renai

由良神社

yura




  祭  神:牛頭天王
  説  明:明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは、熊野三所権現
       と称していた神社です。棟札を多数所蔵し、そのうち正徳元
       年(西暦1711年)、宝暦五年(西暦1755年)の棟札
       によると、かつては西御社と東御社が並立し、西を上社とし
       て熊野三所を、東を下社として九所を祀っていたそうです。
  住  所:京都府宮津市由良2348−2
  電話番号:0772−22−2773
  ひとこと:由良というと一番に頭に浮かぶのは、百人一首に修められた
       曾根好泉の和歌。

      「由良の戸を 渡る舟人 梶を絶へ 
                      行方も知らぬ 恋の道かな」

       
       そして、もう一つ、「山椒太夫」の舞台となった土地である
       ということです。

      「山椒太夫」は森鴎外も小説に描いています。

      「安寿と厨子王丸」と言った方がわかりやすいでしょうか?

       冤罪で罰せられた、陸奥の国の岩木判官の妻子が京に向かう
       途中、越後で、一人の男に声をかけられます。
      「由良への船便があるから乗っていきなさい」と。
       しかし、妻と侍女の菊乃、そして娘の安寿と息子の厨子王丸
       は、別々の船に乗せられ、妻と菊乃は佐渡へ、そして子供達
       は由良へ運ばれ、子供達は山椒太夫に売られてしまうのです。

       幼い姉弟は山椒太夫にこき使われるのですが、ある日、安寿
       は厨子王丸を密かに逃がし、自分は入水自殺してしまいます。

       厨子王丸は、京へ行き、関白(宮津の伝説では、梅津院とい
       う貴族に清水寺で拾われたことになっています)の庇護を受
       け、出世し、ついに丹後の守となって、由良に帰ってきます。
       そして、山椒太夫を捕らえ、処刑します。

       そこで、姉の死を知った厨子王丸は、佐渡へ渡り、母に再会
       し、一緒に故郷へ帰ったのだ・・・というお話です。

       由良の浦には、山椒太夫が処刑されたと伝えられる、「首ひ
       きの松」が今も残っています。

      「ゆくえも知れぬ恋の道」
      「幼い安寿と厨子王丸」
       どちらも物悲しい気持ちにさせられるのですが、今の由良海
       岸は、夏ともなると海水浴客で賑わうようです。

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