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祭 神:天道日女命 御炊屋姫命 説 明:愛媛県神社庁のサイトを転記します。 「応神天皇の御代に勅令を奉じ物部阿佐理命が風早の国造となり、天道姫命及び御炊屋姫命を奉齋せられ、 公の崇敬厚く延喜式内神明帳に列せられた由緒深い御社です。 中昔までは実に壮大な御構えの神社でありました。天正年間度々の兵乱により廃頽し社殿宝物を焼失し ましたが、河野家が社殿を建築した。寛保元年に松平隠岐守は、毎年代官をして参拝する制度を定めら れました。斎衡元年三月、従五位下を賜り、中古は祓座(はらいにます)大明神とも称せられましたが、 寛永年間に官命を受けて南方の小山の頂きより現在の地に奉遷され、亨保年中に旧号に復しました。 天道姫命は大国主命の御子であられ、御炊屋姫命(登美夜毘賣とも称す)は大和国鳥見の豪族の長髓彦 (登美毘古)の妹君で、 宇摩志麻治命の母君にあらせられます。 古来、地方豪族の氏神として代々崇 敬せられ、明治二十九年に社格が「郷社」となりました。 拝殿前方の小山は前方後円墳の一部分であります。」 境内案内板を転載します。 「櫛玉比賣命神社のいわれ 主神 天道日女命 相殿御命に国津比古命神社の主神であるクシダマニギハヤヒノミコトの后神(奥様)をおまつりしてい るのが櫛玉比売命神社です。 櫛玉は、ニギハヤヒノミコトを形容することばです。その方の比売神ですから「櫛玉の比売の命の神社」 です。 風早の先人が国津比古命神社にこの郷の国魂をまつり、のちに、物部阿佐利命がこの国魂も歌い、合わ せて祖神であるニギハヤヒノミコトをおまつりしたおり、現在地より南方の小山に后神をおまつりした と考えられます。 社伝によると、寛永年間(一六一一〜一六二九)に前方後円墳のそばに遷されました。 このことから考えると、動座祭からの一連の神事は最大限ここまでさかのぼることができます。櫛玉比 売命神社は「祓座大明神」ともいわれました。 これは当社が国津比古命神社の祓いをつかさどったなごりだと考えられます。動座祭に限り、櫛玉比売 命神社から始まるのもこのためです。 享保年間、元の社名にもどりました。特殊神事として動座祭のあと「宵の明星」があります。 明治四二年、社格が郷社になり、現在の社殿は昭和六二年に新築されました。 両社とも風早の大動座祭から神興落としにいたる一連の神事・行事には両社の特性がよくあらわれてい ます。」 住 所:愛媛県松山市高田甲702‐1 電話番号: ひとこと:なるほど。ニギハヤヒの妻だから、「クシタマの妻」であり、「クシタマヒメ」と称されたというのは、 納得です。 奈良県にも櫛玉姫神社があり、ご祭神が御炊屋姫なので、なんでかなと思っていたのですが……。 ニギハヤヒといえば、物部氏の祖神ですが、物部氏と「クシタマ」つまり、「奇し玉」といえば、やは り、どうしても、十種の神宝を連想します。 瀛都鏡・邊都鏡 八握剣 生玉・死返玉・足玉・道返玉 蛇比禮・蜂比禮・品物比禮 の10種類。 生玉・死返玉・足玉・道返玉が玉なのですが、このうちのどれかが「奇し玉」なのか、あるいはこの四 つすべてが「奇し玉」なのか……。