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波切神社

nakiri




  祭  神:國狹槌神
  説  明:境内にあった案内板を転載します。
      「鯨石
       波切でも昔は鯨漁が行われ、盛んな時もありました。
       その頃、獲れた鯨の腹から石が出る事が幾度かありました。
       そんな石に神秘的なものを感じた人たちが神社に持ち込んだりしたようです。
       今もここ波切神社にその石が祀られています。」
      「わらじ祭
       昔、大王崎の沖に、ダンダラ法師と言う一つ目の巨人が住んでいました。
       この巨人、海は荒らす、村の娘はされっていくという悪さのし放題。
       そこでこの法師に困った村人達が団結して、大わらじを編み、海に向って流
       しました。
       すると一つ目は自分より大きな巨人が居ると思いこんで、以来悪さをしなく
       なりました。という伝説にちなんで年に一度、9月中の日に波切神社で神事
       を行った後、畳一畳程の大わらじを海に流し、海上安全と大漁を祈願します。
       この神事は県の無形文化ざしに指定されています。」

       ダンダラボッチ公園にあった案内板を転載します。
      「わらじ祭のおこり
        ダンダラ法師の物語
       そのむかし、秋の頃、大王崎の東北(鬼門)の大王島に海神八大龍王に追わ
       れたダンダラ法師という大男がおり、波切の浜にやってきては神通力で雲を
       呼び、風を起こして暴れていました。
       砂浜は怒涛に見舞われ、その帰る時には必ず里の美しい娘を順番にさらって
       いくため、里人の心は日ごとに暗くなっていきました。
       ある日、そのダンダラ法師が野名の海岸に立ち、ふと足元を見ると、谷間に
       一軒のとま屋があり、中で一人の美しい娘が一生懸命ワラムシロを編んでい
       ました。
       実はこの娘、産土神・葦夜権現の化身であったのです。ダンダラ法師はこの
       ことを知らずに、娘に向って『お前の作っているものはなにか?』と聞きま
       した。
       すると娘は静かな面持ちで『これは千人力の村主の履くわらじです。』と答
       えました。
       ダンダラ法師は驚きました。こんな大きなわらじを履く大男がいる里へは侵
       入できないと方向を変えて、大里のイソ浜の島に跳び移りました。
      (この島には畳一枚丈の足跡型のクボミが残っており、ダンダラ島と名付けら
       れました。)つぎに里を見ると、浜州の網納屋の前で数人の漁師達がイワシ
       網のつくろいに精を出していました。その向こうには大きなボテカゴが置い
       てありました。この漁師達も産土神の化身とは知らないダンダラ法師は、同
       じようにその漁師達に向って『それは何に使うのだ?』とたずねました。
       年寄りの一人が穏やかな笑顔で網を指差し、『これは村主の下帯(ふんどし)
       じゃ。』と言うと、ダンダラ法師は急に身を震わせながらボテカゴに目をや
       り、今度は、『あれは何だ?』と聞きました。里人はここぞと力を入れて、
      『あれこそ千人力の使う飯箱じゃ』と答えました。聞くやいなやダンダラ法師
       は肝をつぶし、一目散に逃げ帰ってしまったということです。
       それからは海はなぎ、秋晴れの日が続き、浜は大漁でにぎわったということ
       です。
       それ以来、波切では毎年九月申の日に大わらじを海に流して大漁を祈ってい
       ます。」
  住  所:三重県志摩郡大王町波切1
  電話番号:
  ひとこと:ダイダラボッチの話しは各地に残っているようですが、ここ、波切のダイダ
       ラボッチは、「ダンダラ法師」というようです。

       一つ目であること・風を呼ぶこと・伊勢に近い場所

       地元の方に、
      「ダンダラ法師は、台風の擬人化でしょうか?」
       と尋ねて見ると、
      「わしはそう思ってるよ」
       との答えでした。

       ダイダラボッチという巨人の伝承は、どうやら各地に残っているようで、知
       人曰、茨城県にもあったそうな。

       そして、その山のような巨体・一つ目・「ダイダラ」という名・風と関係す
       ることなどから、製鉄と関係が深いのではないかという推論は、よく目にす
       ることだろうと思います。

