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倭文神社 蛇祭り




2008年10月13日午後1時。
快晴

奈良市は倭文神社の蛇祭りを見学してきました。

このお祭りには謂れがあります。

その昔、この地域では、神に人身御供を供える風習がありました。
しかしある年、英雄(弘法大師という説も)が現れ、自らが人身御供となったのです。
その夜半、英雄が息をひそめていると、何かを引きずる音が聞こえてきます。
思い切って飛び出してみると……そこにいたのは神ではなく大きな蛇。

「この憎い魔物め!!」
英雄は大蛇を三つにぶった斬り、退治したのです。
その以降、人身御供を捧げる風習はなくなったのでした。

蛇の頭は神社のそばに落ち、その地は「龍頭」と呼ばれます。
また、神社境内には「蛇塚」があり、かの蛇が埋められているといいます。

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村人のお話によると、
弘法大師は魔物を退治したのではなく、
「神に生贄を捧げる風習を止めて、餅で作った神饌をその代わりにすると決めたのだ」
という考え方もあるようです。
その神饌の名は、ずばり「人身御供」と呼ばれ、現在も秋まつりで供えられています。

どちらにしても、その昔この地域に生贄の風習があったとされているのは興味深い話。

「昔は、長男が生まれたら、生贄に取られないように、隠して育てたっていうよ」
というお話も聞かせていただきました。

とはいえ、古い風習がなくなってから、この宮は、
「子供が元気に育つように」
と願いを掛けるお母さんが後を絶えないようです。

さて、お祭り当日、私たちがお宮に着いたのは午後十二時半ごろ。

社務所を覗くと、餅で作られた神饌「人身御供」が十二体、飾られています。
中で拝見してもいいとお許しをいただいたので、そばで見、お話を聞くことができました。

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「人身御供」の顔になっているのは、里いもの「親いも」。
芯はずいき(里いもの茎)です。
周りを飾るのはお餅ですが、ひとつだけ、ずいきで造られた大蛇が置かれています。

お食事中の村の人にお話をうかがっていると、
「これ食べなさい」
とくださったのも、やっぱり里いも(ここでは泥いもと呼ばれるそうです)でした。

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どうやらこのお祭りにとって、里いもはとても重要アイテムなようです。

このお祭りを催行されるのは、春日大社の神職さん。
まだお若い方で、
「もともと奉職して三年目の神職は、あちらこちらの神社でお祭りをすることが多いんです」
とおっしゃっていました。

また、なぜそんなに近所でもない春日大社の神職さんがいらしゃるのかという疑問については、
こんなお話をうかがうことができました。

関東は鹿島・香取から武甕槌命と経津主命が奈良へいらっしゃったとき、
神職さんたちが住む場所がなかったそうです。
そこで、榊の葉を投げると、ここ、倭文神社のあたりに落ちたとか。
つまり、このあたりは春日大社に奉仕なさる神職さんの居住地だったということ。
ですから、今でも春日大社と倭文神社は深い関係にあるというのです。

それでふと思い出したのは、八尾の恩智神社のこと。
この神社も春日大社とは大変にご縁が深く、
秋まつりには、「御供」と呼ばれる人の形に作った餅を供えるんですよね。

春日大社と「人身御供」には何か関係があるのでしょうか?

さて、午後一時前になると、村人たちは着替えを始められました。
白装束の方が六名、水干姿の若者が五名。
白装束になるのは、人身御供という「忌み事」とは関係がなく、
神の前なので清浄な色を身につけるということだそうです。

その間に、境内に置かれていた、「大蛇」を拝見。

これは竹と藁でできているようですが、総重量150キロほどあるとか。
「ヘビ退治」の人物がこの上に乗りますから、合わせると200キロ。
なかなかの重さですね(^^ゞ

上に乗るのは、頭屋地域(十地域あるそうな)の長老。
「女人禁制」なので、女性は乗れないそうです。

さて、午後二時になると、この蛇と人身御供は町内を練り歩くことになります。
まずは、社務所において、神職さんによる清め祓え。
その後、出発です。

行列の先頭は、稲穂と酒樽をかついだ男性。

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そして「人身御供」を捧げ持った白装束の男性たち、
「人身御供」を捧げ持った法被姿の男性たち。

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そしてその後に、大蛇。
最後に布団太鼓が続きます。

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この練りの間、「止まり」「戻り」は厳禁とのこと。
嫁入り道具を運ぶ時も、「止まり」「戻り」は厳禁ですよね。
「人身御供」は、「神の花嫁」という考え方もあります。
もしかしたら、そのことと関係があるのかもしれませんね。

途中、稲穂と酒、そして「人身御供」を持った一団は、近所に鎮座の時風神社へ寄ります。
時風神社は、「春日」の護衛であった「中臣時風」という人物を祀った神社なのだそうで、
この神社にも二体の「人身御供」を供えられます。

