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青海神社

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  祭  神:椎根津彦命
   (合祀)倉稲魂神(稲荷大神)
       八幡大神(應神天皇 神功皇后 比咩大神)
  説  明:栞を引用します。
      「鎮座地伝承
       飯豊青皇女(第十七代履中天皇の皇女。水鏡には第二十四代飯豊天皇と記載)
       は忍海皇女とも申し上げ、海部を御統治になり、青郷の海部(丹後地方を中
       心に海部があった)も、皇女の私民であり、その御名代の御料地であったと、
       旧事本紀並びに帝王系図に書かれております。
       皇女が御名代わりとまで、御慈しみになった青の地に、その青の人々(青海
       の首)の御先祖の椎根津彦命をお祀りになったと伝えられていることは、無
       理のないことであると思われます。
       しかも、その境内に禊(みそぎ)をなされた地があったと伝えられ、現在、
       御本殿後方の川岸に近い所の窪みの池がそれであると言い伝えられています。
       古き書物には、昔の阿袁(あお)郷、現在の青郷、内浦、丹後の大浦一帯の
       総鎮守の宮であり、若狭・丹後の海の漁場守護神であったと当地を伝えてお
       ります。又、舞鶴市の森の弥加宜(みかげ)神社(大森さん)、余保呂の神
       社、当社の三社は兄弟神さんだと言われ、当社も大森さんと言われておりま
       す。
       特殊神事
       旧正月三日に行われる伝承神事の柴祈念は現在、祈念大祭の祭典に組み込ま
       れて実施されている。神饌には牛の舌御供(大判形のし餅)と柴の杷を用い
       る。祭典中宮司の祝詞奏上後この神饌を献上し、氏子中横津海区による神主
       所役が諸員に宣命式の宣詞を述べるが三節に区切ったその節ごとに献上した
       柴を持ち、行司所役がワッと声をあげて神主所役を叩く。(打った柴はその
       つど別におく)この柴を氏子が参拝して、頂いて各家に持ち帰る。この柴杷
       は旧正十一日の作り始めの日に各自の畑に立てて神籬として、これに野の物
       を供え畑に肥料(灰)を施す所作をする。これが済むまでは田畑へ肥料を与
       えることをしないのが習わしである。又、この日その年の豊凶を見定める水
       占のために、ハゼの木の立札十二枚を作り、社殿の両側に立てる慣習もある。
       この祭礼の由来は、古来の鎮座地から洪水の為流されて社殿の復興に際し、
       仮殿に作った柴垣の社づくりの様を形どって、翌る正月の氏子の喜ぶ姿から
       祭礼の形式がととのったものと解釈されている。
       建国記念日が制定された年の旧正月三日が、二月十一日(建国記念日の日)
       に当たり、肇国に関わられた御祭神の尊き御神慮であるとして、現在の祭礼
       日が決定され、建国祭も併せて執行している。」
  住  所:福井県大飯郡高浜町青宮脇15−1
  電話番号:0720−72−0564
  ひとこと:この神社は、いわゆる拝殿の向こうに、自然のご神体があるタイプの神社で
       した。

       例えば、大神神社では、拝殿の向こうには、神奈備山がありますよね?

       この神社の場合、拝殿の向こうには・・・。
       禊池があるんです。

       ただ、その昔には、拝殿のすぐ向こうまで海が広がっていたということです
       から、海と禊に関わる神社だったのでしょうね。

       さて、「高浜町教育委員会」編集の、「若狭高浜むかしばなし」には、高浜
       青葉山の麓に大蛇が棲んでいたという話がでてきます。

       その蛇は、村人が山を越えようとするとでてきて邪魔をしたとか。

       ある日、村人は結集して、その蛇を退治しました。
       その時、切れた尻尾は、飛んでいき・・・青海神社に落ちました。

       青海神社では、この蛇の尻尾が青葉山から飛んできたため、山の神様と関係
       があるかもしれない、と、蛇の尾っぽを祀ることにした、としています。
       そして、その尾っぽを入れるために作られたのが「禊の池」だ、と。

       でも、宮司さんの説明では、禊の池は、豊青皇女が禊をされた池。
       禊の池が蛇をお祀りした場所なのではなく、蛇の尻尾が落ちた場所が、禊の
       池なんだそうです。

       つまり、この神社は、「海」「蛇」「禊」ととってもご縁が深いことがわか
       りますが・・・。

       この三つのファクターの共通項は、なに?

      「蛇」と「禊」で思い出すのは、私は、スサノオ神によるヤマタのオロチ退治
       です。オロチ退治は、厳密には「禊」とはいえないかもしれませんが、荒ぶ
       る神であったスサノオ神が、オロチを退治した後、「すがすがしくなった」
       のは、禊が済んだという意味ではないか、と考えているのです。
       そして、櫛稲田姫は、「巫女」だったんじゃないかと。
       だから、スサノオは退治の時、櫛稲田姫を隠しておくことをせず、わざわざ
       櫛に変えて、頭に差したんじゃないかと思うのです。

       それでは、「海」と「蛇」で思い出すのは?
       私は、豊玉姫を思い出します。
       豊玉姫の正体は、蛇ではなく「八尋の鰐」ではあるのですが、「八尋の鰐」
       とは、多分龍のことじゃないか、と想像しますので。
       そして、豊玉姫は、海王の娘です。

      「海」と「禊」では?
       これは、もう。いろいろ。
       黄泉の国から帰ったイザナギの神は、穢れを落とすため、筑紫の日向の川の
       落ち口の、「橘の檍原」で禊をし、幾多の神を生み出しました。

       でも、「海」「蛇」「禊」と三拍子そろった物語やら神様やらといわれると、
       ・・・思いつきません(^^ゞ

       この神社の創始に関わる、「飯豊青皇女(飯豊天皇)」は、海と禊に深く関
       連されていますから、そこに「山の神」=「蛇」が入り込んでくる理由を考
       えてみましょう。

       すぐ思いつくのは、海の神を祭祀する人々と、山の神を祭祀する人々の融合
       でしょうか。

       海の神を祭祀する人々というのは、飯豊青皇女から始まる青海神社の人々だ
       とすると、山の神を祭祀する人々とは、どんな神様を祭祀する人々だったん
       でしょうね?

       詳しくはわかりません。
       しかし、「若狭高浜むかしばなし」では、「古事記」に登場する「玖賀耳の
       御笠」を、「陸耳の御笠」として紹介し、青葉山に住む、「土蜘蛛」である、
       としています。

       この青葉山には、「土蜘蛛」と呼ばれたどんな人々が栄えていたのでしょう。 

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