hitokoto

等彌神社

tomi





  祭  神:天照皇大神 春日大神 八幡大神
  説  明:栞によりますと、
      「神社は延喜式の式内の古社にして旧奈良県の県社であります。
       桜井駅の南東になだらかな山容をみせる鳥見山の西麓に鎮座し150
       余基の石灯篭が竝立する。
       参道を進むと上社(上津尾社)に至り、裏参道を下ると下社(下津尾
       社)に至る。
       上社より鳥見山々頂へ道が続いている。
       この山は神武天皇御即位の後四年春二月鳥見の山中に靈畤を立て大孝
       を申べ給うた大嘗会の舞台で毎年五月十三日鳥見靈畤顕彰会により、
       お山の拝所で大祭が斎行されている。」
       とあります。
  住  所:奈良県桜井市桜井能登1−176
  電話番号:0744−42−3377
  ひとこと:う〜〜む。
       大神が3柱祀られていますね。
       しかし、春日大神は、春日大社に祀られた神様、八幡大神は、応神天
       皇が宇佐八幡に現れたから、八幡大神と呼んだというようで、神名と
       呼べるのは、「天照大神」だけなような気がします。       

       さて、日本書紀「神代」の始めに、
      「至貴尊曰 自余命曰」とあります。
      「大変尊いお方は『尊』といい、それ以外のお方は『命』といい、共に
       ミコトと訓む」ですね。

       そこで見ておりますと、天御中主命から、伊弉諾尊・伊弉册尊までは
       全て、「尊」ですね。

       そして、伊弉諾尊・伊弉册尊の子供達は、「○○尊」だったり、「○
       ○命」だったり、「○○神」だったりします。

       伊弉諾尊が、黄泉の国から帰ってきて、日向の川で禊をした折、まず、
      「○○神」が生まれ、「○○命」が生まれ、最後に三貴神、素盞鳴尊・
       月読尊、そして天照大神が生まれているところを見ると、尊称の順番
       は、
       大神>尊>命>神>尊称なし
       という順番だと思われます。
      (裏切り者の天稚彦や、地祇と思われる神様は、尊称がついていません)

       ということは、神代七代より偉い「大神」は、当然天照大神だけだろ
       うな・・・と見ておりますと・・・・・。なぬ?
      「道返大神」???
       なんじゃこりゃ?

       なんだと思いますか?
       これは、黄泉国と葦原中国の間に塞がってある、大岩のことなんです。

       千引の岩とも言いますね。
       これは、古事記では、出雲の力持ち、建御名方に投げ捨てられたりす
       るような、なんと言いますか、単なる岩です。

       そして、神に関する説明を読みますと、
      「この(黄泉の国と葦原中国を塞ぐ)大岩とは、冥界の入り口に塞がっ
       ている大神を言うのである」
       こうやって見ますと、大神は必ずしも尊称ではないのでしょうか?

       しかし、天照大神は、天照尊とか、天照命とか、天照神とは呼ばれま
       せん。 
       あくまでも、天照大神。なのです。
       なぜ?なぜそんな偉いのか偉くないのかわからない尊称を、高天原の
       支配者につけるのでしょうか?

       大体、「天照」という名前は、いろんな神様の名前の冠になっている
       ような一般名詞っぽいんです。

      「月」読命などは、名前に「月」が入っていて、いかにも月の神様です
       し、素盞鳴尊は、かなり独特な名前です。

       が、「天照」という名前がついた神様は、実は、結構いるのです。

      「天照国照彦天火明奇玉饒速日尊」「天照国照彦天火明命」この二柱の
       神は同じ神だとも、前者が所謂、ニギハヤヒで、後者が所謂山幸彦だ
       とも言われますが、どちらも天照大神に繋がる神様ではあります。
       また、天照御魂神と言えば、一般に、上記二神のうちどちらかを差す
       ようです。
      (天照大神は本当は男神だった、という説の場合この神様が元祖、天照
       大神である、と説明されていることが多いようです。)

       しかし、「天照高比売神」は、なんと、下照姫命(下光比売)の別名
       と説明されています。

       下照姫は、大己貴命と、田心姫命の娘で、天稚彦の妻です。
       つまり、地祇の娘にも「天照」という別名があるわけです。

       そう考えると、「天照大神」は、
      「天照」という非常に抽象的な名前に、「大神」という偉いのか、偉く
       ないのかわからない尊称がくっついた神様の名前であることになりま
       す。

       日本書紀著者はなぜそういう微妙なことをしたのでしょうね?

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