renai

国神社

hachigaminekuni




  祭  神:天照大神
  説  明:この神社につきましては、境内案内板はありませんでした。
       株式会社平凡社「和漢三才図会13」の中から、鉢ケ峯神社の部分を引用し
       ます。
      「鉢ケ峯神社(旧国神社か) 上神郷鉢峯(堺市鉢ケ峯寺)にある。
       祭神 天照大神
       縁起にいう。垂仁天皇八年に、天照大神が鳳凰に化してこの襲峯(おいその
       みね)に降った。垂仁天皇の皇子が登臨して化跡を礼祭したので、神郷とい
       う。景行天皇二十四年に神託によって、武内宿禰に命じて社を営み、五十五
       年に神鳳を千種森に移した。今の大鳥社がこれである。
      『旧事紀』にいう。大己貴尊は天羽車大鷲に乗り、妻妾を求めて節渡県〔節渡
       は茅渟と書くのに当る。茅渟は即ち今の和泉の地である〕に下向した。大陶
       祇の女活玉依姫を娶って妻として往来した時、人はそのことを知らずして密
       かに往来する間に女が懐妊した。父母は疑い怪しんで、誰が来るのか、と問
       うと、女は答えて、神人が装い来て、屋上から降って来られ、共に臥すだけ
       である、と言った。そこで父母は早く正体を知りたいと思って、麻を績んで
       綜を作り、針で神人の短裳に掛けさせた。明朝掛けたものに随って尋ねいく
       と、鍵穴を抜けて節渡山にを経て吉野山に入り三諸山に留まった。それで大
       神であるとわかった。綜の残りを見ると、ただ三わげであったので、三輪山
       と名付け大三輪神社という〔『泉州志』にいう。大己貴尊の降臨の地はこの
       山か。陶邑も近い。かつこの地を上神と名付けて加無都美和(かむつみわ)
       と訓むのは、大和国の三輪に対していうものか〕。」
  住  所:大阪府堺市鉢ケ峯寺
  電話番号:
  ひとこと:この鉢ケ峯という山、寺が多い。
       鉢ケ峯山マップが置かれてあるんですけど、寺、寺、寺。
       神社はぁ??と探すと、この国神社しか見当たらないのです。

       和漢三才図会にも、鉢ケ峯神社とは、国神社のことか?とありますので、と
       りあえず、そのつもりで紹介していきたいと思います。

       この国神社のお向かいにある、「法道寺」は、天智天皇九年の創建。
       法道という僧が、飛鉢の法を行ったと、寺門横の石碑に記されていました。

       また、泉北高速鉄道法道寺の紹介によりますと、
       この「鉢ケ峯神社」と同じく、天照大神が天降ったという寺伝もあるようで
       す。

       多分、「鉢ケ峯」という地名は、この、「飛鉢の法」から来ているのでしょ
       うか?

       神社から話しはそれますが、飛鉢の法を行った高僧はたくさんおられます。
       実際に私が参拝したお寺で、あてはまるのは、信貴山朝護孫子寺の、空鉢さ
       んです。

       宇治拾遺「信濃国聖事」によれば、信濃からやってきた高僧が、信貴山に居
       を構え、鉢を飛ばして、托鉢していたのだそうです。
       で、よくある話ですが、けちんぼの長者が、供物をケチって鉢が蔵に入り込
       んだところで蔵の鍵を閉め、
      「これで鉢も出られまい」
       と舌を出していると、
       蔵がぐらぐらと動き出し、しまいには蔵ごと聖のところへ飛んでいってしま
       った・・・という。
       まぁ、笑い話なのですが(笑)

       その後、この高僧は、醍醐天皇の病を「剣の護法」で治したりされているよ
       うで、その法力はなかなかのものだったようです。

       澁澤龍彦「東西不思議物語」によれば、信貴山の僧(命蓮という名である、
       とこの本には書かれています。)のほかにも、泰澄(元享釈書)、浄蔵(続
       本朝往生伝)などの、高名な高僧が鉢を飛ばしているんだそうです。

