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祭 神:高おか大神 罔象女大神 埴山姫大神 伊弉冉大神 説 明:境内案内板を転載します。 「菟田川朝原傳稱地 日本書紀ニ神武天皇戌午年(御即位前三年)九月、丹生川上ニ陟リテ天神地祇ヲ 祭リ給ウ。 則チ彼菟田川之朝原ニ於テ譬ヘハ水沫ノ如ク呪リ著ル所有リト記サレタル菟田川 之朝原ハ此ノ地ナリト傳ンヘラレル」 住 所:奈良県宇陀郡榛原町雨師366 電話番号: ひとこと:この地名である「雨師」とはどういう意味かわかりますか? そりゃぁ、「医師」は医療の技能を持つ人だし、「楽師」は音楽の技能を持つ人 だから・・・。 「雨師」は、雨の技能を持つ人だろう??? って? はっはっはっはっは、オ~~ゥ、ト~~ムヽ('ー`)ノ 雨の技能っていったいなんなんだ~~~い( ̄▽ ̄)ノ ・・・はっ( ̄△ ̄) !!!! すいません。 アメリカ人の霊が乗り移ってしまいましたノ(´д`) 私の「雨師」に対するファーストインプレッションは、まさに、「雨をどうこう する技術者」というようなイメージだったのですが、実は、これ、チャイニーズ のラングウィジです。 「師」という言葉は、ジェネラリーに思い浮かべる「技能者」という意味ではなく、 ゴッドを意味するようで、「雨師」とは、レインのゴッド。 ジャパニーズで言うと、「雨を司る神」のことなのですね。 オウΣ( ̄口 ̄;;!! マタ、アメリカ人ニナッテシマウマシタ。 ・・・嘘です(^^ゞ この調子で行くと話が進みませんので、霊は祓ってしまいましょう。 バサッバサッ!!ムニャムニャン~~~バッ!!! さてと。 それにしても、不思議なのは、 風の神は「風神」 雷の神は「雷神」 なのに、なぜ、 雨の神は「雨神」 といわないのでしょうね? 私、「雨神」という言葉はまだ見たことがないです。 「○○師」という表現が、中国のものだとしたら、「雨を降らせる神」という発想 そのものが、中国起源なのかもしれません。 日本の文化は、いろいろな国の文化が流れ込み、調和し合い、そして完成したも のだと思います。 日本神話だけを見ても、いろいろな神話との相似が見えます。 イザナギ神の黄泉の国探訪神話は、ギリシャ神話のオルフェウス神話と、デメテ ルの神話を思い出させます。 黄泉の国探訪神話というのは、産褥で亡くなってしまったイザナミ神を追いかけ て、イザナギ神が黄泉の国まで迎えに行く話です。 イザナミ神は、「私は黄泉の国のものを食べてしまいましたので、元の世界に戻 れません。でも折角迎えに来てくださったのですもの。交渉してまいります。で も、待ってる間、私の姿を見ないでくださいね~~~」と言い残して去ります。 もちろん、イザナギ神は約束を破って、イザナミ神の姿を見てしまい、二人は、 大喧嘩!! これが日本神話における、黄泉の国探訪記です。 ギリシャ神話のオルフェは、亡くなった妻・エウリデュゲを追いかけて冥府へや ってきます。 オルフェの琴の音に見せられた冥王プルートはエウリデュゲを返すことを許しま すが、一つだけ条件を課します。 「地上に着くまで降りかえるな」 地上に着く寸前、オルフェは振り返ってしまい、エウリデュゲは冥府へと引き戻 されてしまいましたとさ。 喧嘩するヒマもなし(笑) そして、デメテル神話は、デメテルの娘・ペルセフォネが冥府の王プルートに攫 われるところから始まるんです。 豊穣の女神であるデメテルが怒ったため、地上は不作に見舞われてしまい、ゼウ スは、プルートに「ペルセフォネを返しなさい」と命令せざるを得なくなります。 しかし、ペルセフォネは冥府のざくろを3粒食べてしまったため、12ヶ月のう ち3ヶ月は冥府にいなくてはならなくなった、という話。 ギリシャ神話がどのような経路で日本に入ってきたか。 匈奴により大陸を横断。そして、モンゴリアンの流入と共に・・・と習ったよう な記憶がうっすらとあります(笑)。 そして、ポリネシア神話には、 因幡の白兎や、山幸彦・海幸彦そっくりな話しがあります。 因幡の白兎の話しは、白兎が鹿に変わっていることと、鰐が復讐をしようとする 前に鹿が逃げおうせてしまうこと以外はそっくりです。 山幸彦・海幸彦については、「茅渟神社」の説明に記載してますんで、すいませ んが、見てくださいませ(^^ゞ かな~り似てます。 ポリネシアの人々はかなり昔に、海流に乗って日本へやってきたのだと思われま す。 そして、中国大陸の影響は、こりゃもう計り知れないでしょう。 というわけで、「雨師」も中国伝来なのかな? と思うわけです。 そして、祈雨という行為自体が、「大陸伝来」なのかもしれないな、と思ったり するのです。 ポリネシア・インドネシアの人々は、雨を待って、雨を祈ったりするのでしょう か? スコールに見舞われる国で。 果物が豊富な国で。 あまり聞いたことがない・・・と思うんですが。 ただ、南洋ルートで日本へやってきた人々が、日本においても、雨乞いの儀式を 持たなかった、とも思えません。 彼らは、日本の風土に馴染む途中で、祈雨の技術を習得したかもしれません。 それまで、干天に苦しんだことのない人々であれば、その祈りは強烈なものだっ たのでしょうね。 そんな中で、南洋起源の人々が、最終的に雨乞いのエキスパートになっていった ということもあるかもしれません。