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御姫神社

onhime

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ひめ坂





  祭  神:猿田彦大神 武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比賣神
  説  明:YAMANASHI DESIGN ARCHIVEから伝説を転載します。
      「乙女池の伝説
       昔、下吉田のお姫坂のところに、乙女池という小さな池がありました。そして道志には馬場(ばんば)とい
       う名の池がありました。
       乙女池のほとりには、一軒の家が建っていて、その家には一人娘がいました。娘は都のお姫様の生まれ変
       わりではないかと思われるほどの器量よしで、家の人たちは「こんなに器量がよくなって、よかった。」
       といってよろこんでいました。
       そのうち、娘のところへ、どこからか若い男が通ってくるようになりました。男は立派な身なりをした侍
       の姿で通ってくるのです。毎日通ってくるので両親も心配になりました。そうすると正福寺の坊様が、
      「あの男は蛇だから、あれに騙されるじゃないぞ。」と娘に言って聞かせました。けれども、娘はそんな話
      は本気にしません。そこで、また坊様が、「そんなにわしを信用しないのなら、あの男の着物の帯へ縫物針
      を刺し、針めどへ黒い木綿糸を通して、男が帰っていった後をたぐってみろ」といいました。
       そういわれると、娘も心配になって、縫針を枕の下へ入れて、夜中に男がやってくるのを待ちました。娘
       は坊様の言いつけどおりに、男の帯に縫物針を突き刺し、糸をつけて男が帰っていくとき、どこまでもど
       こまでも糸を延ばしてみました。
       次の朝になって、娘はその木綿糸をたぐって行きました。野を越え、山を越えてたぐって行きました。す
       ると、糸は道志の馬場池の中へ入って行き、男がその池の主であることがわかりました。娘は悲しみに暮
       れてしまいました。せっかくこんなに遠くまでやって来て、男をあきらめなければならないのが悲しかっ
       たのです。でもどうしてもあきらめきれないのです。そこに立ちつくしていた娘は、とうとう最後には池
       の主に飲み込まれてしまいました。それから後、付近の人たちはこの池を乙女池と呼ぶようになったのだ
       そうです
       池は、今日では埋め立てられ、坂道になっていますが、池の伝説にちなんで、この坂をお姫坂というよう
       になりました。そこには乙女の霊を鎮めるために、石碑が建ち、小さな祠が祀られています。また、ここ
       の水を沸かしてはじめた湯屋が乙女湯だ、ともいわれています。
       
       山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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       乙女湯
       むかし、お姫坂(富士吉田市)の坂下に、一軒の旅籠があった。
      「お玉」という際立って美しい女中が働くようになって、旅籠の評判がにわかに高まり、毎日々々客をこと
      わるにぎわいとなった。そんなある日、男ぷりのよい若侍が泊まってから、一目ぽれというのだろうか、二
      人は人目を忍ぶ仲となり、激しい恋におち、夜ごと正福寺の境内で逢瀬を重ねるようになっていった。
       やがて旅籠の主人も、夜半になるといなくなるお玉に気付いた。「年頃の若い女のことだ。好きな男があ
       っても不思議ではない。お玉のおかげで商売繁昌。できることなら連れあいとして申し分のない男であっ
       てほしい」と思っていつか打ち合ける日のくるのを待っていた。が、どうしても解せぬことがあった。そ
       れは、帰ってきたとき、草履が必ずすり切れていることであった。」
       ある日、夜半にお客の用事があったのに、女中のお玉がいなかったのを機会に、主人がたしなめがてら、
       そのことを尋ねてみると、お玉は恥ずかしうに「毎晩抜け出して申し訳ありません。私に思う人ができま
       した。遠くから会いにくるので、草履がすり切れてしまい、代わりに私のを履いていくのです」と答えた。
       しかし若侍がだれか、どこの者か、一緒になる気かなど、何を聞いても語ろうとしなかった。
       
       一方、正福寺の僧は、境内を夜な夜な訪れる者のあることを知り、様子を見ていたが、お玉が来るころに
       なると、若侍がこつ然と現れ、別れには、お玉が見えなくなるまで見送った後、かき消すようにいなくな
       るのを不審に思い、ある夜、気付かれぬように黒衣を頭からかぶって近寄り、忍び見ていると、お玉が見
       えなくなるのを見届けた若侍が蛇に変身して立ち去るのをまのあたりにして、僧は息もできぬほど驚いた。
       ことの次第は旅籠の主人へと告げられた。これを聞いた旅籠の主人は、お玉に正福寺の僧の話を伝えると
       共に「若者と会うな」と厳しく言うと、お玉は泣く泣く「もしやと思っておりましたが、やはりあの方も
       蛇でしたか、実は私も蛇です。あの方も私と同じく人間の暮らしにあこがれて、変身して人間と結婚した
       かったのでしょう。でも好きになってしまった者同志が蛇だったとは、やはり蛇は蛇同志ということなの
       でしょうか。まともに蛇に戻って、あの方と結婚します。これまでのお礼に、この地に水がわくように致
       しましょう」と言ったかと思うと、白蛇となって消えた。
       その後、水がわき出て絶えることなく、その地に湯屋が建てられ、「乙女湯」と名が付けられ、多くの人
       に利用された。
       
       内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版」
  住  所:山梨県富士吉田市下吉田954‐3
  電話番号:
  ひとこと:淵の主に魅入られた乙女のストーリーとしては、非常に基本に忠実というか、ここにしかないトピックス
       はありません。
       
       ただ、富士山の麓にあるのが興味深い。
       富士山って、木花開耶姫にしても、かぐや姫にしても、美女神と非常に深いご縁があるじゃないですか。
       それは、このあたりを長らく統べていたのが、縄文系女性首長だったからじゃないかと思っているんです。
       
       この乙女が淵の主にさらわれたのはいつの時代でしょう。
       もし往古まで遡るのであれば、彼女はその女性首長の一人だったかもしれません。
       
       だとしたら、蛇とは?
       
       ……そう考えたとき、普通にある淵の主とは立場が逆かもしれないな……と。
       
       忘れないよう、備忘録的に公開しておきます。

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