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鷺栖神社

sagisu




  祭  神:天照皇太神 譽田別命 天兒屋根命
  説  明:境内看板を転載します。
      「当社は里人鷺栖八幡と称し、『延喜式神名帳』に『鷺栖神社靭』とあり、
      『古事記垂仁天皇紀』に鷺栖池の記事と『釋日本紀』所引『氏族略記』には
       鷺栖坂の『玉林抄』に『按するに鷺栖の地名今四分村に在り』と云い又、
       池坂も神社の附近にありました。
       又右御祭神をもって大和三山の中心地点に創立されたものでありますが、
       その年代は詳かでありません。しかし、延喜式内社として古くから広く知
       られていることから考へてみると、たしかに千数百年以前の創立にかかる
       ものとおもはれ、まさに藤原京以前の旧社であることは、うたがい得ぬ事
       実であります。
      『古事記』によれば垂仁天皇の皇子たる本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝
       の折、ここにお立ち寄りになり御祈願あらせられた事になっております。
       なお、『大和志』巻十四に『鷺栖神四分村に在り、中古より鷺栖八幡と称
       せられ武神として崇敬高く、次で安産の守護神ともなり地方人からあがめ
       られた』という意味のことが記されています。
       尚、同じく『鷺栖八幡』と称し(城殿、小房、縄手、醍醐、四分)の五大
       字で祭祀にあづかるということが記されて居ります。」
  住  所:奈良県橿原市四分町305
  電話番号:0744−23−1181
  ひとこと:古事記に、本牟智和気皇子がこの神社に立ち寄ったと書かれているという
       ことは知らなかったので、パラパラとめくってみると・・・。
       なるほど。鷺栖神社に寄ったとはかかれていませんが、こんなエピソード
       が挿入されています。

       つまり、本牟智和気皇子は大人になっても言葉が使えなかったのですが、
       それは出雲の神の祟りであるという夢のお告げがあったのです。

       そんなわけで皇子は、出雲に神を拝みに行くのですが、その前に、曙立王
       が占いをするんですね。
       そこから引用しましょう。

      「よってその御子をしてその大神の宮を拝ましめにおやりになろうとする時
       に、だれを副えたらよかろうかと占いましたら、曙立王が占いに合いまし
       た。よって曙立の王に仰せて誓言を申さしめなさいました。『この神を拝
       むことによって誠にその験があるのならば、この鷺の巣の池の樹に住んで
       いる鷺が我が誓いによって落ちよ』かように仰せられた時にその鷺が池に
       落ちて死にました。また『活きよ』と誓をお立てになりましたら活きまし
       た。」  

       つまり、曙立はマジシャンだったというわけでしょうか。
       西洋でも、海の上を歩いたり、紅海を割れさせたり、水をワインに変えた
       りするおじ様達がおられますしね。

       マジシャン(magician)という言葉には、手品師・奇術師という意味と共
       に、魔術師・魔法使いという意味があります。多分、錬金術師もやはりマ
       ジシャンと表現されるでしょう。

       曙立や、海割れのおじさんや、水上歩きのおじさんが、どちらの意味で、
       マジシャンだったのか、今となってはわかりません。

       ただ、ちょっと面白いのは、マジシャンの役割です。
       海割れのおじさん・・・モーゼは、出エジプトのリーダーでした。
       水上歩きのおじさん・・・イエス・キリストは・・・神の子でもあり、贖
       罪者でもあり、いろいろあるわけですが(笑)、「キリスト教の教祖」と
       いう見方もできるでしょう。
       西洋のマジシャンは、「リーダー」なんですね。

       翻って日本を見ると、曙立は、「だれを副えたらよかろうか」と、占われ
       た末選ばれています。つまり「副」。「副会長」「副委員長」と言ったら、
       サブという意味合いになりますが、「副」を「そえ」と読めば、まさに、
      「そえもの」なわけです。

       奇蹟を起こすのが、リーダーではなくて、その側近の者・・・という逸話
       は、日本神話にはよく出てきます。
       神武天皇における、道臣命や、仲哀天皇にとっては、妻・神功皇后など。

       モーゼもキリストも、スタンスとしては、
      「神の威を借りて」奇蹟を起こしています。
       それは、日本も同じ。
       天照大神や高皇産霊神の力を借りて奇蹟は起きています。
       が、それを具現するのがリーダーではなく、サブである・・・。

       なじぇ?

       集団を統率する際に、「飴と鞭」を用いたのは、ビスマルクが有名ですが、
       実のところ、ニュースを見てると、ほとんどの国がこの政策をとってるん
       ですよね。
       日本でも、「消費税を上げる代わりに、累進課税率を・・・」(って古い
       なぁ(^^ゞ)なんてことが、私には印象深いんですが、その他にも、改革の
       際には、必ず、良い面と悪い面を強調されます。

       で、ちょっと話しは違いますが、実は、副リーダーが鞭型で、リーダーが
       飴型だと、集団はよく従うなんて話しがあります。
       またその反対もあり得るでしょう。

       それはまぁ、総理と官房長官に置き換えて評価・批判される時によく見る
       レトリックなんですけど、実際、当たってるんじゃないか、と思います。

       副リーダーが厳しい策を押し付けようとしているところに、リーダーがや
       ってきて、「まぁまぁそんなに厳しいことを言わんと」となだめ、副リー
       ダーよりも、少し軟化した策を提示してみせる。
       最初からその策を持ち出されたら、不満を口にしていたかもしれない民衆
       でも、こういう状況ならば、素直に受け入れ易くなるわけです。

       つまり、人々を引っ張るには、リーダーとサブがいた方が容易だ、とも言
       えるわけですよね。

       つまり、日本神話において、リーダーは勇者で、サブは魔術師であった。

       RPGでもそうじゃないでしょうか。
       パーティーを組む際、勇者がリーダーで、魔術師はサブ的役割が多いんじ
       ゃないでしょうかねぇ?
       いえ、私はポケモンしかしたことないんで、よく知りませんが。

       その点、モーゼ・キリストには、サブ的存在がいませんでした。
       ・・・実際はいたんでしょうが、というか、私の認識・知識不足かもしれ
       ませんから言い方を変えましょう。
       私は知りません。
       
       そんなわけで、リーダーが魔術師も兼任していたのかもしれないですね。
        
       ただ、「宗教」という観点からすると、やっぱ「リーダー」が奇蹟を行う
       方が収まりは良いんですが・・・。
       そんなことを考えると、記紀神話というのは、「神話」でありながら、宗
       教色は薄く、実は「冒険物語」だった、と言えるのかも・・・しれないか
       なぁあ??

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