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玉置神社

tamaki





  祭  神:本社 玉置神社:国常立尊 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 天照大神 
          神日本磐余彦尊
       摂社 三柱神社:倉稲魂神 天御柱神 国御柱神
       末社 玉石社:大巳貴命
  説  明:いただいた栞によりますと、
      「神武天皇東遷の際熊野に上陸後八咫烏に先導にて、この宮にて兵を休
       めたと伝えられています。
       紀元前37年第十代崇神天皇、玉城火防鎮護と悪魔退散の為、早玉神
       を奉祀されました。以来玉置となづけられました。
       7世紀後半、役小角(役の行者)が大峰山を開いて修験道の本拠地と
       なります。玉置山は、大峰入峰修験の順峰双方向の拠点として栄え、
       山伏姿の修験者の往来が増えていきます。
       天安2年(858年)天台宗智証大師が、那智の滝にこもり後当山に
       て修法加持し本地仏を祭られました。これより以後玉置神社は神仏混
       淆となりました。
       神武、崇神、景行、天武、清和天皇をはじめ花山院、白河院、後白河
       院、後嵯峨院などが参拝行幸されたと伝えられ、創建以来元禄年間ま
       で、十数回の造営修復はすべて国費をもって行われました。
       また役の行者、弘法大師、智証大師などもこの地で修行されました。」
       とあります。
  住  所:奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地
  電話番号:07466−4−0500
  ひとこと:とにかく広い。
       アクセス案内を見ると、「JR和歌山線五条駅または、JR紀勢本線
       新宮駅よりバスにて十津川温泉下車タクシーで玉置神社駐車場へ」

       ここまでは、「山の中に鎮座する神社なのね」と思うだけなんですが、
       こっからがびっくり。

      「駐車場から徒歩約20分」。

       ハァ?
       駐車場から??

       びっくりでしょう?
       でも、その駐車場から本殿までの参道がすばらしいんです。

       山の中ゆえ、空気は冷たく澄んでいます。
       木々が風にあおられて、全くの静寂とはせず、絶えず、やわらかい音
       をたてています。

       参道からず〜〜っともう、神様の領域なんだ、と実感しちゃいますね。

       さて、栞によれば、「玉城の火防のため」だから、「玉置」と説明さ
       れていますが、それならば、なぜ、末社に「玉石社」があるのでしょ
       う?

       しかも、同じく栞にある、「神武天皇がこの宮で休息」という説明と、
       崇神天皇が創建という説明は矛盾します。

       第十代天皇が創建した神社で、初代天皇が休憩する?
       
       崇神天皇は、この「玉置神社」を、建て直した、のではないでしょう
       か?
       としたら、もともとは、この神社は、「玉石社」が本体だった、と、
       想像しても、外れていないんじゃないか、と思うのです。
       いや、確証はま〜〜〜ったくありませんよ。
       そういう感じがするだけです。

       しかも御祭神が「大己貴命」。
       え?「大己貴命は、出雲の大将だろう」って?
       なんで、奈良と和歌山の県境にあるこの玉置神社と関係あるんだって?

       関係あるんですってば。

       古事記の中にその答えはあります。

       皆さん、因幡の白兎の話はご存知ですね?

       大国主命(大己貴)と、そのお兄さん達・・・総称して、八十神は、
       美女の誉れ高い、因幡の八上姫に求婚に行きます。
       その途中、鰐に毛皮をむしられて泣いている兎がおりました。
       大己貴に荷物を全て持たせて、自分達だけ先を歩いていた兄神は、そ
       れをみて、「海水を浴びて、風にあたるがよい」と教えます。
       想像したらわかりますが、傷口に塩塗りこんで風にあたったら、そり
       ゃ痛い。
       言う通りにした兎があまりの激痛に泣き叫んでおりますと、そこを通
       りがかった大己貴が哀れに思い、「川で身を洗い、蒲の穂の花粉を、
       身体にまぶしなさい」と教え、その通りにした兎は元通りに毛が生え
       元気になりました。
       そして、兎は、「八上姫の愛情を得られるのはお兄さん達でなく、大
       己貴様でしょう」と予言をし、その通りになるのです。

       まぁ、ちょっとケチつけますと、傷があるとき、海水に入ると、確か
       に痛いけど、治りは早いですよね。経験的に。
       ってことは、お兄さん達は意地悪を言ったわけじゃないかもしれない。
       このシーンでは、ね。

       ただ、その後があるんです。

       兎の予言どおり八上姫を妻にした大己貴ですが、兄さん達はとっても
       口惜しい。
       口惜しさのあまり、大己貴を殺そうとするのです。

       このシーン、古事記から引用しましょう。

      「そこで大勢の神(八十神)が怒って、大国主の命を殺そうと相談して
       伯岐の国の手間の山本に行って言いますには、『この山には赤い猪が
       いる。わたしたちが追い下すから御前が待ち受けて捕らえろ。もしそ
       うしないと、きっとお前を殺してしまう』と言って、猪に似ている大
       きな石を火で焼いて転がし落としました。そこで追い下して獲ろうと
       する時に、その石に焼き付かれて死んでしまいました。そこで母の神
       が泣き悲しんで、天に上がって行って、神産巣日の神のもとに参りま
       したので、さき貝姫と蛤貝姫とをやって生き返らしめなさいました。
       それできさ貝姫が掻きけずり集め、蛤貝姫がこれを受けて母の乳汁と
       して塗りましたから、りっぱな男になって出歩くようになりました。
       これをまた八十神が見て欺いて山に連れて行って、大きな樹を切り伏
       せて楔を打っておいて、その中に大国主命を入らせて、楔を打って放
       って打ち殺してしまいました。そこでまた母神が泣きながら捜したの
       で、見つけ出してその木をさいて取り出して生かして、その子に仰る
       には、『お前がここにいるとしまいには八十神に殺されるだろう』と
       仰せられて、紀伊の国の大屋比古の神のもとに逃がしてやりました。
       そこで、八十神が求めて追って来て矢をつがえて乞う時に、木の俣か
       らぬけて、逃げて行きました。そこで母の神が、『須佐の男の命のお
       いでになる根の堅州国に参上しなさい。きっとよい謀をして下さるで
       しょう』と仰せられました。」

       根の堅州国は、熊野灘にあった、といわれています。
       また、その前に、大国主命は、紀伊の大屋彦神を訪ねているのがわか
       りますね?

       そう、大己貴命と紀伊の国は決して縁がないわけじゃないんです。

       大己貴命が出雲の王になるのはこの後のことです。

       大己貴命は、この紀伊で本妻である須勢理姫と出会ってもいますし、
       青春時代を過ごした紀伊の国は、第二の故郷と言ってもよい場所だっ
       たでしょう。

       さて、としたら、この「玉石」とはなんでしょうね?

       それについては、ヒントもなくわかんないんですが、玉石って、「卵」
       のイメージがありますよね。

      「卵」ってのは、不思議なものです。

       ぱっと見た感じは無機物なのに、中に生命が宿ってるんですから。

       この「玉石」の中に何が宿っているのかはわかりません。
       でも、大己貴命は、この石の中に、「何か」を封じ込めたのかも。

       そうだとしたら、何が?
       覗き見てみたいような気もしませんか?       

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