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竹神社

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  祭  神:長白羽神 天照大御神 建速須佐之男命 八柱神 應神天皇 地主神 火産靈神
       宇迦之御魂神 大己貴命 天棚機姫命 八千千姫命 瀬織津姫神 
  説  明:平成祭りデータを引用します
      「垂仁天皇の御代、竹連・竹氏という豪族、連は姓の祖、宇迦之日子の子、吉日子
       が天照大神の奉行に供奉して、この地に留まり、孝徳天皇の御代に至って、竹郡
       創建の際に、その末裔が当社を創祀した。竹吉日子については、「皇太神宮儀式
       帳」に、竹の首吉比古の名がみえ、神社は櫛田川の古流祓川の東岸台地である竹
       川字中垣内(ふるさと地区)に祀られていた式内社である。斎王制度が固まって
       いくとともに、地名も「竹の都」から「斎宮」に変わっていった。「斎宮」には
       「斎王」がおられ、天皇に代わって、伊勢の神宮に仕えた。その役所である屯倉
       斎宮寮には往時500余人を数える官人がおり、内院、中院、外院と17の社が
       祀られていた。斎王はこれらの社を参拝せられた。「野々宮」もその一つであろ
       う。天武天皇のとき、大伯皇女が斎王に麻績氏が頭に任ぜられた。この麻績氏の
       祖が、長白羽命で当社の主祭神として祀られている。現在地の「野々宮」は「斎
       王の森」とともに斎王にゆかりの地であり、毎年6月「斎王まつり」が行なわれ
       る 」
  住  所:三重県多気郡明和町大字斎宮2757-2 
  電話番号:
  ひとこと:伊勢の斎宮とはいったいなんなのでしょう。
       天照大神を斎き祀る巫女。確かにその通りなのですが、もし往古、ここ竹神社に
       伊勢の斎宮が住んだのだとしたら、伊勢神宮の神に仕えるには少し遠い気がしま
       す。
       
       本当は、伊勢の神に仕える人は別の人だったのではないかという想像もできます
       ね。彼らは伊勢神宮のそばに住んだ。
       斎宮は朝廷から遣わされた伊勢の神人の一人であり、決して天照大神に一番近い
       存在ではなかったのかもしれません。
       
       ではなぜ遣わされたのかと考えたら、「人質」という発想が自然と湧くのですけ
       れども……。
       
       伊勢は本当に良い場所です。
       景色も美しく、リヤス式海岸が波から土地を守り、豊かな漁場を作っています。
       縄文草創期からたくさんの人が集まった場所ですから、多くの豪族たちが奪い合
       ったでしょうね。
       
       そういうことを想像すると、現在とはまったく違う風景が見えてくる気がします。
       ロマンねぇ(≧▽≦)

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