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船立堂

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  祭  神:かねどの(兄) しらくにやすつかさ(妹)
  説  明:境内案内板を転記します。
      「兄妹『かねどの・しらくにやすつかさ』を鍛冶神・農業神として祀る御嶽で
       ある。
       その由来は『昔、神代に久米島按司という人に一人の娘がいた。兄嫁は邪険
       放辣な女で娘を邪魔に思い、按司にこの娘には毎夜忍んでくる男がいると讒
       言した。按司はこれを信じ怒って娘を小舟に乗せ沖に流した。これを見かね
       た兄は小舟に泳ぎ乗り、妹とともに漂流した。翌朝、小舟は漲水の浜に漂着。
       その夜の夢に神のお告げがあり、兄妹は船立の地に移り、苫屋を設けて住ん
       だ。里人の水くみや薪運びなどを手伝って暮らしていたが、やがて妹は住屋
       里(すみやーさと)かねこ世の主と夫婦となり、九人の男子をもうけた。成
       人した子供たちは祖父に逢いたいと思い、母を伴って久米島に赴き、按司と
       対面した。按司は先非を悔いて親子の藍を尽し、黒がね・巻物を引き出物に
       贈って宮古島に返した。兄はこの黒がね・巻物を基に鍛冶屋を起こし、ヘラ・
       鎌などの農具を作ったので、農業が発達し、豊穣の世になった。
       万民飢えをしのぎ安楽に暮らせるのはこの兄妹のお陰だとして、二人の白骨
       を船立山に納め御嶽の神として崇めた』と伝わっている。
       主な祭祀として旧十一月八日のフーツキヨーカ、旧八月八日のカージャー願
       いがある。」
       宮古島旧記から転載します。
      「船立御嶽男女神が子どのしらくにやすつかさと唱
       船路の為並諸願に付平良村中崇敬仕候事由来
       昔神代に久米島按司とあらん人、一人娘有り。七歳の頃より朝夕月天日天を
       願ければ、天道感に応じ則自在通を得て万事の吉凶一事も不違占に申候、此
       家に嫁有けるが、邪見放逸なる者にて彼娘の事をうらやめ、いかにもして失
       に事を計り、父の按司へさまざまの讒言をかまひ、此娘へは宵々君男参り候
       と空言を進申候。父誠なると心得、大に怒を成し、汝心直なるものならば人
       住島に附け、心あしきものならば鬼界ケ島に附けとて小舟に乗せ、沖へ押し
       出申候。兄ありけるが此様に過もなきものを邪見なる嫁の讒言を信じ情けな
       く流れ失くぞ、高見けん我も妹諸共に死なんにはしかずとて小舟に泳掛、泣
       く泣く天を祈、浮又沈又風侭に寄申候。天の御加護にや翌日の朝、張水津に
       寄付、御嶽に詣て身の行衛を祈申候。其夜夢に汝過なくして此島に流来こそ
       不憫なり。平良内船立と申行は所柄能居せしめ、可然由蒙示現則船立に尋行
       く。苫屋を作り兄妹住居申候。朝な夕な里人に水を汲み、薪木を荷ひなげき
       暮らしなきあかし申候。彼娘こころさまやさしく姿形も厳しければ、すみや
       里が子くせの主と申人うもいをかけ連理のかたらひの中に九人の男子を産み、
       此子共成人仕ころかき有ものにて何とぞ母方の祖父に現相せんとて船を拵て
       母を乗せ、久米島に上り対面仕候。父の按司も先非を悔、親子の愛を尽し、
       黒金巻物段々に引き出物を賜り宮古島に帰申候。
       其先は宮古にはくろ金多無く、牛馬の骨などにて田畑の働鍛冶を工し、ひら
       かまを打ち出し東作業思様に相達世間豊饒罷成申候。然は万民飢を凌ぎ安楽
       にしめることも彼兄妹恩澤故とて則兄妹の骨を船立山に納め、社神と崇め申
       由言伝有。崇敬仕候事。」
  住  所:沖縄県宮古島市平良西仲宗根
  電話番号:
  ひとこと:兄と妹が、なんらかの罪……ときには讒言によって島へ流され、その島の最
       初の夫婦となるという話は、日本神話では珍しいものではありません。

       たとえば、日本を創生したイザナギ・イザナミの二柱の神は、一緒に生まれ
       ました。

       つまり、兄と妹と考えてよいでしょう。
       彼らは、「流された」という話はありませんが、兄と妹が島の創始者となる
       という筋書きは一緒です。

       また、今昔物語や宇治拾遺に、「妹背島」の物語があります。
       これもまた、島に流れ着いた兄と妹が、その島の最初の夫婦となる話。
       兄も妹も何かの罪を犯したわけではなく、ただ、船に置いておかれたために、
       事故により流されたとなっています。

      「思うに、これは、この兄妹の前世からの宿命であったろう」
       と結ばれています。

       つまり、兄妹の近親婚について、「よくないことだ」という言い回しではな
       いということ。

       この妹背島の物語で、兄と妹は土佐の出身ですから、妹背島は土佐のそばに
       あったということでしょう。

       土佐は高知県ですね。

       ところが、高知県のそばにある愛媛県に流れ着いた兄妹は、近親相姦を罪と
       して流されたことになっています。

       允恭天皇の御子である、軽皇子と衣通姫ですね。
       軽皇子は人望も厚く、皇太子となっていながら、実の妹である衣通姫と通じ
       てしまったため、地位をはく奪された後、伊予に流されてしまいます。

       衣通姫も彼の後を追って、伊予へ。

      「二人の死体を見た人は誰もいなかった」
       と結ばれています。

       これは、もしかしたら二人が、どこかの島に流れ着き、その島の始祖となっ
       たということを含ませたかったのでは……と思っているのですが。
       甘っちょろい感傷でしょうか(^^ゞ

       なんにせよ、兄と妹が流されて、その島の始祖となるという話しは、珍しく
       ありません。

       そして、その流された先は、大和の物語によれば、どうも四国が多いのでは
       ないかな、と。


       さて、この船立堂の祭神も、兄と妹です。
       妹は無実の罪により、放逐されます。

       それを見かねた兄は一緒に船に乗り、久米島から宮古島へ流されたのでした。

       ここで、記紀神話などと違うのは、この兄と妹が結婚したのではなく、妹は
       土地の富貴の人と結婚したということ。

       そして、その後、妹とその父は仲直りし、父は妹とその子供たちに鉄と(た
       ぶん)精鉄の方法を書いた書物を授けます。

       そして、兄と妹は製鉄の神と農業(鉄で農具を作ったからという理由だと思
       う。たぶん)の神として敬われましたとさ。

       ここで、妹の旦那さんはどうなるんでしょうね?

       ということで、この話も、本来は、兄と妹の結婚譚だったんではないかと想
       像したりして。

       とすると、この物語が伝わる最中で、「兄と妹の近親婚はよくないこと!」
       と考える人たちが話を変形させたということかもしれません。

       これもまた想像でしかありませんが。

       なんにせよ、ここでは、兄妹は「創生神」ではなく、鉄を伝えた神とされて
       いるところが面白いと思うのです。

       つまり、それほどにこの島の人々にとっては、「製鉄」は重要なことだった
       のではないか、と。

       もしかしたら、「創生」=「製鉄の技術を伝える」だった可能性も。

       現在の宮古島は、製鉄のなごりはほとんどありません。

       ただ、溶岩質の岩に、火山の存在を思わせられるだけ。

       しかし……往時の宮古島を創造するよすがとして、この伝承は興味深いと思
       うのです。
 

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