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矢田坐久志玉比古神社

yataimasukushitamahiko




  祭  神:櫛玉饒速日命 御炊屋姫命
  説  明:ご由緒書によりますと、
      「櫛玉饒速日命は御別名を、天照国照彦火明櫛玉饒速日命と称し奉り
       ます。
       御父神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(天之忍穂耳命・天照坐皇大
       神の御子)、御母神は萬幡豊秋津師比売命(栲幡千千媛)であられ
       ます。御父神が天津神の命により、天孫降臨に先立ち豊葦原中津国
       仮平定のために天降ろうとされたときにお生まれになりました。御
       父神は天津神に御子神を御自分の代わりに天降らせ給えとお願いに
       なりました。
       天津神は命を御召しになり天璽の十種の神宝を御授けになり、『若
       し痛むところがあれば此の十種の神宝を使って、一二三四五六七八
       九十と唱えて打ち振りなさい。そうすれば死者も甦ります』と申さ
       れ、あわせて天羽羽矢・天羽羽弓(天歩靫)をも授けられました。
       三十二従神を率連れ天磐船に御乗りになり、初めに河内国の河上の
       哮峯に天降られ、その後大和の鳥見の白庭山(現在地にして御終焉
       の地)に遷り住まわれます。
       命は天磐船に御乗りになり、天空を翔け巡りながら三本の天羽羽矢
       を射放たれ、矢の落ちたところを宮居と定め天降られました。一の
       矢は神社南方約五百メートルに、二の矢は神社境内に、三の矢は神
       社北方約五百メートルに落ちました。このことから御社号を『矢落
       神社・矢落大明神』とも申し上げ、この地を『矢田』と呼ぶように
       なりました。土豪の長髄彦(登美能那賀須泥毘古)の妹の御炊屋姫
      (登美依毘売)を娶り妃とし、宇摩志麻遅命(宇美真手命・建国時の
       近衛長官)をお生みになります。
       神武天皇が東征されると、命は既に平定を済まされていた畿内一円
       を御渡しになられます。天皇は東征出発の前、天璽を授かった日の
       御子が、天磐船に乗られ、東の四方を青山に囲まれた美地に天降ら
       れていることを塩土老翁(塩椎神)から御聞きでしたので、命の忠
       節を殊の外喜ばれ、神剣を御授けになり大勲に報い給われました。
       御神裔の物部氏の崇敬篤く、御創建当初より六世紀前半期に至る間
       は畿内随一の名社として栄え、御社殿は宏壮美麗を極めた当地方最
       大の古社でありました。
       命と共に降臨した一族はこの地に定住し、命没後、御魂を安めるた
       め社を建て祭祀を執り行っています。毎年一月八日に御神域前面に
       大綱を掛ける『綱掛祭』は、雄龍雌龍になぞらえた二本の太い綱を
       用意し、御神前にて更に一本の大しめ縄にないます。水神としての
       龍の力を仰ぎ、適度な降水による農作物の豊かな恵みと水運の安全
       を祈願し、雄龍雌龍が結ばれることによる子孫の繁栄を祈ります。
       天磐船の降りた処に守護神の龍神を示す縄を幾重にも巻き、命への
       永遠の側近警護をお誓いします。
       天璽の十種の神宝の御神徳から治病息災健康長寿の神・医術の祖神
      『医療祖神』と共に近年は天磐船の故事から飛行の祖神『航空祖神』
       として航空関係者・旅行者の崇敬が寄せられています。楼門のプロ
       ペラは昭和十八年、大日本飛行協会大阪支部から奉納された中島飛
       行機製の陸軍九一戦闘機のもので、堀丈夫陸軍中尉より『神威赫奕』
       と揮毫されています。
  住  所:奈良県大和郡山市矢田町956番地
  電話番号:0743−52−7313
  ひとこと:楼門のプロペラがかわいいですね。

       さて、矢が落ちた場所は、諸説があるようなのです。

       境内にある「二之矢塚」という石碑は、奈良県が建てたもので、奈
       良県は、ここに「二の矢」が落ちた、としているわけなのですが、
       村の伝説では、落ちたのは、ご本殿のある場所で、磐船が降り着い
       た場所。磐船が降りた途端、地面がむくむくと持ちあがったのが、
       二之矢塚なのだ、としているそうです。

       私が参拝しました時、2002年の春から住み込みで奉仕されてい
       るという宮司が社務所におられました。
       この神社この宮司が、大変熱心な方で、由緒を購入しましたら、い
       ろんなお話を聞かせてくださいました。

       非常に興味深いお話なんだけど、きっと多分、この神社だけではな
       いだろう、と思うお話。

       その1
       神仏分離令のころ、ご祭神を、饒速日命から天太玉命に一時期替え
       て祀っていた。

       その2
       もともと、医療の祖神であり、航空の祖神でもある、多才な御神徳
       を有しているご祭神なのにも関わらず、戦時中は、専ら、「航空の
       祖神」として喧伝された。

       などなど。

       現代の私達にはピンと来ませんが、神社が生き残って行くのは、大
       変だったようです。

       さて、この神社のお祭、「綱掛け祭」です。

       雌龍と雄龍が絡み合い、豊作などを祈念するお祭のようです。
       しかし・・・。私だけでしょうか?
       龍って男だけなような気がしていました。
       善女竜王というお名前もありますから、女龍がいてもおかしくはな
       いんですけれどね。

       同じ種類の動物なのに、雌雄で、字が違う動物があります。

       鴛鴦
       鳳凰
       そして、狛犬

       三つとも読めますか?

      「えんが」「ふうこう」「はくけん」ですか?
       ぶっぶ〜〜〜!
       え?
       一つ目はわからないけど、二つ目は、「ほうおう」。三つ目は「こま
       いぬ」なことぐらいはわかるわっ!!ですか?
       失礼しました。

       一つ目の動物はですね。
       夫婦が仲良いことで有名な動物です。
       そう。「おしどり」ですね。

       全て、前の漢字が雄を、後の漢字が雌を表します。
       
       龍もですね。竜が雌で龍が雄ってことはないんだろうか?
       とか思うんですが、そういうことはなさそうです。

       せめて、珠を持っているのが雄とか!!
       ( `´)=0))××)あう!

       失礼しました〜〜((((((^_^;)        

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