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赤穂神社

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  祭  神:天児屋根命 天満宮 弁財天
  説  明:案内板によりますと、
      「古来、高畑町の春日社神官邸町の西端の地に鎮座して久しく里人の尊崇
       を受け給う。
       平安時代『延喜式』所載の古社にして、かの二月堂お水取りに読み上ぐ
       る神名帳にも赤穂明神とあり、連綿今日に至るまで、読誦せらるゝ古例
       なり。
       上古、天武天皇紀六年に十市皇女を同十年に氷上ノ夫人を『赤穂に葬る』
       とあるは、蓋しこの地辺ならむ。もと社地広大にして数百余坪、桜樹多
       く、幕末頃まで、桜田の地名ありき。
       近世の記録には、天児屋根命を祀るとせるも如ふるに、『高貴の姫君を
       葬る』との口碑伝承あるはいと久しく、女人守護の霊験久しかりし証な
       り。
       明治御一新の後、この里荒廃し、二百戸近き社家・禰宜の大半は離散し
       て築地塀のみ虚しく残り、秋艸道入堀辰雄らの文人愛惜の詩文あり。
       されどより深く嘆きまさりし里人有志滅びゆく天満宮祉・弁財天を合祀
       して赤穂社の左に配し、今に二社並存す。
       昭和五年以来、この地の産土神鏡神社の別社となり、地元有志の再興の
       至誠を注ぎつゝ今日に至る。
       神徳の長久を仰ぎ、先人の篤信を継承して復興の機運を待望する所以な
       り。」
       とあります。
  住  所:奈良市高畑町1320 
  電話番号:
  ひとこと:十市皇女が葬られているかも知れない神社なわけです。
       この皇女については、
      「河の上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな 常処女にて」
       という、彼女の侍女・吹黄刀自の歌の印象が強いのではないでしょうか。
       苔生さない清い岩をこの皇女に例えているのですね。
       清らかな姫君だったんでしょう。

       彼女は、壬申の乱の敗者、つまり、大友皇子の正室でした。

       そして、壬申の乱の勝者側・高市皇子が、皇女の死に際し、こんな挽歌
       を詠んでいます。

      「三諸の 神の神杉 夢のみに 見えつつ共に 寝ねぬ夜ぞ多き」
       夢に見るのに、共に寝ない夜が多かったことよ、と。
       つまり、共に、寝る夜も、あった・・・と。

      「神山の 山辺真麻木綿 短木綿 かくのみ故に 長くと思ひき」
       皇女の命は長いと思っていたことよ。かな?

      「山振の 立ち儀ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく」
       若干説明が必要ですが、この山振(やまぶき)の清水は、死者を蘇生さ
       せる力があると思われていたようです。

       ん〜〜〜。間違いなく、この二人、デキてましたね。

       万葉集を見ていると、思う人と結ばれず苦しんでいる男女のなんと多い
       ことか、と、驚きます。

       日本のそれほど長くない歴史の中で、にしても、思う人と結婚できるよ
       うになったのは、本当にここ、50年ほどのことなのですね。

       いや、それにしても、十市皇女の両親が誰かご存知ですか?
      「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
      「紫草の匂へる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも」
       と詠い合った、額田王と大海人皇子なのです。

       ふぅむ。

       さて、不謹慎ですが、いきなりオットセイの恋愛について考えてしまい
       ました。

       オットセイってのは、一番強い雄が、その群れの雌を独り占めするわけ
       です。
       ハレムになるわけです。

       だからこそ、オットセイの睾丸が、精力剤として売られてたりするわけ
       ですが、つまり、一番強い雄以外の雄は、そんだけ精力的なのにも関わ
       らず、雌と交合できないわけです。

       動物の場合、強い個体と強くない個体との間には、すごい差があります。

       食事も住居も恋愛も、弱い個体は、体外、強い個体のおこぼれです。

       でも、オットセイに関しては、弱い雄は、おこぼれさえもらえない。
       自分の遺伝子を残すことは、あきらめなくちゃならないんですね。

       人間は、遺伝子のことは考えない。
       だから、天智天皇は、大海人皇子の娘・十市皇女と、自分の息子・大友
       皇子を結婚させるわけなんですね。

       あ、そうか。天智天皇と大海人皇子が兄弟だったら、遺伝子うんぬんは
       それほど思わないかもしれませんね。

       でも、何よりも、人間社会では、敵、もしくはおもねりたい相手に、自
       分の遺伝子を受け継ぐ者・つまり娘を嫁がせるということがよくあるよ
       うです。

       そうすれば、敵や他の遺伝子を断絶することはできないけれど、自分の
       遺伝子をあちらこちらに送り込めるわけです。

       オットセイは、自分の群れの中だけの話だけど、人間は一枚上手で、他
       の群れにまで目が行ってます。

       だから、大きい目で見たら、自分が思う人と結ばれないことは、そんな
       に嘆くことじゃない・・・ってのは、もちろん、詭弁です。

       人間は、「個として生きていくためのプログラム」が特別我をはってる
       というだけなのかも知れませんけど、自分の人生というものについて、
       悲しんだり喜んだりする気持ちがありますからねぇ。

       でもね、ほら。私達の祖父母世代も、自分の思う人と結婚できた人は少
       ないんじゃないですか?

       でも、若い頃の恋の話を聞いてみてください。
       額田王や、十市皇女が感じたであろう、と、私達が勝手に想像するよう
       な、生々しい苦しみは、そこに感じられますか?

       だからといって、祖父母が、苦しまなかったに違いないなんて乱暴なこ
       とを言うつもりはないのだけれど。
       時間が、むきだしの感情をくるんでくれたのかも知れないけれど。
       なんとなく、なんとなく・・・。

       万葉集の歌を、そのまま受け止めたとしたら、どうしても、
      「あんたら大げさに苦しみすぎ」
       といいたくなる。

       人は苦しいからこそ歌を詠むのかも知れず、苦しみすぎるのは当然かも
       知れないけれど。

       もう一ついえるかも知れないのは、万葉集の時代は、大げさに苦しんで
       見せるっつぅ文化があったのかも・・・。

       でも、後世の人が、今の時代の流行歌(ふるい表現ですね、なんとも)
       を聞いたら、同じ感想を持つのかも知れませんねぇ。

       なわけで、歌ってのは多分。
       あくまでも、自分の感情の、絵になる部分を、切り取ったものなんじゃ
       ないか、と考えれば、額田王や、十市皇女を、「恋に生きた女性」と、
       評価するのは、当たってないんじゃないか、と、思ったりするんです。
       なんか、失礼じゃないですか。

       それよりも。特に額田王に対しては、「ちょっとしたことをエンターテ
       イメントに仕上げる、サービス精神もテクニックもある女性」と。

       そう、評価しないと失礼ですよね。

       なんかつまんない結論ですいません。

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