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河堀稲生神社

koboreinari




  祭  神:宇賀魂大神 崇峻天皇 素盞鳴尊
  説  明:鍬津の西・浪速潟晝(ひる)ケ丘に稲生の神を祀る。時に、景行
       天皇亥巳年の秋と伝わる。
       聖徳太子、四天王寺創建の際、この晝ケ丘に社殿を建立。
       崇峻天皇を祀り四天王寺七宮の一つとして、晝ケ丘澤龍山巽宮崇
       峻天皇社と称された。
       又、此の地・古保禮(こぼれ)と称せられる。
       延暦七年三月、摂津太夫・和気清麿をして、河内摂津両国の界に
       川を掘り、堤を築き、荒陵の南より河内川を導き、西の方海に通
       せんと。是により、清麿当社に祈願し、二十三万余人に寝を給ひ
       て事に従わしむ。以後附近一帯を河堀口と云う。
  住  所:大阪市天王寺区大道3丁目7−3
  電話番号:06−6771−6513
  ひとこと:お稲荷さんに祭祀されている、所謂稲荷神以外の神様で、よく、
       目に付くのが、素盞鳴尊です。

       この神様は、治水の技術などを広めたり、植林の技術を広めたり、
       日本の国を豊かにするために力を尽くしてくださった神様ですし、
       治水は、即ち農業と関係がありますから、それででしょうか?

       実は、素盞鳴尊は、稲荷神のうちの一柱・大宜都比売神を殺害し
       ているのです。

       え、それじゃあ、余計になぜ一緒に祀られているかわからない?

       大宜都比売は、素盞鳴尊に殺されたことにより、蚕・稲・粟・小
       豆・麦・大豆を生じます。
       つまり、この稲荷神は、殺されることによってしか、五穀を生じ
       させることができない性質の神様だったのですね。
       素盞鳴尊の存在があって、初めて、穀物神としてあれたわけです。

       いや、しかし、そうなると、可哀想なのは、月読命となります。
       なぜならば、素盞鳴尊の大宜都比売殺しのストーリーは古事記で
       語られているのですが、日本書紀では、ほぼ同じことが、月読命
       と、保食神の間で起きているのですから。
       保食神も、稲荷神の一柱。
       なぜに、月読命は無視されているのでしょう?あくまでも正史は
       日本書紀だというのに?

       とすれば、素盞鳴尊が稲荷に祀られている理由は、他にあるので
       しょうか?

       実は!
       素盞鳴尊と神大市比売の第一子が、稲荷神・宇賀魂大神なのです。
       勿体ぶるほどのことはなかったですね。
       親子で祀られていただけでした(^^ゞ

       その他、素盞鳴尊と神大市比売の第二子・大年神は、その御子・
       御年神と共に、穀物の神様です。

       治水の神・素盞鳴尊があって、稲作・畑作が栄えたのでしょう。

       さて、最後に、聖徳太子により祀られたという、崇峻天皇です。
       実は、聖徳太子は、四天王寺建立の際に、この天皇を、堀越神社
       でもお祀りしています。
       自らが謀殺したと言われる天皇を、2つもの神社で祭祀する。

       御霊信仰のはしりなのでしょうか?
       史書には何も書かれていませんが、何が実際に祟りがあった可能
       性は、ありそうですね。

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