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道祖神社

douso




  祭  神:猿田彦命 市寸島姫命
  説  明:案内によりますと、
      「当社は、人皇五十一代平城天皇の御代に元興寺境内に始めて御創祀
       申し上げた奈良市に於ける神社であります。
       宝徳二年元興寺大火後再度の火難に類焼し、終に現状の小祠となり
       しは歎きても余りあります。
       尚当社は往古より道祖神・妻神・賽神として名高く、道開きの神に
       依り商売繁盛・開運招福の神であり、又、良縁・安産の神、即ち妻
       神として特に婦人に信仰が厚いのであります。
       境内の巨石は、賽の神として勝負の守護神として篤い信仰を集めて
       おります。
       古歌に、
       村のよめ 道祖神に願をかけ(明和)」
       とあります。
  住  所:奈良市御門町一番地
  電話番号:
  ひとこと:道祖神ってのは、道に立てられている石仏をそう呼んだりします。

       面白いのは、この神様は、地方ではなぜか、「好色だ」ということ
       になっていることです。

       この神様を案内板にありますように、「サイ」の神とも呼ぶわけで
       すが、この「サイ」という音に、「賽」「妻」「幸」「才」なんて
       字を充てています。
       そして、「性」って文字を当てる場合もあるんですね。

       この「性の神」様は、せっせと夜這いをかけるんだそうで、玄関に
       サイの神様除けを施したりする地方もあるんだそうです。

       そこで思い出すのは、ギリシャ神話のビーナスです。

       ギリシャ神話では、神様が人間に懸想することがよくあります。
       ゼウスその筆頭ですが・・・。

       アフロディテ・・・じゃなくて、ビーナスの恋の相手も、アドニス
       という人間の青年で、この青年の血がアネモネの花になったりして
       ますが、面白いのは、この女神の恋の話じゃありません(おもしろ
       がったら罰あたりだし)。

       ギリシャでは、しばしば、石に彫られたビーナスが男を求めて、夜
       な夜な出歩く・・・という事件(?)があったそうなんです。

       だから、そういうビーナスの彫像は、夜の間は縛っておかなくちゃ、
       ならなかったんだとか。

       いいじゃんねぇ。石の像でもなんたって、美の女神ビーナスですよ?
       なんで、拒むのかしらん??

       生気抜かれちゃうとか、そういう悪弊があったんでしょう。多分。

       マゾッホの「毛皮を着たビーナス」なんつぅのは、そういう伝説を
       踏まえてるんですね。

       主人公にとっての「ビーナス」は、毛皮を着てたんです。
       彫像じゃなかった。だから、「ビーナス」は、彫像にならざるを得
       なかったつぅお話ですが、随分サラリとした読後感のある小説です。
       ただし、日本のマゾッホ(と私が勝手に思ってる)谷崎潤一郎の小
       説を「さらっとしてる」と感じてしまうのが私の感覚なんで、「違
       う」と思う人も多いかも知れません。その場合はすいません。       
       
       それにしても、マルキ・ド・サドは有名なのに、彼とついをなす、
       マゾッホは日本ではあまり知られてませんね。
       ご興味があれば、一読くださいまし。
       多分、河出文庫から、まだ出版されてると思います。

       さて、翻って、日本のサイの神様。
       なぜ、拒まれるか。
       この場合、立場が逆で、石の像が男です。
       石の像に孕まされちゃったりなんかしたら、お産が大変だからかも、
       う〜〜〜ん、知れません。

       さて、この道祖神社の神様。
       地元に、面白い伝承があります。
       つまり、この北にある、「御霊神社」の神様と、賭け事をして、負
       けたもんだから、こんな狭い所に押し込められちゃったんだ、と。

       しかし、まぁ、神社好きの皆さんなら、「えらい異色の顔合わせや
       なぁ」と思うでしょ?
       私もそう思います。

       御霊神社の祭神ってことは、つまり御霊ですからね。
       恨み骨髄で亡くなって、なくなった後も崇り続けたから、神様にさ
       れた、気性の激しい神様ですからね。

       道案内したげるよ〜〜♪
       なんて、先導してくださるような、気のいいおっちゃんのような、
       道祖神と賭け事するってのが、どう〜〜も、想像できません。

       たんぽぽ畑と嵐が賭け事するようなもんです。
       たんぽぽ畑が勝つわきゃないじゃないですか。ねぇ?

       この伝承が本当なら、「賭け事」ってのは口実で、御霊さんは、
       はじめから土地はもらう積もりだったんじゃないか、と。

       反対に言えば、御霊様は一柱じゃあありません。
       狭いお社に住むにはあまりにも大家族。

       気のいい道祖のおっちゃんならば、「賭け事」の口実で、大きな
       家譲ったろか、と思ったのかも。

       道祖神の優しく暖かい人柄に触れた、御霊様達は、冷め切った心
       が次第に暖められ、恨みの気持ちも緩み、平城京には、平和が戻
       りましたとさ。
       だったらいいなぁ・・・。
       でも、平城京(跡)は平和でも、平安京は平和じゃなかったみた
       いだけど・・・。なはは。

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