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伊豆神田神社

izukanda




  祭  神:厳宇迦能賣神 倉稲魂神
  説  明:境内案内板には、
      「社伝によれば当神社は伊岐宿禰是雄が貞観二年(西暦860年)
       に堅田浦の関屋浜に神田神社を勧請し昌泰三年(西暦900年)
       に伊豆神社を合祀したと伝えられています。
       また北朝文和二年(西暦1353年)足利義詮(室町幕府第二
       代将軍尊氏の第三子)が後光厳天皇を奉じ当社頭を行在所とし
       貞治二年(西暦1363年)湖上往来船の運上を神供に付した
       と言われています。
       延宝七年(西暦1679年)の今堅田検地帳には村中氏伊豆権
       現宮と記されています。
       文政十三年(西暦1830年)御神鏡の銘には『文政十三年庚
       寅歳九月吉日正二位伊豆大権現正一位神田大明神』と記されて
       おり、その神格を知ることができます。
       神紋 二葉葵」
       と書かれています。
  住  所:滋賀県大津市今堅田
  電話番号:
  ひとこと:社伝によれば、かなりの神格なんですが、どうも資料がない。

       社殿にある、伊豆神社は東浅井郡湖北町速水に、神田神社は大津
       市真野町に現在もあります。

       大津市の説明によりますと、伊豆神社は、
      「祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)。
       寛平4年(西暦892年)創始。」
       とあり、
       神田神社は、
      「祭神は、彦国葺命(ひこくにふきのみこと)。」
       とされています。

       祭神、全然違うやん???

       もっと気になるのは「伊豆」「神田」共に、関東にある地名です。

       東京にある、神田明神(神社)は、創立が天平2年(730年)。
       祭神は、大己貴命・少彦名命・平将門命。
       う〜〜〜〜〜ん、全然違う??

       伊豆神社という名前の神社は結構あるようですが、駿河の伊豆に
       は、ない??

       ただし、伊豆という地名は、あちらこちらにあるようです。
       兵庫県は、出石町・養父町に。どんぴしゃ「伊豆」という地名が。
       奈良県は、東吉野村に「伊豆尾」、大和郡山市に「伊豆七条町」
       という地名が。

      「いず」「いづ」「いつ」などの音には、もともと何か意味があっ
       たのかも知れません。
       まず思い付くのは、「泉」でしょうか。
       ただ、「泉」は、「出水」から来ているのだとしたら、いず、は
      「出」だけですね。何が出るというのだ(-_-;)       

       神田は、そのまま、「神」の「田」でしょうか。

       神の田から何が出る?さぁ、何がでる?
       田圃の神様は、日本にはいろいろおられます。
       稲作で栄えた民族ですものね。

       さて、厳宇迦能賣神は、よくわかりません。
      「賣(め・女・雌・姫に通じる)」という文字が入っているので、
       女神様だとは思うのですが、いかんせん、資料がありません。
       読みは、「いわお・うかのめのかみ」でしょうか?
       倉稲魂神(うかのみたまのかみ)との関連を考えると、奥さん?
       とも思うんですけどね。

       とすると、ここでは、奥さんの方が、旦那さんより、偉い、と。
       いや、ここで「も」、奥さんの方が旦那さんより偉そう?

       いやいや、そんなことはいいとして。
      「伊豆神田」が、「神の田から出ず」
       だとしたら、稲荷の神様であるところの、倉稲魂神はぴったり
       の神様です。

       また、豊作を願う「御田祭」。
       多くの場合、お多福とひょっとこの面を被った演者により、夫
       婦の睦みごとを再現されます。

       そうすると、この神社の祭神が夫婦神(?)であることも、伊
       豆神田と関連を感じるのですけれども。

       ・・・どうでしょね?

                 **後記**

       厳宇迦能賣神について、わかりました。
       日本書紀に出てきます。
       神武天皇が、丹生川上で敵に相対している時、
       道臣命が
      「高皇産霊尊を、私自身が顕斎(神が乗り移る巫女?)しよう。
       お前を斎主(とすると、さにわのこと?)とし、女性らしく、
       厳媛と名づけよう。そこに置いた土瓮を厳瓮とし、また火の名
       を厳香来雷(いつのかぐつち)とし、水の名を厳罔象女(いつ
       みつはのめ)、食物の名を厳稲魂女(いつのうかのめ)、薪の
       名を厳山雷(いつやまつち)、草の名を厳野椎(いつのづち)
       とする」と言った。とあります。
       その後、十月一日、天皇はその厳瓮の供物を召しあがられ、兵
       を整えて出かけられた、となっています。
       この「厳(いつ)」は、社名「いづ」と関係がありそうですね。
       総ての「名」は、天神の名に対応しています。

       その「名」に「いつ」を付けることの意味はなんなのでしょう?

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