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そしてその間に大蛇と布団太鼓はお宮に戻ってしまうんです。
「悪者」である大蛇にとって、春日様の護衛は関係がないということでしょうか。

その後、蛇塚に参拝した後、人身御供を捧げる一団も、神社に戻ってきました。

この後、まず、神饌を神前に運ばれます。

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お祭りなどで、典饌の際よく見かける風景は、
氏子さんたちが口に榊を加えて、粛々と、バケツリレー方式で神饌を運ぶというもの。
このお祭りにおいても、バケツリレー方式は同じです。
でも、少し変わっているのは……。

「ホーーーイ!!」
神饌を次の人に手渡す際、ものすごく大きな声を出すんです。
これも多分、何か意味があるのでしょう。

この時供えられるのは、まず小さなものから。
なす・都忘れの花・何かの茎を二本・炊いたお米を乗せたお餅、
そしててっぺんに穴の空いたお餅が4つずつ。
それぞれ、青・緑・黄・赤の紙を巻かれています。
二本の茎はお箸を模したもので、てっぺんに穴の空いたものは臼だそうです。

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このお祭りは、「人身御供」に関係するお祭りでもありますが、
純粋な「秋の豊作を感謝し、祝う祭り」でもあります。
そのために、このような可愛らしいお供え物も作られるのでしょうね。
そして、最後に「人身御供」が並べられます。

その後、本殿横にある小さな摂社にも、
赤い小さな御供えひと揃えと、「人身御供」が二体供えられました。

すべてのお供え物が神前に並ぶと、神職さんの祝詞が奏上されます。
そして、それとほぼ同時に、境内では、「大蛇」に火が放たれるのです。

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町内を一周して帰ってきた大蛇は、境内にしっぽを上にして斜めに立てかけられています。
その尻尾に松明の火を移すのですが、あっという間に火が大きくなり、危険なほど。
その後、神社裏の公園に運び込まれました。
多分、燃えるものが多い神社境内で火を燃やすのは危険だという理由の措置でしょうね。
その昔はどうだったのでしょう?
大蛇の周りには誰も近寄らず、何か寂しい気がしました。

神職さんによる祝詞奏上が終わると、次は「お相撲」。
本殿の前に茣蓙が敷かれて、四人の男の子がふんどし姿で登場します。

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といっても、本当のお相撲の取り組みがあるわけではなく、形式的なもの。
男の子の背中を村の方が支え、
北に立った方が「一番、二番、三番、四番、五番用意!」と叫びます。
南に立った方はそれに応えて、「六番、七番、八番、九番、十番用意!」
また北の方が「十番、二十番、三十番、四十番、五十番用意!」と叫べば、
南の方は、「六十番、七十番、八十番、九十番、百番用意!」
この後取り組みです。

四人、二組が終わると、上半身裸の若者が登場。
大声を上げて茣蓙の周りを走ります。
この間、見物人はその背中を叩くことになっているらしく、
裸の背中は真っ赤になっていきます……
そして茣蓙の前部分に日の丸扇子を置き、手にもった白い矢で赤丸を突き刺しました。

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これは、
「戦において、敵を倒した」
という意味なのでしょうか?
それとも、「人身御供の白羽の矢が当たった」という意味なのでしょうか?
お祭りの後、境内で白い矢を拾ったので、村人にお返ししようとしたら、
「あぁ、持って帰って!!」
とくださったので、
たぶん、お祓いをしなければならない類のものではないのだと思います。

その後、今度は相手を変えてまた相撲を一番ずつ。
今度のかけ声は南の方から。
「百番、二百番、三百番、四百番、五百番、用意!!」
北の方が「六百番、七百番、八百番、九百番、千番用意!!」
そして南の方は「千番、二千番、三千番、四千番、五千番用意!!」
北の方は応えて「六千番、七千番、八千番、九千番、一万番用意!!」
となるわけです。

この言葉になんの意味があるのかはわかりません。
もしかしたら、4つの桁で1から10の数字を言うことに、何か魔除けの意味があるのかもしれません。

この後また、先ほどの扇子の的を射抜く所作が繰り返され、お祭りの次第はすべて終了です。

公園で誰にも見向きもされずに燃え尽きた大蛇の残骸を綺麗に寄せ集めておられたのは、
先ほど、大蛇の上に乗っておられた長老でした。

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「なんだか蛇、可哀そうですね」
と言うと、何もおっしゃらず、にっこりとされました。
多分、長老もそう思われておられたのでしょうね。

このお祭りでも、外からやってきた見ず知らずの私に、
村の方たちは本当に親切にしてくださいました。

珍しいお祭りも魅力的ですが、村の人たちの和気あいあいとした雰囲気はそれ以上。
時間もお金もかかる大変な行事だとは思いますが、
この先も変わらず続くようにと祈ります。

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