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漲水御嶽

harimizu




  祭  神:古意角 姑依玉
  説  明:宮古島旧記から転載します。
      「・島始
       一 古伝曰、昔年神託を聞に、宮古島上古に古意角ト云男神天帝に奏れて願
       は、下界に島を立始て六生を済度し守護神とならんと誓により、帝叡感有て
       天の岩戸の尖先を折、これら結へて玉はく、汝下海に降り、風水よからん所
       に此石の拠入べしとの給ふ、即恩を謝して石を持下り、蒼々たる大海に投げ
       入れ玉ふ時に、其石凝積て島形出たり。帝又赤土を下し給ふ。古意角の曰、
       我に具足の者あらんことを乞ふ。帝勅答しての給はく、汝六根五体を具足せ
       り。又何の不足あらんや。古意角の曰、夫陽あれば陰あり。陰あれば陽あり
       と奏す。帝是をしかりとして、姑意玉といふ女神を具すべしと許し給ふ。こ
       こにおいて二神、此土に天降りして守護神となり、一切の有情無情を産し、
       其後陽神・陰神を生で、宗達神・嘉玉神と名づく。
       此島赤土なる故に殻種生まれがたし故に、飢に及ぶ事度々なり。天帝これを
       憫んで黒土を下し給ふ。是により、五穀豊熟して食物多し。
       宗達神・嘉玉神十余歳の頃、いづくより来るといふ事もしれず、遊楽の男女
       在て、容貌嬌じょうたり。古意角・姑意玉問ての給はく、汝等何国より来る
       と。答えて曰、土中より化生して、父母なし故に、遊楽神となる。男神は紅
       葉を以て身を荘厳す故に、木荘神と云、女神は青草を以て身を荘厳す故に、
       草荘神と云。古意神・姑意玉の二神、甚これをよろこび、草荘神を以て宗達
       神に幸し、木荘神を以て嘉玉神に幸す。
       宗達神は男子たるを以て東地を領して東仲宗根と名づく。嘉玉神は女子なる
       を以て西地を領す。西仲宗根と号す。二神の神徳広大の故に、人物化育す。
       宗達一子を世なふしの真のしと名づく。男神也。
       木荘一子を素意麻娘司といふ。女神也。この両神の夫婦となって子孫繁栄す。
       当地開基人生のはじまりしかりなり。
       附録
       今の漲水御嶽は、古意角・姑意玉の二神跡を垂れ給ふ霊地なりと云。

       ・漲水御嶽弁財天女
       首里天加那志表御前御為、諸船海上安穏の為の願に付き崇敬し候事
       由来往古天地開闢して人姓未生以前恋角恋玉とて男神女神漲水波打涯に天降
       りして一切衆生森羅万象生出し、則上天し給ふ然ば、氏神の跡を垂れ給ひし
       所とて、彼の波打涯に石を積み木を植、御嶽を立拝申候。夫より夫婦婚合の
       道も知り、人間繁昌し候。其後経数百暦、平良内すみやと申里に、富貴栄耀
       の人あり。一人の子無きを嘆き天に祈ければ、神徳感に応じてやがて花の様
       成娘を儲く。此娘生立に随て優にやさしき粧ひ、譬えていふべき方なければ、
       高き賎き押なべて娘の形を見聞人、うき物思いの種子となりてこころ迷しば
       かりなり。此娘、孝行の志も深く何事に付ても父母心のままに致給しそうら
       えば、父母も年頃にも成ならば、氏姓よからん人を婿に取、跡を継心安世を
       渡らんとて錦帳の内に仮囲はるが、十四五歳の頃、不覚懐胎の体相見え、父
       母打ち驚き是はいかなることぞと娘へ相尋そうらえば、娘紅涙を流れ答える
       言葉なくして母の袂に取り付き嗚呼父母よ、我頃日行衛も知らぬものに被偽
       寄只ならぬ身と罷成そうらえば、生きて恥死ての恥、世の人に面を向へきや
       うもなければいかなる淵瀬にも身を投ばやと存そうらえども、老たる父母を
       身捨て流石さもならず、只一向に嘆き暮申候。今は何をか隠すべき。有のま
       まに申し上げ候。頃日誰とも知らぬ白く清らかなる若男、錦の衣を身に纏ひ、
       句に香々して、夜な夜な閨中へ忍び入かと見れば、心も心ならず、只忙然と
       夢の心地して、跡方もなく失申候と語りければ、父母不審に思い、いかにも
       して彼者に行衛を知らんと存糸緒を千尋程巻、其先に針を結付、男来寝入候
       はば、首に差べくと娘へ相渡候。母教如其夜針を男の片髪に差付置、夜明見
       れば、其糸漲水御嶽の内石の洞に引入申候たどり行見れば、二三文計なる大
       蛇の首に針は差置申候。父母無限易からぬ事に思ひ、嗚呼恨めしや、浮世の
       慣ひ、人と人との恋はさして恥にもあらず、かかる拙きものに犯され末代の
       浮名を流さんこそ口惜しければ、嘆き悲しみける。娘其夜の夢に右大蛇が枕
       元に来、我は是往古此島草創の恋角の変化なり。此島守護の神を立んとて、
       今ここに来り、汝に思ひを掛申候。必ず三人の女子産むべし。其子三歳にも
       なるならば、漲水へ抱参べしと。夢を見て父母に語ければ、嗚呼不審成事哉、
       夢の告誠ならば、嘆の中の祝なりと思ひ生るる日をば待ちけり。日充、月満、
       十か月目に一腹三人の女子を産み申候。人の子にてもなければ、万事世の人
       にはまさりてん見にけり。三歳にも罷成候間、示現の通、漲水へ抱参申候。
       父の大蛇両眼は如日月、牙は剣を立たるように紅の舌を振、御嶽の中より這
       い出、首は蔵許の石垣に仰き掛り尾は御嶽の石垣に振掛り、喚き叫し有様う
       そろしき魂を身に添わす。息も絶入計にて候。母も蛇の形を恐懼んで子をば
       遺棄去り申候。3人の若子何こころもなく蛇に這掛一人は首に乗り、一人は
       腰に乗り、一人は尾に乗べしと抱き付き、蛇も紅涙を流し舌を以て子を扱ひ、
       親子の眤をいたし候。則三人共、当島守護の神とならせ給いたるよし、御嶽
       の内に飛び入り掻消様に失申候。父の大蛇は光を放天に上り申候。夫よりし
       て宮古の氏神と崇申候。其後経数千暦、仲宗根豊見親宮古島の主の時、八重
       山島討取度心中骨髄に入思ひければ、悪鬼納加那志へ申上、討取の御大将壱
       島迄御下り被成候間、豊見親御嶽に詣て仰ぎ願くは、大神擁護威八重山軍勝
       利て得させ給ひとて、肝憺を擁き奉祈誓御供にて八重山島押渡無事故討平け
       致、帰帆安緒し候。誠に神は人の依敬増威光人は神の依徳添逞命ものならん
       と。豊見親祢随喜の心を発し、御嶽の囲に新敷積直信仰の首を傾、末代の今
       まで謹で崇敬し候事。」
  住  所:沖縄県宮古島市平良西里在
  電話番号:
  ひとこと:読みづらいかと思いますが(^^ゞ
       ひとつ目「島始」は、古意角 姑依玉による、島創生の物語ですね。

