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諏訪大社 上社 前宮

suwamaemiya





  祭  神:八坂刀売神
  説  明:栞を引用します。
      「信濃国一之宮諏訪大社は、昭和二十一年迄官幣大社諏訪神社と称して
       おりましたが、同二十三年に現在の社号に改称しております。
       諏訪大社は諏訪湖の南北に二社ずつ四ヶ所に分かれて鎮座する、独特
       の形を持ったお宮です。
       御祭神の建御名方神は大国主神(大国さま)の御子神で、妃神が八坂
       刀売神、八重事代主神(えびすさま)は御兄神に当たります。」
      「神原
       県道から入って一段と高くなった処の広場一帯を言い、上社にとって
       は最も由緒の深い場所です。社伝によれば、諏訪大神が初めて御出現
       になられたのがこの地だと伝えられています。
       この神原一帯は上社の祭祀の中心地であり、御祭神の後裔で諏訪大神
       の神格を持った生き神、大祝(オオホウリ・最高統轄者)の居館であ
       る神とのと、それに附属する数多くの重要な建物が軒をつらねていま
       したが、室町時代の中葉に大祝が居館を他に移したので、多くの神殿
       は消滅し、現在祭儀だけが残っています。」
      「内御玉殿
       鳥居の右側の建物で、神原の中心をなしたお社であり、諏訪大神の幸
       魂奇魂をお祀りしてあります。古くは諏訪大神の御神宝である真澄の
       鏡、八栄の鈴、御鞍等も納められていました。現在の建物は昭和七年
       の造築ですが、正面の柳組や蛙股等は天正十三年の旧殿の古材が使わ
       れております。」
      「鶏冠社
       内御玉殿の西方百米程の畑中にあり、現在のお社は小さなものですが、
       昔はこゝで極めて神秘な重要な儀式が行われました。諏訪大神の神裔
       である諏訪氏が、大祝の職に就く時、この社の前で神長官から梶の葉
       のつした紫の袴と山鳩色の狩衣を着せられて即位の式を挙げた所で、
       かえでの宮とも言います。」
      「前宮本殿
       内御玉殿から約二百米登った所にあり、諏訪大神が最初に居を構えた
       地と言われ、高台で、豊富な水と日照が得られる良き地であり、諏訪
       信仰発祥の地であります。現在の御殿は昭和七年に伊勢神宮の古材を
       以って建てられたものです。
       尚本殿の左後方の小高い所は諏訪大神の御神陵だと伝えられています。」
      「なお上社は、お山(神体山)が御神体となっています。」
       とあります。
  住  所:長野県茅野市宮川
  電話番号:
  ひとこと:諏訪大社の七不思議をご存知でしょうか?

       七不思議の一つは、諏訪湖の御神渡(おみわたり)です。
       長野にある諏訪湖は、冬になると、凍結します。
       が、全面氷結した数日後、夜明けに雷鳴のようなとどろきが響きわた
       り、上社の浜から下社の湖岸にかけて、亀裂が生じるのです。

       その亀裂は高さ1M余りにも盛り上がり、まるで大蛇がくねくねと這
       ったように見えるのだそうです。

       これは、上社の男神様が、下社の女神様の許へ通われた道筋だと伝え
       られているのだそうです。

       が、ちょっと待ってください。

       この御神渡についての説明のある、「諏訪大社」栞には、上社本宮の
       ご祭神が、建御名方神。上社前宮のご祭神が、八坂刀売神。
       そして、下社は、春宮・秋宮ともに、ご祭神は、建御名方神・八坂刀
       売神と、八重事代主神と記載されています。

       とすると、少し変ですね。

       それに、上社「本」宮に男神が、「前」宮に女神が祀られているのも
       なんだか変な話です。

       同じ男神様が、「前」宮から、「本」宮に遷られたという方が、理解
       できます。

       下社にしても、同じ女神様が、「春」には、「春宮」に、「秋」には、
      「秋宮」に遷座される、とする方が理解できます。

       そして、そうすれば、御神渡の伝説も、納得いくのですが。

       ある時代の人々が、「夫婦が湖に隔てられてお祀りされているのは、
       お気の毒じゃわい」と、祭祀を変えられたのかも???

       そんなことを考えるのは、私だけでしょうか???(^^ゞ

       この前宮は、鳥居をくぐってから、本殿までの参道は、すっかり一般
       道となっています。

       本殿の前にくると、まず、「水眼」と呼ばれる清水が流れています。
       上流にいくと、水量が多いのか、ポリタンクを5つも6つも持った人
       々が、坂を上っていきました。
       また、満杯のポリタンクを5つも6つも持った人々が、坂を下ってい
       きました・・・。

       ちぇ〜〜。私もポリタンク持ってくればよかったなぁ。

       また、境内で涼をとっておられる地元の方らしき人がおられました。
       お辞儀をすると、大阪の私にとっては、十分涼しいこの境内で、汗を
       ふきふき、お辞儀を返してくださいました。

       そうかぁ、やっぱり、この土地は涼しいところなんだなぁ。
       と、妙なところで感心しながらも、境内をぐるりと廻ってみました。

       本宮と同じく、御柱が4本。
      「この柱が一体何なのか。考えてみましょう」
       この前宮だけを見て、こう課題を出せば、半数くらいの人が、
      「テントの柱」と答えるんじゃないでしょうか。
       この柱にわたして、布をかけると、本殿は雨からすっぽり守られます。

       あ、それが正解だと言うわけじゃないですからね。
       でも、諏訪大社の奇祭・御柱祭で切り出されるこの四本の柱が、どん
       な意味を持っているのか、正解はまだ出ていません。

      「テントの柱」も・・・。
       ないことはない、かもしれません・・・ね???

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