kenkou

狭宮神社

sanomiya




  祭  神:若沙那賣命 八幡大神
  説  明:ご由緒を転載します。
      「薬草の里、山南町和田に鎮座する古社で、既に平安時代には国から幣帛を
       頂く延喜式内社に列格し、古来より通称『さみやさん』で親しまれていま
       す。
       主祭神に若沙那賣命、相殿神に八幡大神を奉斎し、若沙那賣命は稲(いね 
       即ち いのちの根)を司っておられ、早乙女の様にお若くて清らかな少女
       神様で、八幡様と共に、健康長寿を始め五穀豊穣・厄除・交通安全・心願
       成就の守護神として広く崇敬されています。
       特に正月の初詣、1月第三土日の厄除大祭、7月25日の天神祭(夏祭り)
       は多数の参拝者で賑わいます。」
  住  所:兵庫県氷上郡山南町和田138
  電話番号:0795−76−0059
  ひとこと:若沙那賣命というお名前は、「わかさなめのみこと」とお読みするようで
       す。

       古事記によれば、大年の神の系譜に名が出てきます。
       すなわち、
     「(大年の神が)羽山戸の神、大気都比売の神に娶ひて生みませる子、若山咋の
       神。次に若年の神。次に妹若沙那売の神。次に弥豆麻岐の神。次に夏の高津
       日の神。またの名は夏の売の神。次に秋毘売の神。次に久久年の神。次に久
       久紀若室葛根の神。」

       大年の神様も、大気都比売神も穀物の神様ですから。
       若沙那売の神が穀物の神様である、というのは非常に自然ですね。

      「さなめ」という音も、「早苗」を連想しますし。

       しかし、兄弟そろって意味深なお名前です。

       角川文庫のふりがなを拾っていきますと、
      「わかやまくひ」「わかとし」「わかさなめ」「みづまき」「なつのたかつひ」
      「あきびめ」「くくとし」「くくきわかむろつなね」。

       神名に「わか」がつくのは、上から3柱。
      「大山咋(おおやまくひ)」「大年」という神様は存在しますから、もしかし
       たら、「大沙那売」という神様も存在するのかもしれません。

       そして、次の神様が、「みづまき」この音は、「水撒き」を連想しますよね?

      「わかさなめ」「みずまき」と続くわけで、
       早苗に水を撒いている状況を想像してしまいます。

       そして、その次の神様が、夏の高い日差し・・・。

       う〜〜〜ん、こりゃ豊作間違いなしですね(笑)

       次の秋毘売は・・・。
       秋のなんなんでしょうね?
       受粉を促す適度な風を送り、大風から稲穂を守る、風の神様、と考えれば、非
       常に豊作っぽいんですが(笑)

       次の二柱の神は、なお難解です。
       ただ、「くく」という音には、何か心躍るものがあるのですが・・・。
       それは、「くくりひめ」や、「くくちひこ」という、これまた難解な名前を連
       想するからでしょう(^^ゞ

       日本神名辞典には、「くく」は「茎」の転訛であろうと説明されていました。

       と、かなりいい加減な推測を並べましたが、ただ、やはりこの兄弟神は、全員
       揃って、稲作を応援しているように思えます。

       ゴレンジャーは「五人揃ってゴレンジャー」なわけです。(←古いのぉ(T_T))
       敵の手下は、赤レンジャー一人だけでも倒せますが、とりあえずの強敵(ボス
       じゃなくても)に対しては、五人でかからねば勝てない・・・となっていまし
       た。

       この兄弟神も一同に会すべき神々なように思えてなりません。
       しかし、この神社のご祭神は、「若沙那売命」の一柱のみ。
       この神に何か重大な意味があるのか、と考えるわけです。

       もし、本当に、若沙那売命が「早苗」なのだとしても、苗は苗だけで稲に成長
       できるわけじゃありません。
       水があって太陽があって風があって始めて稲となり、稲穂を豊かに稔らせるわ
       けですよね。

       ですから、「稲の豊作」を祈るなら、若沙那売命だけを特別にお祀りする理由
       とはならないように思います

       それじゃ、なぜ?

       納得の行く説明として、
      「地域としての、役割分担があった」
       なんてことを思いついたりします。

       広い丹波の中で、この狭宮があった地域は、苗を提供する地域だった。
       そして、他の地域は、太陽の日差しを祈る役割。
       適度な風を祈る役割。
       などをそれぞれ担っていた、と。

       そう考えると、この山南町が「薬草の里」とされていることにも、合致するん
       じゃないか、と。

       つまり、この土地は、昔から薬草や苗を育てるのに良い、肥沃な土壌だったの
       だ・・・などと。

       私なんぞは、す〜ぐ偏った考えをしちゃうので、薬草、と聞くと、
       スクナヒコナの神様とか中将姫に思いを馳せ、薬草を作ることを生業としてい
       た人々とはどのような人なのか、その人が住んでいた地域の共通項は?などと
       脱線してしまうのですが、
       ただただ、
       土壌が、それに適していた、と、素直に考えることも出来ますね。

       でも・・・。
       そういや、「若沙那売命」の、若くて清らかな乙女という説明は、中将姫にも
       当てはまるなぁ・・・と・・・。

       ほんと、懲りない奴σ(^^;)

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