renai

楠本神社

kusumotoizumi




  祭  神:楠本大神 菅原道眞
  説  明:境内案内板を転載します。
      「楠本神社由来 上国内神社明細帳に依る 下大阪府全史記載文に依る
                    ******
       楠本神社は、包近村に鎮座の延喜式内社にして楠本大神菅原道真公を鎮座し
       奉る村社なり。創立年月日詳ならずと雖も国内神名帳及其他諸史より考証す
       るに古事記仁徳帝の段に北の御代兎寸河今の牛滝川の西方に一高樹有り其樹
       の影朝日に当れば淡路島に及び夕日に当れば高安山を越えきかし是の樹を伐
       り船に作れるに甚と捷く行く船にそ有ける時に其の船の号を枯野とそ謂ひけ
       るかし其の船を以って朝夕に淡路島の寒水を酌みて大御水に献りきと有りて
       即ち当社の祭神楠本大神は其の大樹伐りたる跡に大樹の威霊を祭祀せるもの
       にして、旧事紀に楠本神社船玉鳥之右楠船神又名謂天鳥船神とも称え奉り神
       階従三位を賜はり境内広大社殿壮麗にして七堂伽藍も建立、神威赫々遠近緒
       人の信仰浅からず天正年間に菅原大神をも相殿に祭祀して俗間之を天神と称
       へ奉り、霊験弥々顕著なりき。然るに後水尾天皇の慶長年間兎寸河今の牛滝
       川数日の大水に殿宇並びに七々伽藍古書類計及附近家屋十八戸男女三十二人
       流失して悉く荒野となる。氏子包近の村民蜂屯蟻集社殿を改築し代々氏神と
       仰ぎつつ社僧の奉仕する所となれり。明治元年社僧を廃して神職を置き明治
       五年村社に列し乃ち氏子の崇敬神社なり。
                    ******
       本地は古来南部に属し、もと山直郷の内にして包近村と称す。楠本神社は北
       方字宮山に有り延喜式内の神社なれ共祭神詳らかならず。後世菅原道真公を
       併祀せり。俗に天神と称せらる。
       古老の伝説に依れば其の道真公を併祀したるは織田信長の時代なりとし、且
       来詣道なる畑の中にはもと鳥居ありて包近の捨鳥居と呼び白河法皇の宸筆の
       額を揚げたりしに、烈風暴雨の為牛滝川に吹き流され伊勢の白子里に上りて
       今も同所に存し其の額には白髪大明神と書せりと云ふ。
       旧祭神の詳ならざる為、神名帳考証には船玉神なりとし、神社覈録には古事
       記仁徳天皇の段に兎寸川之西有一高樹と見申る高樹は楠なるべく当社はその
       楠の本にありて木霊を祀り摩湯村の淡路神社は其の水霊ならんとし、大日本
       史も亦之と同様の説を記してゐる。
       神位は国内神名帳に従三位とせり。
       明治五年村社に列し、大正四年十二月二十一日、字垣外の村社八幡宮品陀別
       命を合祀せらる。同八幡宮は楠木正成公の祈願所にして正成公の寄附したる
       武具菊水旗等は宝庫に納めありて慶長十年当社消失の際には持ち出したるも
       其後兵火に罹らん事を恐れて河内の天野山に納めしと伝へ社頭の楠は楠木氏
       の家臣鴨野宇右衛門手植のものなりと。境内は三百拾五坪を有し本殿並びに
       拝殿を存すとある。」
  住  所:大阪府岸和田市包近町1448
  電話番号:
  ひとこと:楠には防腐作用があり、船の材料としては優れているんだそうです。
       ですから、楠本大神=船の神であったとしても、驚くには当らないでしょう。

       さて、記紀には、「枯野」という名詞が登場します。
      「枯野」とはなんのことだと思いますか?

       野原のことじゃないの?
       そう思うでしょう。

       ざんねんでしたっ!!
       そんな単純な話なら、問題にしませ〜〜んっ!!

       というか、ご由緒を読んだら、答えは明らかですね(笑)

       実は、枯野とは、船のことなんです。

       なんで?

