renai

漢國神社

kango




  祭  神:園神:大物主命 韓神:大己貴命,少彦名命 
  説  明:栞によりますと、
      「鎮座由来:
       当神社は推古天皇の元年二月三日(今より約千四百年前)、
       大神君白堤(おおみわのきみしろつづみ)と申す方が、勅を
       賜いて園神の神霊をお祭りせられ、其後元正天皇の養老元年
       十一月廿八日、藤原不比等公が更に韓神の二座を相殿として
       祀られたのが漢國神社であります。古くは春日率川坂岡神社
       と称しました。
       御神徳:
       御祭神は第一に国土経営の御大業をなされ、第二には国民の
       為に衣食住の根基を樹て給いし最も尊い神々で、殊に医薬造
       酒の祖神でもあります。また、家康公に因み開運招福の霊験
       を崇ばれております。」
       とあります。
       境内摂社に、林(りん)神社があり、
      「林神社は、林浄因命を御祭神として御祀りするわが国で唯一
       の『饅頭の社』であります。
       林浄因命は中国浙江省の人、林和靖の末裔で、暦応四年に来
       朝され、漢國神社社頭に住まいなされるや、我国で最初に饅
       頭を御造りになり好評を博しました。その後、足利将軍家を
       経て、遂には宮中に献上するに至り、今日全国の菓業界の信
       仰を集めています。
       また、室町末期から桃山初期にかけて林家では碩学の林宗二
       が、初期の国語辞書である『饅頭屋本節用集』を著わし、印
       刷・出版の嚢祖として知られています。」
       とあります。
  住  所:奈良市漢國町6
  電話番号:0742−22−0621
  ひとこと:なら町にある神社です。
       なら町は、JR奈良駅近辺に広がる昔ながらの雰囲気が残る
       情緒ある町です。

       んでもって、春日大社の側・・・つまり、神鹿さんがたくさ
       んいらっしゃるわけです。

       漢國神社に参拝しようとすると、門が閉まっていました。
      「お昼前なのに、まさか、参拝時間が終わってしまったのか?」
       と焦ったのですが、違うのですね。

       神鹿さんにご遠慮いただくための工夫なのでした。

       さて、この栞の中にある、「徳川家康公に因み」なんですが、
       どう因むんでしょう?

      「1614年(慶長十九年)十一月十五日大阪冬の陣の際、木
       津の戦いに敗れ当社境内の桶屋に落忍ばれ九死に一生を得給
       う。」
       と、栞にあります。
       そこで、家康公は、その後、漢國神社にお礼参りにこられ、
       鎧を奉納されたのだとか。

       大阪で生まれ育って、現在も大阪在住の私としては、複雑な
       心境になりますが・・・。

      「桶屋さんよ、大阪負けたんは、あんたのせいか・・・」

       仮にですよ、阪神vs巨人の優勝決定戦、阪神リード、押せ押
       せムードで迎えた9回の表・巨人の攻撃の時にですね。
       桶屋さんのヘリコプターが間違えて、甲子園球場上空で木材
       をばらけちゃって、球場はおおわらわ。
       試合は後日に延期・・・なんてことがあったとしたら・・・。
       こっわ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
       想像するのも怖いです。
       んでも、それくらいのことですよ。
       いや(^^ゞもとい。
       それの100倍くらいいや、それ以上にすごいことです。
       恐ろしい・・・。

       しかし、それにしても、この神社のご祭神は、「日本最古」
       と謳われる、大神神社と同じ顔ぶれです。

      「園神」=「そのかみ」
      「韓神」=「からかみ」
       なんですが、この頃の「韓」って多分、「外国」と同じよう
       な意味だったんじゃないでしょうか?
       としたら、「国の神様」「外国の神様」という意味でしょう
       か??

       甲子園球場における、阪神と巨人みたいなものですね(←し
       つこい)。
      (いや、別に、阪神と巨人がライバルだというつもりはないで
       すが、一応、漫才コンビも巨人阪神なもんで・・・。)

       しかし、大己貴命と少彦名命が外国の神様?
       国造りの担い手が?

       しかも、この二柱の神を「韓神」としてお祀りしたのが、日
       本書紀を編纂した、つまり、この二柱の神を「芦原中国を造
       った神」とした、藤原不比等公です。

       ん〜〜〜〜〜・・・。どういう意味でしょうか。

       ものすご〜〜〜〜〜〜〜〜く、ものすご〜〜〜〜〜〜〜〜く、
       穿っちゃえば、うがっちゃえば、ですよ。

       高天原の神々が葦原中国に降臨した、「過去の話」は、です
       ね。

      「日出る国」から、葦原中国という名前を借りた「外国」に侵
       略に行きますよ、という未来に向けての宣戦布告だったりし
       て・・・。
       藤原不比等公の時代といえば、百済と新羅との関係で揺れて
       ませんでしたっけねぇ。はてさて。

       どこの「外国」なんだろ。

       もしくは、不比等公の時代にあって、出雲はまだ「韓」だっ
       たのかも知れません。

       つまり、ホームではなく、アウェイですな。阪神から見た、
       東京ドームみたいな・・・。
       (--シ☆ ヒトリツッコミ。
       すいません。いい加減にしますm(__)m 

       しかし、まぁ、この韓神を祀ったのが他ならぬ不比等公であ
       るというのは、意味深なのであります。

home 神社のトップに戻ります back