kenkou

佐香神社

saka

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神田

saka


御厨のあったとされる場所




  祭  神:久斯之神
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「出雲国風土記(天平五年二月)に、「佐香郷。都家の正東四里一百六十歩なり。
       佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給いて、酒を醸させ給いき。即ち百八十日
       喜讌して解散坐しき。故、佐香という。」とある。現在、当神社が鎮座されている小境は、
       出雲国風土記の「佐香」が転訛して、「古佐香井・古酒井・古酒恵・濃酒井」となったも
       のといわれている。
       主祭神の「久斯之神」は、いわゆる、「薬師の神」であり、さらに、出雲国風土記の古事
       にあるように、「酒造の神」でもある。また、「醸す」とは、ただに、酒を醸造すること
       のみでなく、醤油・米酢・味噌等を醸造することでもある。一方、大山咋命は、世に言う
      「山を護る神様」で、森林業、鉱山業の守護神である。
       そして、配祀神である天津彦彦火瓊瓊杵尊は、「海を護る神様」で、漁撈豊漁の神である
       とともに、海上運航安全の神として広くあがめまつられている。
       木花咲耶姫之命は、縁結びの神であり、安産の神である。社殿の造営には、古来より、国
       造・国主の命によってなされており、国造・国主はもちろんのこと、藩主松平公ならびに、
       巡見使等、ことのほか崇敬されていた。これは、現在、社宝とされている鎧一領および文
       箱一式が、松平家より奉納されていることでもうかがわれる。
       十月十三日は秋季大祭である。この日を前後して、翌年二月ごろまで、酒造りの「杜氏」
       ならびに、各種醸造の関係者の参拝はあとを絶たない。しかも中国5県は言うに及ばず、
       遠く四国・九州・神戸の灘地域からも参詣され、御霊験はますますあらたかである。
       明治二十九年十一月十九日付、勅令第二八七号酒造税法施行規則第四五条に依り、「濁酒
       年一石以下無税」の許可を得て今日にいたり、大祭当日は、一般参拝者一同、この神酒を
       戴いて、家内安全、五穀豊穣を祈るのである。
       佐香川の清き流れを汲む人は世にもまれなる酒醸すらん(千家尊紀)
       代八千代神世ながらに佐香の山ふるきみ山を仰ぐ尊さ(北島全孝)」
  住  所:島根県出雲市小境町108
  電話番号:
  ひとこと:早朝に参拝したら、ちょうど朝のお勤めが始まりました。
       宮司さんがいろいろお話ししてくださったのですが、この神社の例祭でふるまわれるお酒
       は、社前の神田で収穫された米を、宮司さん自らが醸すのだとか。
      「宮司本人が杜氏を務める酒の神社はここだけだと思います」
       とおっしゃっていました。
       
       そういえば、杜氏の語源は、社司。
       つまり、神職だという説もありますね。
       
       祭りに使うお酒を神職自らが醸したのだとか。
       ……この神職は女性だった可能性も高い気がしますけどね(笑)
       
       ところで薬師が酒の神様なのは、少彦名も同じ。
       場所を考えても、まったく無関係ではないと思います。
       そう考えたとき、少彦名は男性だったのか女性だったのか……。
       
       病に苦しむ女性を救う信仰を各地に広めたのは、出雲の阿国ら歩き巫女ではなかったかと
       思っているのですが、彼女たちが「女性を救う神」としたのは、一人ではなかったと思い
       ます。
       
       仏教では観音様でしょう。
       民間信仰なら、静御前や淡島様、中将姫、神功皇后、倭姫……。
       
       その多くが少彦名と深い関係を持っていることにお気づきでしょうか。
       
       少彦名が隠れ棲んだとされるのは「静の窟屋」ですね。
      「しず」が静御前と共通するのは偶然ではないと思います。
       
       淡島神社のご祭神は、少彦名と神功皇后。
       ひな人形のモデルはこの二人だとも。
       そういえば神功皇后は応神天皇の成人式(?)で酒を醸し、
      「このお酒は少彦名の醸したお酒です」
       と謡っていますね。
       
       そして中将姫は継母に捨てられた雲雀山で、薬草を育てたエピソードから、「中将湯」な
       どという商品が生まれています。
       薬といえば少彦名ですよね。
       
       いろいろと想像してしまいます。
       
       さて、風土記にある「百八十神等集い坐した御厨」は、神社から少し離れた丘の上にあっ
       たようです。
       
       出雲での酒造りの風景はどんなものだったのでしょう?
       百八十神が飲んだお酒を醸したのは男性?それとも女性?
       
       もう少し詳しく記述してほしかったなぁ(笑)

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