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楯原神社

tatehara




  祭  神:武甕槌大神、大国主大神、孝元天皇、菅原道真、赤留姫命
  説  明:長いのですが、社伝からの抜粋をそのままここに写します。

      「武甕槌大神は大国主大神の教えに従い、国平の鉾を持って天
       下を巡行した後、この地に留まっていましたが、御孫大々杼
       命に『十握の剣を私の霊の代わりとして、また国平の鉾を大
       国主大神の霊代として斎き奉るように』と言い残して天昇り
       隠れました。 
       子孫の大々杼彦仁は、神武天皇が東征の途中紀国で大熊に悩
       まされていた時、斎き祀っている祖神のお告げにより剣を献
       上したところ、天皇は大熊を切り伏せ無事倭国へ入ることが
       できました。 
       崇神天皇は、子孫の大々杼名黒に次のように言われました。
      『あなたの家に斎祀している武甕槌大神と大国主大神を同じ社
       で祀ることは畏れ多い。別々に神殿を造り、社名を称しなさ
       い』
       そこで、字楯原の地(現在の喜連西一丁目)を選んで社殿を
       建立し、十握の剣を楯の御前社、国平の鉾を鉾の御前社とし
       て鎮め奉りました。 
       大々杼名黒は、仲哀天皇の皇后息長帯女命は三韓御親征の時、
       お告げを伝えたところ、軍事がうまく行ったので、摂政は住
       吉御幸の時、楯の御前社と鉾の御前社の神籬を立てて祭られ
       ました。(これが住吉神社に其の社のある所以です。)皇后
       は楯の御前社と鉾の御前社に参拝し、その折、楯の御前社を
       改め、二柱の大神を楯原神宮と称し奉ることを奉告されまし
       た。」
      「桓武天皇の頃(西暦800年頃)風水害が続いたので、赤留
       姫命を祭神とする一五の龍王社を境内神社として合祀しまし
       た。」
       何度か遷座を繰り返したのち、明治40年、由緒ある楯原神
       社の名前を復興しました。
  住  所:大阪市平野区喜連6−1−38
  電話番号:06−6709−0232
  ひとこと:武甕槌大神は一般に、伊邪那岐命が、我が子迦具土命を斬っ
       た時に化生した神様、出雲の国譲りの際、経津主命と共に、
       派遣された神様、として描かれています。

       しかし、ここでは、大国主命の命により、となっています。
       どういうことなのでしょうか?

       崇神天皇の御世に起きた、大神の神祭祀に関する古事記の
       記載に関連するのかも知れません。

       即ち、伝染病が流行したことに悩んだ天皇が、ご神託をた
       てると、大物主命が現れ、「意富多多泥古(オホタタネコ)
       に、私を祭らせよ」と告げた。
       意富多多泥古に出自を問うと、
      「大物主命と陶津耳命の娘の活玉依姫との子供・櫛御方命の
       子供・飯肩巣見命の子供・建甕槌命の子供が私です」
       と答えた。とあるのです。

       すると、社伝にある、「大々杼名黒」は、「意富多多泥古」
       でしょうか?

       しかし、「大々杼名黒」は、息長帯女命(神功皇后)にお告
       げを告げたとなっていますね。
       記紀で、神功皇后にお告げを告げたのは・・・天照大神なん
       ですよ〜。いや〜〜〜ん。

       社伝を記紀に当て嵌めて考えると、
       出雲に国譲りを迫ったはずの、天照大神、そして、その使者
       武甕槌大神が共に、大物主命の子孫ということになってしま
       うのです。

       勿論、記紀と社伝、どちらの方が本当なのか、誰にもわから
       ないのですが・・・。

       天照大神が大物主命の子孫であれば、日本書紀のあるくだり
       について、納得がゆくのです。つまり、

      「忍熊王の反逆にあった神功皇后は、一端武庫の港に帰って、
       神託を受け、天照大神の荒魂を広田神社に、稚日女尊の御魂
       を生田神社に、事代主命を長田神社に、三筒男命を大津の渟
       名倉(ぬなくら)の長峡に祀った」

       天照大神・稚日女尊・三筒男命の、同じく伊邪那岐命・伊邪
       那美命から生まれた縁つながりの中に、なぜ、大国主命の御
       子、事代主命の名前が挙がっているのか、との謎に、答えが
       でるのです。

       天照大神も、稚日女尊(天照大神の妹とも娘とも)も、大国
       主の子孫である。三筒男命は、男ではなく、素盞鳴尊(大国
       主命の義父)の娘であるところの、宗像三女神(しかし、こ
       の女神達も、宗像大社では、天照大神の娘となっているのだ
       けれども)のことである・・・。なんてね。

       この神社については、もう少し、研究が必要ですね。(でも
       資料が少ないの・・・うるうる)

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