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宇波西神社

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  祭  神:彦波瀲武うが草葺不合尊 
  説  明:境内案内を転載します。
      「御祭神、うがやふきあえずの命(海漁と安産の守り神)御鎮座と沿革、文武天皇
       の大宝元年(昭和51年で千二百七十五年前)三月八日、日向で初めておまつり
       しましたが、程なく今の療養所のある上野谷におうつりになりました。千余年前
       にできた延喜式神名帳によりますと、当時北陸道七ケ国にまつられていた三百五
       十二座の御祭神の中で年に三回(新年祭・月次祭・六月と十二月・新嘗祭)朝廷
       から幣帛を奉られたのはこの社だけであり、当時の名神大社でありました。建武
       之亀年間、兵火の為再度焼失、天正年間今富の城主浅野長政が社殿を造営し、参
       道を寄進しました。国主酒井家から累代修理改築など篤い崇敬が棒ぜられ、現在
       の社殿は嘉永四年の造営です。
       御例祭四月八日午前二時から氏子各部落の古式豊かな献餡奉幣が相つぎ、正午か
       らは県の無形文化財である、王の舞・獅子舞・田楽舞等、古雅で優美な祭礼が奉
       納され、おわって子供のみこしの御渡りがあります。」
  住  所:福井県三方郡三方町気山129−5
  電話番号:
  ひとこと:御祭神・彦波瀲武うが草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊は、ちょ
       っと興味深い神様です。

       父親は、彦火火出見尊・・・いわゆる山幸彦の神様。
       母親は、豊玉姫。海神の娘で、その正体は八尋の鰐(龍?)でした。
       それぞれ、宇波西神社からほど近い、若狭彦神社・若狭姫神社に鎮座されていま
       す。

       名前の由来は、母・豊玉姫が海辺の産屋で皇子を出産しようとしたとき、屋根を
       鵜の羽根で葺こうとしていたのが、葺き上がる前に生まれたので、「うが草葺不
       合」。

      「彦波瀲武」は、渚で生まれた、武々しい男の子、という意味になるでしょうか?

       この皇子は、悲しい宿命を背負って生まれてきたといえます。

       母・豊玉姫は、御子出産の際、夫・火火出見尊に
      「出産の折には、私は自分の本来の姿に戻ります。なにとぞ、見ないでください」
       と、お願いしていました。

      「見ないでください」と言われて、見なかった男が、古今東西昔語りの中で、何人
       いるでしょうか?

       黄泉の国に妻を追ってでむいたイザナギは、妻・イザナミに、
      「私の体は腐ってますから見ないでね」
       といわれましたが、待ちくたびれて、覗き見し、日本最初の夫婦喧嘩、人間全体
       を巻き込む、大喧嘩を起こしました。

       鶴が化けた妻・おつぅに、
      「私が機織をしているところを見ないでくださいね」
       といわれたよひょうは、心配と好奇心に負け、覗き見し、妻に逃げられました。

       火火出見尊だって、もちろん例外じゃあ、ありません。

      「見ないってば、見ないに決まってるだろ!見たくなんか・・・あるかも」

       と、こっそり覗いてみたら、まぁ、びっくり。
       妻の正体は八尋の鰐だったのです。

       覗き見されたことを知った妻は、恥じて実家に帰ってしまいます。

       しかし、八尋の鰐を想像してみてください。
       恥じるような姿でしょうか?
      「恥じて」となっていますが、実際は、「約束を守れない夫に失望して」実家に帰
       ったのかも知れませんがとにかく、うが草葺不合尊は、母に捨てられてしまいま
       した。悪いのは父であって、生まれた息子じゃないのにね。

       しかしまぁ、文字通り、捨てる神ありゃ、拾う神あり。
       母の妹・玉依姫が乳母になってくれた上、うが草葺不合尊が成長したあかつきに
       は妻となります。
       よほど強い信頼関係を築いたんでしょうね。
       生まれた子供は、3〜4人(紀の書によって、人数はまちまちなのです)。
       末っ子は、後に人皇初代天皇となる、神武天皇。
       諱は、彦火火出見尊。祖父と同じ名前を付けられました。

       まぁ、終わりよければすべてよし。
       幸せな人(神)生ではあったのでしょう。

       さて、このうが草葺不合尊が生まれた時のエピソードで、ちょっと面白いものが
       あります。
       記紀には出てこないのですが、「古語拾遺」には、こんな一節があります。

      「天祖彦火尊、海神の女豊玉姫命を娉ぎたまひて、彦瀲尊を生みます。誕育したて
       まつる日に、海浜に室を立てたまひき。時に掃守連が遠祖天忍人命、供へ奉り陪
       侍り。箒を作りて蟹を掃う。仍りて、鋪設(しきもの)を掌る。遂に職となす。
       号けて蟹守(かにもり・今の俗に借守と謂ふは、彼の詞の転れるなり)と曰ふ。」

       海辺の産屋で蟹を掃いたというわけです。

       なんのためでしょうか?

       出産する豊玉姫の邪魔にならないように?

       蟹は脱皮することから、再生の力を秘めた神聖な動物と見られています。
       出産にはもってこいの動物。

       それを掃うというのは不思議ですね。
       もちろん「掃った」とあるだけですから、掃きだしたのではなく、掃き入れたと
       いう可能性もありますが。
       というより、岩波文庫版「古語拾遺」の編者は、はっきりと、「掃き入れたのだ」
       とされてますが・・・。

       私は、鰐(龍・蛇)と、蟹の対立を思います。

       蟹の恩返しという話があります。

       蟹は善を、蛇は邪を象徴し、それが対立した物語だと言えるでしょう。

       しかし、豊玉姫は、「邪」ではない。
       それに、蟹が脱皮するから神聖というならば、同じく脱皮する蛇だって、神聖な
       ハズ。

       つまり、蟹を善・蛇を邪としたのは後世のことなんじゃないか、と。
       当時は単に、蟹に象徴される何かと、鰐に象徴される何かが、対立してたのじゃ
       ないか、と想像します。想像ですけど。

       なんにせよ、今現在も、一部の地方では、安産祈願のため、箒で妊婦のお腹を掃
       くというおまじないが残されています。

       その箒は、妊婦の腹を掃く前に、「神社の境内を掃く」などのまじない事がされ
       ますが、南の島へ行くと、妊婦のお腹に蟹を乗せたりするんです。

       南の島では、蟹は、現役の「再生のパワーを秘めた聖なる動物」なのでしょう。

       さて、海辺で蟹を見かけたことはありますか?
       私はあんまりありません。

       そんなに、頻繁にいるものじゃないですよね?

       それが、お産の時には、産室の周りにたくさんいた。
       
       彦波瀲武うが草葺不合尊が生まれた頃は、海には今よりたくさん蟹がいたのでし
       ょうか?
       それとも、生まれた場所に蟹がたくさんいたのでしょうか?

       蟹がたくさんいた海。
       それは一体どこでしょうね?

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