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祭 神:宇迦之御魂大神 下照姫命 雅日女命 月読命 軻遇突智命
説 明:創祀は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋といわれ、当
時は、比売社と言われたと言います。
聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉
作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝
葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、のちに枝葉が生じ、
この戦いも無事に終わったと記されています。
住 所:大阪市中央区玉造2丁目3番8号
電話番号:06−6941−3821
ひとこと:小高い丘の上にある神社で、大阪市のほとんどがまだ、海の
底だったころからこの地にあったと伝えられています。
主祭神・宇迦之御魂大神について、この神社では、素盞嗚尊
と神大市比売の御子であるという、日本書紀の説をとられて
います。
また、日本書紀の中の、月読命の保食神殺傷の話も紹介され
ており、保食神と宇迦之御魂大神が同一の神ではないか、と
いう説も紹介されています。
つまり、ん〜、被害者と加害者揃い踏みだぁ。
しかし、この月読命の保食神殺傷事件は、単なる殺神事件で
はなく、保食神は、殺害されることによって、五穀を生じて
います。
つまり、月読命と保食神が揃って始めて五穀がこの世に誕生
したのです。
軻遇突智命も、父神・伊邪那岐命に殺害されることにより、
山の神などが化生していますし、また、この軻遇突智命を、
生んだことにより、母・伊邪那美命は黄泉の国へ旅立ってい
ます。
神話の中では、死は、即ち、「無に帰する」ことでは、ない
のですね。
また、この玉造は、文字とおり、「玉を造った」場所ではな
いか、といわれています。
この地は、「誕生」に関わる地だったのかも知れません。