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祭 神:大歳神 説 明:石碑に描かれた文字を転載します。 「白鶴伝説の里 斎田」 「夫吾國開天之始法身常住神名曰太上皇神報身果徳之神名曰天祖天尊従此二身氣現出倫獨之二十一神是曰天神七 代至伊弉諾伊弉冉二尊開天巳成陰陽象定是男女元神便産生為天地主之聖中聖神是曰盛天五代之初大日靈貴尊亦 名天照皇大神某後生往月來地神五代之末到事代八十命須勢利姫命項霤〇昼夜頻而不止遣大幡主命令見給萓原之 中生稲一基有十穂枝不耕不耘壌土竒快哉米粒大方寸餘白靍一羽廻之啼還参奏上皇大神次進倭姫命使見萓原之中 誠竒々妙々靍聲也還参又奏上焉彼白靍随稲甘熟抜穂含來五十鈴川御宮皇太神奉掛玉垣故曰掛稲神事年御祭古今 無怠依而崇敬彼靍霊千歳正魂大歳大神(以下八文字不詳)此地賜斎田縣云云 右往昔誰人書記之仝也虫食及破損貞享年中磯部神主従四位信盛作礼敬而書記寫」 南伊勢町のサイトから、民話を引用します。 「⑥ 『倭姫命に稲穂を差し上げた鶴』 斎田 民話:「大歳社」 斎田に大歳社が祀られていた。今もここに石積みがあって、鶴の墓という。この鶴は霊鶴で、昔ここに住まい、 大歳社の使いで稲穂をくわえ、すぐ南の山を越えて磯部へ飛んでいった。 鶴の越えていったところから、この山を鶴路岳と呼ぶようになった。 この鶴は磯部で倭姫命(やまとひめのみこと)に稲穂を差し上げ、それから斎田へ戻り、千年の寿を終えて、 ここに祀られたという。また一説では、白鶴が一尺余りの大きな稲穂をくわえて飛んできて、その稲穂を大歳 の地に落としていった。村人は、その穂は神様がくださったありがたい穂だといって種子をまき、子孫へ伝え ることにした。また、その白鶴の霊を慰めるために、穂を落としたところには小さな碑を建て、その鶴がいつ 来ても食べられるようにと、田に稲を植えて長く伝えるようにしたという。」 すぐそばにある穂原神社の説明を、三重県神社庁のサイトから引用します。 祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根神、活津日子根命、熊野久須比命、多紀理比賣命、多岐都比賣命、 市杵島比賣命、大鷦鷯命、譽田別命、大年神、建速須佐之男命、大山祇神、御食津神、神名不詳一座 住所:三重県度会郡南伊勢町伊勢路1081 「明治41年5月12日度会郡穂原村大字押渕字中河内2074番地八柱神社、同境内社津島神社、三狐神社、 八幡神社、大字始神字里584番地若宮八幡神社、同境内社津島神社、山神社、大字斎田字御堂谷1615番 地八柱神社、同境内社三狐神社、津島神社、八幡神社、大字斎田字大年沖2017番地鵜倉神戸大年神社、大 字伊勢路字向山2287番地八柱神社、境内社津島神社、大字内瀬字大坪178番地瀧神社、境内社津島神社、 山神社、大字内瀬字高浜1549番地村島神社を穂原村大字伊勢路潜道1085番地の3、同番の4伊勢路字 横枕1084番地の6へ移転合祀の上、穂原神社と単称し、明治41年4月30日合祀奉遷式を行い、同年5 月30日移転完了。昭和9年11月27日現在地に社地移転遷座し奉る」 住 所:三重県度会郡南伊勢町斎田 電話番号: ひとこと:伊雑宮の所管社である「佐美長神社」は、倭姫がこの地で稲穂をくわえたマナヅルを見つけたと伝わる場所で す。 ここ穂落とし神社は、「白鶴伝説の地」とあり、斎田という地名なので、実はここが本来の場所なんじゃない かと思うのですが、漢文の説明を文字を追って読んでも、それがわかるような記述がない。 南伊勢町のサイトに民話のモチーフリストが掲載されており、どうやらこの地の鶴がこの地の稲穂をくわえ、 佐美長神社のあたりまで運んだということなのかな……と思います。 またもう一つの話が、神社の石碑にある物語っぽいですね。 石碑の物語では、稲穂を発見したのが、どうやら事代八十命須勢利姫命らしいところがひっかかります。 須勢利姫は出雲の女神。 素戔嗚の娘であり、大国主の妻ですよね。 なぜ伊勢の地に出雲の姫が? また、稲作の始まりに絡んでいるらしいのも……。 貞享は1684年から1688年。 江戸時代初期には、そういう伝承が伝わっていたということです。 江戸時代の国学者のせいで、いろいろ歪んだと思うんですが、それ以前の伝承はこうだったと。 これ、かなり面白いですよね。