       一つ目が製鉄と関係が深いというのは、いろいろな理由があるようで、例え
       ば、古代の製鉄では、明るさや、溶鉄の飛沫などで目がつぶれる鉱人が多か
       ったからだとか言われていますが、実際はよくわかりません。

       一つ目の妖怪については、神人が霊感を得るために片目をつぶしたという伝
       承から、神人や神の零落した姿であるという説もあったはず。

       霊感だけでなく、人が何かを得るために、自分の持っている何かを犠牲にす
       るというのは、特段驚くような発想ではないと思います。

      「ダイダラ」という名については、製鉄と関係の深い、「タタラ」と音が通じ
       るわけですね。

       そして、製鉄には、「ふいご」がつきもの。
       ひいては、風がつきもの・・・というわけです。

       伊勢で製鉄の遺跡は見たことがないんですが、若尾五雄さんの「黄金と百足
       によれば、ササユリは鉄鉱の山に咲く花で、製鉄と関係が深いとか。

       道の駅伊勢志摩に立ち寄ったら、
      「ささゆりパーク開園」との看板が。
       伊勢はささゆりの名所なのだそうで、伊勢のダンダラボッチも、やはり製鉄
       に関係が深かったのかもしれません。

       さて、いつも、旦那と言い争いになることがあります。

       台風が一つ目であることを、古代の人が知り得たかどうかについて、です。

       私は、台風の通過の際、ぽっかりと晴れ間がやってくることを、昔の人は感
       じとっていただろうから、
      「台風には目がある」
       ということを知っていただろう・・・派・・・です。

       旦那は、「人工衛星かなんかで上空から見ない限り、台風に目があるなんて
       発想になるわけない」・・・派・・・です。

       大阪に住んでいると、自分の住む地域が台風の目に入ることなんてそうそう
       なく、実際、上空よりの目を持たない人々が、台風に目があることを感じ取
       れるかどうかは実感としてわからないんですけどね・・・。

       ま、どっちにしてもです。
       気になるのは、「娘を攫った」というくだり。

       もし、ダンダラボッチが台風ならば、それほど不思議ではないかもしれませ
       ん。
       古代のこと。台風の度に、犠牲になる人は何人かいたでしょう。
       その中に、若い娘さんもいたでしょうから、そのことを、「娘を攫った」と
       表現したのかもしれません。

       しかし、それならば、何も娘さんだけが攫われたという表現にする必要はな
       いわけですよね。
      「村人を攫った」とすれば良い。
 
       もしかしたら、台風が来る度に、娘を海の神に差し出した・・・つまり、人
       身御供にしたという歴史もあったのかもしれません。
       
       もし、ダンダラボッチが製鉄に関係があるとしたらどうでしょうか。
       製鉄に携わるのは、多くは男だったでしょう。
       なのに、娘が攫われたとする。

       これにはいろいろな意味が見て取れそうにも思うわけです。

       現実的な想像をすれば、
       製鉄の民に娘がかどわかされたとか。
       
       もしくは、やはり、製鉄に際して、「事故のないように」と人身御供を出し
       た・・・とか。

       そのあたりの謎を解く鍵は、「わらじ」なんでしょうけれどね。

       わらじというより、縄で編んだもの、なようにも思います。

       全く関係ないかもしれませんが、私は、海に浮かんだわらじを思い浮かべて、
       それに、「娘を攫う」という表現を付け加えたとき、弟橘姫を思い出さずに
       はおれません。

       弟橘姫は倭建命の妃でした。
       姫の名前が出てくるのは、倭建命の東征の時のこと。
       走水を渡ろうとしたとき、海神・・・渡神が海を荒らして、船を沈めようと
       したのです。

       弟橘姫が生贄となってやっと海は静まり、倭建命の船は陸地へと進むことが
       出来たのでした。

       古事記によれば、弟橘姫が海神の生贄となる時、菅の畳八枚、皮の畳八枚、
       絹の畳八枚を波に浮かべ、姫はその上に降り立った・・・とされています。

      「畳」と表現されているものと、「わらじ」・・・。
       見た目は似ているのではないでしょうか。

       とすれば、伊勢のダンダラボッチは、やはり風の神。
       それとももしくは・・・倭建命と製鉄の関係が深かったのでしょうか。

       製鉄と風。
       伊勢のダンダラボッチは、どちらと関係が深いのでしょうね。

       ま、両方と関係があったのかもしれませんけどね。

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