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天目一神社

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  祭  神:天目一命
  説  明:境内案内を転載します。
      「日野地区は、加古川の支流杉原川が作った沖積平野と段丘上に拓けた地域です。こ
       の地に人々が生活しはじめたのは古く、縄文時代後期(約四千年前)の土器が発見
       されています。弥生時代(約二千三百年前)になって稲作が伝わると、さらに開拓
       は進み、多くの集落跡が見つかっています。奈良時代(八世紀)には、託賀郡都麻
       里に含まれましたが、平安時代の中頃(十世紀)には、杉原川東岸地域は資母郷、
       西岸地域は那珂郷と呼ばれるようになりました。このころの開拓の様子を示す、条
       里という一辺109Mの正方形の土地区画の跡が道路や水路に残されています。平
       安時代後期から室町時代(十二〜十四世紀)にかけては、東岸地域は這田荘、西岸
       地域は安田荘という荘園に含まれていたらしいのですが、戦国時代(十五〜十六世
       紀)には富田荘というひとつの荘園になり、それぞれ富田郷、野中郷と呼ばれ、野
       間城(八千代町)に本拠を置く在田氏の支配下にありました。その後、豊臣氏の蔵
       入地を経て江戸時代には各村ごとに分割支配が行われましたが、大木、野中、市原、
       前島などの村々は姫路藩領、幕府領、古河藩領と移り変わりました。明治時代にな
       って廃藩置県が行われ、明示九年にほぼ現在の兵庫県になりました。日野という地
       名は、明治二十二年の野村制の施行により十か村が合弁した時に、鎮守の春日神社
       の日と平野神社の野をとって日野と名付けたものです。大木町に鎮座する天目一神
       社の祭神は天目一命で、天久斯比止都命ともいいます。神話によれば、天照大神が
       弟の素盞鳴命の乱暴に怒って天岩戸に隠れた時、岩戸を開くための祭に使用する刃
       物や鉄鈴を作ったのが天目一命でした。それ以来、鍛冶の神、ふいごの神として崇
       拝されるようになったといわれています。また、天目一命は、奈良時代の『播磨国
       風土記』の託賀郡の条にも登場し、多可郡の地が古代から鍛冶に関する高度な技術
       をもっていたことも考えられるのです。
       して、平安時代の927年にできた、『延喜式』という書物には『延喜式内社』と
       呼ぶ、全国で重要とされた神社が記載されていますが、その中の多可六座の一つに、
       この天目一神社が含まれているのです。明治維新の神仏分離令により、多可郡内で
       も延喜式内社への関心が高まり、特に所在地が不明であった天目一神社については、
       多可郡内の数カ村の神社が名乗りを上げました。ところが、著名な学者が式内社天
       目一つ神社の所在地を大木町に推定し、当時の多可神職会もこの説を支持するにい
       たり、地元大木町でも当時惣堂天王社のあったこの地を式内社点目一神社の跡地と
       定めて、その復興を計画したのです。社殿は地元をはじめ、播州や泉州の金物業者
       の援助を得て、大正八年に着工、大正十二年に竣工し、鎮守である平野神社も平野
       山東山麓から移して合祀しました。
       竣工した本殿は神明造とよばれる特殊な形式を採用し、しかも近在では例を見ない
       ほど大きく立派なものです。また、鳥居も本殿にあわせて神明鳥居が作られていま
       す。竣工以来、天目一神社は復興された式内社として有名になり、近在の鍛冶職人、
       金属加工職人たちの信仰を集めました。旧暦十一月八日(現在は新暦十二月第一日
       曜日に行われる『ふいご祭』には播磨をはじめ遠く丹波、但馬、美作、和泉からも
       参詣者があり、強風が吹くほどふいごの風が強くなると喜ばれました。
       戦後は金属工業などの機械化により、参詣者は減りましたが、現在では熱心な信者
       と地元大木町の努力によって、盛大にふいご祭が行われています。」
  住  所:兵庫県西脇市大木町郡新田468
  電話番号:
  ひとこと:天目一命とは、製鉄の神として有名な神様です。
       神名は、「目一」。

       つまり、一つ目であると想像できますよね。

       さて、動物の・・・と言ってしまったら、蛸の肛門と思っていたものが、実は口
       だったりしてちと自信がないので・・・哺乳類、いや、人間の顔には、
       眉二つ、目二つ、鼻一つ、口一つ
       という部品が揃っています。

       多分、進化の過程で一番良い形で一番良い数になってきているのでしょうが、な
       ぜそれがそこに、その数存在するのが理由のわからないものもあります。

       例えば、眉毛。
       あれって必要ですかね?

       確かに、
       眉毛がないと、人間の顔は途端に間抜けに見えるようになります。
       つまり、「バカ殿」の顔になっちゃうわけですね。
       しかし、反対に、犬に太い眉毛を書くと、これまたバカ殿以上の間抜けさに見え
       るわけで、
       眉毛の存在理由が、「間抜けに見えないように」であるとは思えません。

       多分、そもそもは目を守るために存在したのでしょうが、今後どんどん人間が進
       化していったら、眉毛は消滅するかもしれません。

       そして、口が一つだけしかない理由も不明です。
       二つあれば、「これはケーキを食べる口」「これはお肉を」と、使い分けできま
       すからね。
      「ケーキは別腹」
       なんて言うくらいですから、「別口」があっても差し支えはないんじゃないでし
       ょうか。

       反対に、合理的だと思うのは、
       例えば、鼻の穴です。
       鼻の穴は呼吸するために必要なものですが、炎症を起こすと、空気が通らなくな
       ってしまうことがままあります。
       そんな時、穴が一つしかなかったら・・・。
       あぁ、苦しい。
       二つあるからこそ、あっちむいたりこっちむいたりして、なんとか呼吸できるん
       ですよね。
       人間は口でも呼吸をすることができますが、鼻でしか呼吸できない動物がいるこ
       とを考えれば、口はもともと呼吸するための器官ではなく、
       進化の上で、「呼吸補助」の必要性から、気管と繋がったんじゃないでしょうか。

       そして、何より合理的なのは、目の数です。
       動物は、目が二つあるからこそ、遠近感を知ることが出来るのです。

       ところが、製鉄の神である天目一神は、一つしか目を持たないと考えられている
       のです。

       それは、「必要ないから」なのかもしれません。
       神様ですから、目を瞑っていても、全てのことはお見通しでしょう。       

       実際問題、なんで製鉄で一つ目なのかについては、いろいろな説があります。

       ふいごを吹く時、片目を瞑るから。
       あまりに強い熱のため、目がつぶれるから。
       などという「物理的」な話もありますし、

      「製鉄場は死と隣り合わせの場所だった。
       だから、製鉄の人は、神聖な力を得るために、捧げ物として自らの目を奉った」
       などという、神秘的な話もあります。

       また、「風が強く吹くほど火がよく燃えるので、台風の目を神聖視し、ついには、
       台風の目を、「天目一神」と呼ぶようになった・・・というのは、今、私が考え
       ました(笑)

       なんにせよ、この製鉄の神は、「異形」でありました。
       それがナゼなのか、は、わかりません。
       ただ、当時の人々が「製鉄」に抱いていたであろう、何かしらの畏怖は、想像で
       きるような気がしますね・・・。

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