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宇治神社

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  祭  神:菟道稚郎子命  
  説  明:栞によりますと、
      「当社は仁徳天皇(自今一千七百年)の創建にして、往昔より離宮
       八幡と云ふ、史上所謂桐原日桁宮是れなり、仰も祭神菟道稚郎子
       命は応神天皇の皇子にして、夙に経籍を習ひ、儒道を修め博くそ
       の理義に通じ給ふ、ことに聴明叡智に坐しましゝかば、天皇深く
       御鍾愛あり、長子を凌ぎて皇太子と定め給ふ、御父応神天皇御崩
       御の後、命は天位を皇兄大鷦鷯命(仁徳天皇)に譲りて此処に住
       はせ給ふ、されど皇兄くらいを践み給はず、互いに相譲りて帝位
       を空ふし給ふこと三年、命皇兄の御心の奪ふ可からさるを知り給
       ふや、死を以って節を全ふし給へり。
       皇兄深く痛哭哀悼し給へど、今は詮術なければ、遂に天位を襲ひ
       給ふ仁徳天皇即ち是れなり。
       然れば此の御即位譲りの事は百世の美徳として普く世人の知る所
       なり、こゝに於て天皇その宮居の地に祠を建てゝ、命の神霊を鎮
       祭せしめ給ふ。是れ当社の創立なり。
       命は初め百済の貢士阿直岐(あちき)および王仁(わに)に就て
       学ひ薀奥を極め給ふ、実に我国文教の始祖にして、其の事蹟は長
       へに彜倫を叙し汎く治教を張れるのみならず、国運の隆興も亦大
       に負ふ所尠少ならざる可し。
       当社は古来極位の官社にして、歴朝の崇敬武将の信仰は申も更な
       り。殊に後冷泉天皇の尊崇厚く、宇治関白頼道公も亦深く崇敬し、
       毎年例祭の砌り幣帛を進め神馬を献したり、又社家政所総長者神
       事奉行所のありしと、古史社伝社記に詳らかなり、中古兵乱等の
       為、太く衰微せるも今尚ほ古礼の存するものあり。
       明治三十年皇太子殿下(大正天皇)本社に行啓ありて幣帛を供進
       せらる。
       御神像及社殿は共に重要文化財なり。年中祭典行事の主なるもの
       は、歳旦祭をはじめ祈年新嘗等の大祭、中祭、小祭、遥拝式の外
       に毎年十二月一日献茶祭、五月八日例祭。
       因みに往昔命が御母后宮主河技比売(かえひめ)命に奉帛せられ
       し慣例に基づき、神輿旅所駐輦中六月五日当社附属講社員並に数
       万の人々が該旅所より県社への幣渡神事(ぼんてん渡御)に列す。
       かく私祭執行翌々日有名なる大幣神事執行の後ち神輿還幸あり。」
   住  所:京都府宇治市宇治山田1
  電話番号:0774−21−3041
  ひとこと:帝位を争って戦をする兄弟があれば、譲り合って悲劇を見る
       兄弟もあるようで。

       菟道稚郎子命も、そんな死ぬなんて極端なことをせずに、
      「私、実は、女だったのぉ」としらばっくれるとか、
      「私は、芸人になりたいのです」と修行の旅にでるとか、  
       なにかよい逃げ道はなかったものでしょうか。
       兄を立てるためとはいえ、自害とは、ちと極端です。

       さて、アンドレ=ジィドの「狭き門」を読んだことがありますか?

       簡単にストーリーを説明しますと、
       主人公の少年には、懇意にしている姉妹がいます。
       敬虔なクリスチャンで嗜み深い姉と、明るくて美人の妹です。
       主人公も敬虔なクリスチャンですので、当然姉娘に惹かれてゆく
       わけです。
       主人公は、牧師の修行かなんだかで姉妹から離れてしまうのです
       が、姉娘と文通は続けて、愛情を深めて行きます。

       現在なら、遠距離ってきついもんですが、この二人には距離は関
       係なかったようで、手紙のやりとりを交わしているうちに、益々
       惹かれ合う自分達があるのでした。

       そして、ある日、主人公は姉妹の元に帰ってくることになります。
       主人公と姉娘はわくわくどきどき、再会の日を待ちます。

       そして、再会・・・。予定の日が過ぎ、主人公はまた遠くへ帰っ
       て行き、その後しばらくして、姉娘から手紙が届きます。

      「会って見て、違う、と感じました。手紙だけのやりとりの方が二
       人の気持ちが清く寄り添える気がするのです」

       主人公は、そんな姉娘の言葉を、「敬虔な魂が云わせた言葉だ」
       と感じ、ますます姉娘に恋心を募らせるのでした。

       そして、また事件が起こります。
       なんと、妹娘も主人公に恋していたことに、姉娘は気付くのです。

       妹娘は明るい美人ですから、村の金持ちにずっと求婚されている
       のですが、よいお話であるにも関わらず妹娘はずっと断っていた
       のです。
       
       そんな時に、たまたま、姉妹を訪れてしまう主人公。
       そして、その主人公に、「妹と結ばれてください」と頼む姉娘。
       そして、当然、姉の意図に気付く妹。

