、意志がはっきりしていない女性のいいなりに、男性、しかも
       天皇がなるとは考えづらいですけれどね。

       んでもって、彼女について分かるのは、「ひじょ〜に魅力的だった」
       ってことですね。

       なにしろ、平城天皇は、一度仲を引き裂かれた彼女のことを忘れら
       れなかったんですから。

       いや・・・。引き裂かれた関係だから忘れられなかったという一面
       もあるでしょうけど。
       天皇ですから、代わりの女性を探すつもりならば、いくらでも、い
       たハズです。

       彼女の魅力ってのはなんなんでしょうねぇ?
       まず、容姿は美しかったんだと思います。

       でもねぇ、容姿だけでは、なかなか、そこまでひとりの人間を長く
       ひきつけるの難しいと思うんですよ。

      「風と共に去りぬ」の冒頭、ご存知ですか?
      「スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のター
       ルトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力にとらえられ
       ると、そんなことを気にするものは、ほとんどいなかった」(大久
       保康雄・竹内道之助訳 新潮文庫)

       びっくりしました?
       そう、ヴィヴィアン・リーが演じたあの情熱的な美女のはずの、ス
       カーレット・オハラは「美人というのではなかった」んです。

       薬子もそんなタイプだったんじゃないでしょうか?

       んじゃ、容姿はそこそこでも、異性を意のままにすることが?

       ん〜〜〜、まるで週刊誌のようだ(^^ゞ
      「オトコをとりこにする魅力を身につける!!」なんちて。

       が、まぁ、できるってことでしょうねぇ。

       じゃ、どうすればいいか?
       んなことは、それを実践できてる人に聞いてちょ〜だい。

       女扱いをなかなかしてもらえない私にはわかりませぬ。

       まぁ、見本となりそうな、クレオパトラ、薬子、スカーレット・オ
       ハラを見習うならば、才気を養えってことでしょうかねぇ??

       クレオパトラが、シーザーをとりこにした方法として、シーザーの
       杯に手ずからワインを注ぎ、おもむろに、自分がはめていた大粒の
       真珠のイヤリングをグラスに落とした・・・なんてのがあります。
       科学反応については無知なんでわかりませんが、真珠はワインに溶
       けるんだそうです。(ワイン飲むときは、パールのアクセサリーは
       はずさなきゃ!ですよ。奥さん。間違ってワインこぼしたら、溶け
       ちゃう!!たいへ〜〜〜ん!!!)
       真珠が溶けてしまうと、クレオパトラは艶然と微笑み、
      「どうぞ」と。
       シーザーは、もう、くらくらだったそうな。
       こりゃ、演出上手だねぇ。

       薬子がどういう才気を見せたのかはわかりませんが、できれば大粒
       の真珠などを使わない、演出方法を教えてもらいたいもんです。

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