       古代日本には、恐ろしくでかい樹がありました。
       そう。その木の影で、あたりの野原が枯れてしまうくらい・・・。
       その木ででかい船を造りました。
       名付けて、「枯野」。
       なるほどね〜〜。
       
       今一度手持ちの古事記を引用すれば、
      「この(仁徳天皇の)御世に兎寸(とのき)河の西の方に高い樹がありました。
       その樹の影は、朝日にあたれば淡路島に到り夕日にあたれば河内の高安山を
       越えました。そこでその樹を切って船に作りましたところ、非常に早く行く
       船でした。その船の名は枯野といいました。それでこの船で、朝夕に淡路島
       の清水を汲んで御料の水と致しました。この船が壊れましてから、その船材
       で塩を焼き、その焼け残った木を取って琴に作りましたところ、その音が七
       郷に響きました。それで歌に、

       船の枯野で塩を焼いて、
       その余りを琴に作って、
       掻きひくと、由良の海峡の
       海中の岩に触れて立っている
       海の木のようにさやさやと鳴り響く

       と歌いました。これは静歌の歌い返しです。」

       とあります。

       ・・・高安山は、確かに、それほど高い山じゃありませんわね。
       手持ちの地図には、標高487.5mとなってますね。

       それでも、いくら夕日が低くから差したとしても、その影が高安山を越える
       ほどの巨木って、すごくない??

       高安山より西にこれと言って高い山はありません。
       つぅと、高安山から見ると、太陽は山の稜線ではなく、地平線・水平線に沈
       むように見えるでしょう。

       ならば、太陽が水平線・地平線に達した時、とりあえず、太陽光は水平に走
       ると考えて良いかもしれません。
       と、しても、まぁ・・・。
       この巨木は「高安山より高い」、と言うことになります。
       そうでなきゃ、影が高安山を越えることは有り得ませんからね。

       とすると、全長500mほどの巨木・・・。
       どうやって加工すんねんやろ・・・。

       実は日本書紀に登場する「巨木」は、高安山どころか富士山さえ陰にしてし
       まうらしいんですが、この巨木があったのは、中部地方のどこかになるでし
       ょうから、ここでは無視します。

       とにかく、この「兎寸(とのき)河の西の方にある巨木」は、他に比類のな
       いほど大きく高い樹木だったわけです。

       その巨木があったのは、この、楠本神社のある場所。
       そして、その巨木こそ、この楠本神社の御祭神である。

       ここに、話は帰着します(笑)

      「世界樹信仰」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?

       有名なのは、ケルト神話に出てくるイグドラシルでしょうか。

       ケルトの神々はアスガルドという美しい天上の都に住んでいるとされていま
       す。
       アスガルドは、イグドラシルの樹の上にある、宇宙の中心なのです。

       アスガルドとは、アサ神の園という意味だそうで・・・あぁ、ガルドはガー
       デンのことですね。

       で、イグドラシルとは、宇宙樹という意味で、これは、宇宙の中心に生える、
       巨大なとねりこの樹です。

       その上に神々の園が乗っかるくらいですから、その大きさたるや枯野と比べ
       るまでもないでしょうが・・・。

       まぁ、そんなわけで、ケルトでは、宇宙の中心には、神々の園と同時に巨木
       が存在する、と考えられているわけですね。

       そして、ユダヤ教においては、エデンの園に生える「智恵の実がなる樹」が、
       同じような役割を果たしている・・・という話もあったりなかったりするよ
       うです。

       ここらへん、思いっきりうろ覚えですが・・・。

       そして、日本においては、この「枯野」が、その「世界樹」に該当するんで
       はないか、と。

       としたら・・・。

       ケルトの人々が「神々の住む国を支える宇宙樹」と尊敬の念を抱いた巨木を、
       ユダヤの人々が、「智恵の実がなる楽園樹」と憧れを抱いた樹木を。
       日本人は・・・。

       切倒してもうたんか〜〜〜いっ!!!

       ・・・う〜〜む、恐ろしい。
       しかも、船にして、その上焼いてしまってる!!
       なんてこったい。

       ・・・しかし、この話、何かを連想させませんか?
       そう。
       花咲爺さんですよね。

       小判を掘り当てる犬は、桃から生まれ、
       犬の屍体の上に生えた柳から作った杵と臼は、小判を吐き出しました。
       そして、その臼を焼くと、枯れ木に花を咲かせる魔法の灰になったのです。

       この「枯野」は、桃から犬、臼、そして灰・・・というほどの大幅な変身は
       ありませんが、大木から船、そして琴、と、華麗なる変貌を遂げています。

       つまり、「進化」している。

      「世界樹」は、それだけで、唯一無二の、有り難い存在です。
       それ以上にならずとも良いわけです。

       それを、日本人は、さらに進化させようとしている・・・。
       う〜〜む、飽くなき探究心と云うべきか、
       ちょっと欲張りすぎ・・・と見るべきか。

       ・・・どちらにしても、この神社の御祭神は、
       世界的に信仰されている「世界樹」であり、
       かつその上に、進化する木霊なのです。

       そう考えると・・・。
       ものすご〜〜〜く、有り難いですよね(#^.^#)

home 神社のトップに戻ります back