       面白いのは、記紀神話のイザナギ・イザナミと同じく、創生神が夫婦である
       こと。

       そして、「夫婦の交合」によって、島を作り出したというところでしょうか。

       しかしその後、二人の子供たちは、外からやってきた神とそれぞれ婚姻をし
       て、人類が始まったとするところが、いわば独特です。
       しかもその「外からやってきた神」は、土中から自然に生まれ出た神である、
       と。

       ここに、「祖先信仰」と「自然信仰」の融合を見てしまうのは、私だけでし
       ょうか?

       沖縄の島々は、近代以前、「琉球王国」として、琉球王朝に支配されていま
       した。

       しかし、それ以前は?

       島それぞれに統治されていたはず。
       琉球王国の始祖はアマミキョ・シネリキョの夫婦神であるとします。

       宮古島のそもそもの崇拝大系はどうだったのでしょう?
       自然崇拝だったのではないか、と想像します。

       宮古島の人々が、琉球王国の支配を受け入れ、その信仰をも受け入れたとき、
       神話がこのような、両者をドッキングさせた形に変化したのでは……とね。

       そこらへん、勉強不足なので、ご容赦を。

       また、二つ目の話は、いわゆる「苧環型神婚譚」ですね。

       神に授けられた美しい娘のところに、夜な夜な美しい男がやってきて契りを
       結ぶ。

       ほどなく娘は懐妊するが、夫の正体がわからないため、母親は娘に
      「この針に糸をつけて、男の首に差しなさい」
       と教える。

       娘はその通りにし、次の朝糸をたぐっていくと……。

       男は大蛇と化して寝そべっていた。

       しかし、後半の謎解きは、風土記逸文にある「賀茂の社」と似ているかもし
       れません。

       夫が蛇であったことを知って嘆く娘の夢に大蛇が表れて、

      「私は、宮古島創生神である。その証拠に間違いなくあなたは三人の子を産む
       でしょう。その子たちが三歳となったら漲水御嶽につれてらっしゃい」

       と告げるわけですね。

       はたして三人の娘が生まれ、彼女たちが三歳になったとき、御嶽に連れてい
       くと、

      「大蛇両眼は如日月、牙は剣を立たるように紅の舌を振、御嶽の中より這い出、
       首は蔵許の石垣に仰き掛り尾は御嶽の石垣に振掛り、喚き叫し有様うそろし
       き魂を身に添わす。」

       という恐ろしい姿の大蛇が寝そべっていた、と。

       だけど、三人の娘たちはそれを恐ろしいとも思わずまとわりつき、なつき、
       大蛇もそれを見て喜び、赤い涙を流した、と。

       なかなか感動的じゃありませんか。

       しかし、この話が、宮古島に伝わったルートはどのようなものなんでしょう
       ね。

       もし、南島のいずれか……タヒチだとか、ハワイだとか、インドネシアだと
       か、もしくはもっと源流に近い、マウリの人々かがまず宮古島にたどり着き、
       文明を花開かせ、そして彼らがこの神話を持ってまた本州まで旅をしたのか。

       それともその反対か。

       どちらでもよいのです。

       古い時代から、宮古島と本州になんらかの交流があったと考えるのは楽しい
       ことだと思うからです。

       この御嶽に参拝したのは朝9時ごろ。
       すでに神女さんたちが御嶽の中で、祈り事をされていました。

       お邪魔をしてはいけないので、写真などは撮影できませんが、黒い、長さ20
       センチ・太さは2センチ四方ほどの四角柱の木を燃やしながら祈っていまし
       た。

       黒い棒は100本以上あったと思います。
       ひとつひとつ祈りを籠めながら、神殿前の炎で燃やしておられました。

       信仰が、いまだにしっかりと根付いているのですね。

       宮古島は、のんびりしていて、しかもパワフルな人たちのいる、元気な島で
       した。

       その島に伝わる信仰や、神話を、これからも大切にしていただきたいなと思
       ったのでした。

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