       そのような法が実際にあったのかどうかはわかりませんが、これだけの僧が
       鉢を飛ばしているというのは、なかなか興味深いですよね。
       また、高僧が、自分で托鉢に行かず、鉢を飛ばしてことを済ませてしまおう、
       と横着こいてるのもまた、なんとも言えずおかしいのですが・・・。

       さて、話しは戻ります。
       この襲峯に、天照大神が鳳凰と化して降ったのは、垂仁天皇九年。
       日本書紀を見ても、この歳の事蹟は何も記載されていません。

       ただ、垂仁天皇の愛し子・誉津別命が生まれたのは、二年の冬のこと。
       ならば、この歳、この王子は、7歳ほどということになりますか。
       ・・・ただし、二十三年秋の記事に、「誉津別命は三十歳になり・・・」と
       記されてるんで、それを信じるなら、16歳。
       ・・・まぁ、なんにせよ(^^ゞ
       皇后となる日葉酢姫他、五名の姫君を、戦火の中で死んだ先代皇后・狭穂姫
       の遺志を汲んで後宮に入れられたのは、十五年のこと。

       最愛の皇后であった狭穂姫没後、十年ほど、女性関係について全く記載がな
       く、他の催し事も、野身宿禰と當麻蹴速との相撲のことだけであることを見
       ると、その間、天皇は他の女性に目をくれず、王子に愛情を注いでいたのだ、
       と想像できないこともありません。

       そんな時期に、天照大神が鳳凰になってこの襲峰に降った。
       これは何を意味してるのでしょうね?

       鳳凰という鳥もよくわからない。
       だいたい、中国の瑞獣は、「麒麟」「鴛鴦」など、「麒」が雄で、「麟」が
       雌。「鴛」が雄で、「鴦」が雌というように、雌雄の名が違い、かつ、雌雄
       の名を連ねたものが、その動物の名とされるものが多いんです。
       もちろん、鳳凰もそうです。
      「鳳」が雄、「凰」が雌。
       ならば、「鳳凰に化した」天照大神は、雄と雌の、都合2羽に化したという
       わけで・・・なんか変な図柄ですよね? 

       ただ、まぁですね。
       この鳳凰という鳥、他のいろんな瑞獣とごっちゃになってます。

       朱雀や火の鳥と混同されることも多いので、なんとなく火と関係ある赤い鳥
       というイメージがあるのですけれど、太陽の女神であるところの天照大神が
       化したくらいですから、やはり「火」の化身として捕らえられているのでは
       ないでしょうか。

       つまり何が言いたいか、と言うと、「天照大神が鳳凰に化して降った」とい
       う伝承から、何を連想するかというと、「火の玉が降り注いだ」んじゃない
       か?
       ということです。

       んじゃ、火の玉とは?
       ・・・ようわからんのですけどね。
       文字通り、山火事だったかもしれないし。

       ただ、この鉢ケ峰・国神社を、ほぼ真北に1キロほど行ったところに、妙見
       山・感應寺がありまして・・・。
       北に、北極星を意味する「妙見」山、があるというのもなかなか興味深い。
       しかも、同じく、泉北高速鉄道のこの感應寺の紹介によれば、
       この寺の開祖も、僧・法道仙人だというのですから・・・。
       しかも、法道寺の創建は670年。
       感應寺の創建は、645年。

       火の玉とは、流星群であった可能性がないでしょうか?

       つまり、妙見山・感應寺で修行をしていた法道仙人が、ふと鉢ケ峯を見ると、
       赤い火の玉がびゅんびゅん落ちていく。

       そのことを、
      「鳳凰に化した太陽神が、鉢ケ峯に天降った」
       と表現した、ということは?

       ・・・無理があるか。
       天照大神が降ったのは、垂仁天皇の時代。
       天智天皇の時代よりずっと前ですもんね(^^ゞ

       ただ、まぁ、この「上神谷(にわだに)」の二つの山に、
       妙見=北辰神=星神と、
       天照大神=鳳凰=太陽とが、
       それぞれ別々に降ったというのは、妙に惹かれる符合に思えませんか?       

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