       妹は自棄というか、自分さえいなければ、というか、まぁ、そん
       なわけで、あんなに嫌がってた金持ちと結婚してしまいます。

       そして、物語は、進んで、姉娘は誰とも結婚せず、修道院で、病
       気の人達に奉仕をしながら亡くなります。
       そして、主人公は、姉娘を生涯の恋人と決め、独身を貫いたので
       した。

       私は、この作品と、バルザックの「谷間の百合」、ホーソーンの
      「緋文字」を読んで、すっかりキリスト教文学が大嫌いになってし
       まいました。

      「狭き門」の主人公も姉娘も、「谷間の百合」の主人公もその思い
       人も、「緋文字」の主人公もその秘密の恋人も、作品の中では、
       肯定的に描かれています。

       が、これらの人物はあくまでも、「自分と神」しか見えていませ
       ん。
       縦の繋がりは見えているのだけれど、横の繋がりは、縦の繋がり
       に比べて、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜でもいいもの、とさ
       れています。
       自分の態度が誰にどんな思いをさせるか、ではなく、神の目にど
       う映るか、が大事なのです。

      「そういう奴ぁ、生活やめてまえ!」
       ・・・なんて。うふ♪

       つまり、ですね。
       菟道稚郎子命の態度は、宗教的態度に近い。
       儒教精神からいけば、兄を無視して、自分が帝位につくのは、悪
       なのかも知れません。確かに。

       しかしね。父の意志に反するのは善でしょうか?

       少なくとも、父はかわいいから、だけで菟道稚郎子命を皇太子に
       したわけじゃないでしょう。菟道稚郎子命の聡明さや、帝位に相
       応しい人格を見て選んでるんじゃないでしょうか?
       なんといっても日本の文化基盤を築いた応神天皇の判断ですから。

       そんな風に、「帝位に相応しくない」と判断された上に、弟に、
      「あなたのほうがお兄さんなんだから、あなたを差し置いて天皇に
       なれません」なんて言われた、仁徳天皇の立場ってのを、この、
       菟道稚郎子命は考えたことがあるんでしょうか?

       結果的に言えば、最後まで腰がひけて、帝位につかなかった、菟
       道稚郎子命よりも、立派に帝位について、仁徳天皇として歴史に
       名前を残した、兄のほうが天皇に相応しく。父・応神天皇の目は
       曇っていたのでしょう。

       しかし、兄も、「お父ちゃんは、弟のがかわいいんだろ」と拗ね
       て、頑なに帝位を固辞したことは、結果的に弟を思いつめさせ、
       自殺させたわけですから、兄ちゃんも、日本書紀が伝えるほど、
       人格者じゃない、と。まぁ、そういうことでしょう。

       彼等が、兄弟だけの依怙地な関係しか見えてなかった証拠に、こ
       んな逸話が日本書紀に記されています。

       ある漁師が、「天皇に」と、菟道稚郎子命に魚を献上したところ、
      「私は天皇じゃない。天皇は、大鷦鷯命だから、大鷦鷯命に魚を差
       し上げておくれ」
       と追い返します。

       その人は、それじゃ、ということで、大鷦鷯命のところへ行くの
       ですが、大鷦鷯命も
      「私は天皇じゃない。天皇は菟道稚郎子命だから以下略」
       と追い返すのです。

       仕方なく、菟道稚郎子命のところへいくと・・・以下大幅に略

       この人は、「二人の間を魚持って往復するのは、もうやだっ!!」
       と泣いたのだそうで、気の毒としか言いようがありません。

       融通がきかないというか。
       この一つの事をとってしても、この兄弟が自分達ではお互いに譲
       り合いをしているけれど、第三者については、譲ることを知らな
       いおたんちんであることがわかります。

      「私は天皇ではないが、あなたの気持ちは嬉しい。天皇ではないが、
       もらってもよいか?」と受け取ればよいのにねぇ。

       いや、漁師は気の毒なだけですけどね。
       二人の天皇候補の間を行き来しているうちに腐ってしまった魚が
       いかにも憐れで・・・。

       一寸の虫にも五分の魂ということもわからん奴は、天皇になるな!
       あ〜〜〜、もったいない。もったいない。

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