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貴船神社

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  祭  神:高おかみ神
  説  明:栞によりますと、
      「○御祭神
       日本書紀 巻一
       一書曰伊奘諾尊斬軻遇突智為三段其一段是為雷神一段是為大山
       祇神一段是為高おかみ云云
       神社考
       伊奘諾斬軻遇突智為三段其一為高おかみ高おかみ者龍神也貴布
       禰明神是也
       日本紀略 嵯峨天皇 弘仁九年の条
       十月己未賽山城国愛宕郡記布禰神以祈雨有験也
       水の神で、日本書紀、神社考では火の神・軻遇突智の神から生
       まれたと記されている。日本紀略では雨乞をしたところ霊験が
       あったとあり、祈雨、祈晴の神として崇められてきた。
       万葉集 巻二
       吾岡之 於可美爾言而 令落 雪之摧之 彼所爾塵家武
       ○御社号
       古くは『気生嶺(根)』『黄船』『貴布禰』『木船』『貴船』
       と諸書に見える。多くは貴布禰。
       明治四年五月二十四日太政官達を以って、『貴船神社』と御裁
       定。
       貴船の地名の由来は、境内にある御神木・桂の木の姿に象徴さ
       れるように、大地全体から生命生気である『気』が龍の如く立
       ち昇るところ、気の生まれる嶺、あるいは根元であるというと
       ころから、気生嶺、気生根(きふね)と呼ばれるようになった
       ともいう。
       ○御鎮座
       社記に、『国家安穏、万民守護のため、太古“丑の年の丑の月
       の丑の日の丑の刻”に天上より貴船山中腹、鏡岩に天降れり』
       とあり、又、『神武天皇の皇はは・玉依姫は、雨風の国潤養土
       の徳を尊び、その源を求めて、黄船に乗り浪花より淀川、鴨川
       を溯り、その川上貴船川の上流のこの地に至り、清水の湧き出
       づる、霊境吹井を認めて、水神を奉祭す』とある。
       御社殿の御創建を明記するものはないが、その年代は極めて古
       い。
       天武天皇白鳳六年(約1300年前)には、御社殿御造替との
       社伝がある。
      『大鏡』『水鏡』に『東寺長官藤原伊勢人は貴布禰大明神の御夢
       託によって、鞍馬寺建立す』とあり、既に平安期以前には洛北
       王城の地にかけて尊信が寄せられていた事が分かる。
       後冷泉天皇永承元年七月二十五日出水のため社殿が流損したの
       で、天喜三年四月二十六日、現在地に奉遷、元の霊地は奥宮と
       して奉斎し、今日に至る。
       ○御神徳・奉幣・祈願
       嵯峨天皇弘仁九年の条に、『七月丙申遣使山城国貴布禰神社大
       和国龍穴等処祈雨也』(日本紀略・日本後記)とあり、旱天が
       続いたために嵯峨天皇が勅使を遣わされて降雨を祈られた。こ
       れが貴船神社への勅使御差遣の文献上の初見で、以後しばしば
       炎旱の時には黒馬を、霖雨(ながあめ)の時には白馬を献じて
       雨乞、雨止みを御祈願あそばされた。これが、後世、絵馬の発
       祥となる。
       祈雨祈晴だけでなく、弘安九年亀山上皇が行幸、国事多難克服
       を御祈願になり、後奈良天皇は疫病流行のため除厄を祈られた。
       このように朝廷の崇敬はことのほか篤く、近年の皇室の御参拝
       としては大正十三年皇后陛下(貞明皇后)が、昭和五十二年浩
       宮殿下(皇太子殿下)、昭和五十七年秩父宮妃殿下、平成二年
       常陸宮・同妃両殿下、平成三年秋篠宮殿下が行啓になっている。
       キフネは、万物のエネルギー『気』が生ずる根元『気生根』で
       あり、その御神気に触れるだけで元気がよみがえるといわれて
       いる。元気回復すれば運も開かれるということから、古来運気
       発祥の信仰が盛んで、いろいろな願い事で人々は参詣している。
       和泉式部は恋を祈り、平実重は蔵人昇任を祈願、大宮人は賀茂
       競馬の必勝を祈念し、源義経は源家再興を願って百ケ日参籠、
       徳川家光は疱瘡平癒を祈願、全快御礼に春日局が代参している。
       こうした信仰は全国の知る所となり、貴船信仰は広がり、本社
       の御分霊を奉斎する貴船神社は各地に鎮祭されて、五百社を数
       える。また、貴船神社とはいわないが、御祭神を同じくする神
       社は二千社を超す。
       ○奥宮
       御祭神 高おかみ神
       社伝によれば或いは闇おかみ神(船玉神)、罔象女神、国常立
       神、玉依姫、或いは天神七代地神五代、地主神とも伝う。
       ○結社
       御祭神 磐長姫命
       本社と奥宮の中程に鎮座。貴船神社の中宮ともよばれている。
       あらゆるものの良縁を結び、また恋を祈る神として知られる。
       ○梶取社
       御祭神 宇賀魂命
       貴船川と鞍馬川が合流する貴船口に鎮座。
       玉依姫命が水源の地を求め、黄船に乗って淀川、賀茂川を溯っ
       てこられた(御鎮座縁起)時、舵を上手に操った梶取神が祀ら
       れているとも伝えられ、航海安全、交通安全の神と崇められて
       いる」
       とあります。
  住  所:京都市左京区鞍馬貴船町
  電話番号:075−741−2016
  ひとこと:貴船神社はいろんな逸話がささやかれます。

