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津門神社

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  祭  神:天照皇大神 毘沙門天神 八意思兼神
  説  明:境内看板を転載します。
      「津門神社の発祥は六甲山脈を背に務古の里にあり。
       務古の里は古来、自然の良港で津登、津奴、津門との名称がある。大昔は京都
       方面より山陽四国地方へ渡る人、上方へ上る人で舟の出入りも繁しく津の国唯
       一の良ミントであった。
       港の東南に津奴の塩浜があり、北には津登。東には津門の里があり、岡一体に
       老松が繁茂し、務古または津登の松原として万葉の古歌にもある通り有名であ
       る。古跡として今も残されて居る綾羽・呉羽姫が百済の国より渡来、我が国に
       初めて織物又は染物などを教えた地にて彼等が外来渡来の神(大日如来)を勧
       請し、創立したと云われている。
       今から千六十有余年前(延喜元年)菅公が太宰府に左遷の途次、美しい白浜青
       松の景勝を愛でられ、小祠の辺に御休憩になった。その祠が津門大明神と称し、
       里人が崇敬する津門の氏神である。
       津門の氏神である祠を現神域に遷宮したのが宝暦四年十一月にして旧社殿上棟
       札により明らかであり、当時は神仏混合の時代で、毘沙門天神を祀りしも、明
       治の代になり、日本の祖神と仰ぐ天照皇大神の御分霊を本殿御祭神と仰ぎ、脇
       殿に毘沙門天神と八意思兼神を合祀し、末社に弁財天社、武光稲荷社、愛宕社、
       白王社、針塚等を祀る。
       尚、神木の樟、榎は昭和四十八年十月西宮市保護木の指定を受け、又樟の根本
       に立つ津門社碑は元大塚古墳の蓋石であります。」
  住  所:兵庫県西宮市津門西口町14−15
  電話番号:0798−33−1653
  ひとこと:つまり、この神社は、そもそも大日如来をご祭神とする「神社」だったという
       ことですね。

       たしかに、大日如来も「日」なので、「太陽」つながりで、天照大神というの
       もわかるのですが・・・。

       乱暴な(^^ゞ

       ただ、明治の廃仏毀釈、神仏分離の動きはかなり厳しいものがあったようです
       から、しょうがないっちゃぁしょうがないのかもしれないですね。

       さて、大日如来については、ま〜〜ったく知識がありませんから、菅原道真公
       について見てみたいと思います。
       菅原道真公が立ち寄った祠が、津門大明神。
       そして、それが、綾羽姫・呉羽姫勧請の神社と同一という風に書かれていない
       のが、ちょっと気にかかるんですよね。

       菅原道真公が仏教徒だったという話は聞きませんし・・・。
       もしかしたら、当時、別の神様が祀られていたのかもしれません。

       菅原道真公と兵庫には、なんらかの関係があるのかもしれません。

       というのも、ここ兵庫では、菅原道真公が太宰府左遷の途次、立ち寄ったとさ
       れる場所が散見できるからです。
       今思いつくだけでも、須磨の綱敷天満宮、姫路の広畑天満宮など。

       なぜ、立ち寄ったのでしょうか。
       単に、船が港にとどまったから?
       でも、須磨と姫路は、近いようで離れています。

       何か理由があって立ち寄ったとは考えられないでしょうか?
       
       気になるのは、菅公の死後、彼が雷神と恐れられたこと。
       雷と鉄とは関係が深いという話があります。
       太宰府が、鉄の産地であるということも、意味ありげ。

       そして、「務古」。
      「武庫」ですよね。

       これは・・・。

       そう考えると、醍醐天皇が、菅公を恐れて追放した意味もわからないでもないの
       ですが・・・。どうでしょうね。       

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