       橋姫の丑の刻参り。
       自分を捨てた夫を恨んだ橋姫(宇治の姫だといいますから、か
       なりの距離をこられたようです)が、丑の時に、鉄輪をかぶり、
       顔を朱に塗りわら人形を持って、憎い夫を呪ったという話。
       貴船神社の社記に、丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に神様が
       降臨したという話があることと関係あるのかもしれません。

       和泉式部の夫との復縁祈願。
       夫の気持ちが離れたことを悲しんだ和泉式部が(たって、自分
       もかなりの恋の浮名を流しているわけで、虫がいいっちゃぁ、
       虫のいい話ですが)この神社で祈祷をしてもらい、見事復縁し
       たという話。

       これらは、あまりにも有名ですし、私も何度か、他の神社紹介
       で触れちゃいましたので、ここは気になる、
      「磐長姫、恋の神様説」を調べてみましょう。

       磐長姫が恋の女神というのは、初耳でした。
       この「結社」にある看板を転記してみましょう。

      「御祭神 磐長姫命
       神武天皇の曽祖父にあたられる瓊々杵命が、木花咲耶姫命を娶
       らんとする時、父の大山祇命が姉の磐長姫命も共におすゝめし
       たが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命
       は大いに恥じ、『吾こゝに留まりて人々に良縁を授けよう』と
       いわれ、御鎮座したと伝えられています。
       古くより縁結びの神、『恋を祈る神』としての信仰が篤く、平
       安時代の女流歌人・和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願し
       たという話は有名です。
       昔はスゝキ等の細長い草を、今は『結び文』を神前に結び付け
       て祈願する習わしがあります。男女間の縁だけでなく、人と人
       会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んでくださる神様
       です。」

       確かに、日本書紀・古事記には、瓊々杵命に拒絶された磐長姫
       がどうなったのか全く描かれておらず、気になるところでした。

       しかし・・・。
       瓊々杵命は、九州の高千穂に降臨されたんですよねぇ??
       曾孫の神武天皇は九州から、大和へ向かわれたんですよねぇ?
      (はっきり九州と書いてあるわけじゃないけども)

       とすると、磐長姫・木花咲耶姫の姉妹は九州にいたと察せられ
       ますね。

       その磐長姫が、神武天皇よりまだ3代前の時代、女一人で、こ
       こ、大和のすぐそば、山城国まで来られたというのは、すごい
       話じゃあないですか?

       そんなすごい女神様を「恋の女神」とだけ称えておしまいにす
       るのは、あまりにも役不足だというものです。
      
      「健脚の女神」「開拓の女神」「武運の女神」その他諸々・・・。

       しかしね、そういうわけじゃないように思います。

       この地は、かの源義経が修行をしたと伝えられる、鞍馬ですよ。
       判官贔屓の「判官」ってのは、この義経公のことです。

       源義経九郎判官。

       日本人ってのは、昔から、実力があったのに負けた人間に、深
       く同情しがちだったんだと思います。

       そんな日本人に、瓊々杵に一方的に拒絶された磐長姫が愛され
       ても全然不思議じゃありません。

       磐長姫が、この地に落ち着かれたのではなくて、磐長姫を大事
       にお祀りした人々がこの地に落ち着いたのかも。

       だって、山を越えた向こうにある鞍馬にご縁の義経公と、この
       貴船の磐長姫、お似合いのカップルじゃあないですか?

       磐長姫をお祀りする人々が、「ここなら大丈夫」とこの地を、
       磐長姫を祀る地とした、なんて考えるのは楽しいじゃないです
       か。

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