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天水分神社

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  祭  神:天羽槌稚命
  説  明:大淀町史によりますと
      「参道入口の石灯正面に『文化四丁卯歳四月吉日施主村中』左に『天照皇太神宮』
       右に『金比羅大権現』裏に『八大竜王宮』とある。庚申塚から急坂を150m
       ばかり登ると割拝殿に着く。左右両側の祭壇は祭典当日、東座西座の宮座講が
       別々にここへ神饌物をお供えする。本殿下に数基の石灯と狛犬がある。すでに
       風化して銘の不詳のもの、寛政十一年五月吉日や明治二十五年一月吉日などの
       銘がある。
       本殿は方四.二mの玉垣に囲まれ、桁行一.七m、梁行は向拝ともで一.九m
       素木の春日造りトタン葺である。昭和二十四年の改修。
       祭神は文明十一年(1479)の湯釜や嘉永四年(1851)の鰐口や数多く
       の棟札、石灯銘などに九頭神または八大龍王とあるが、明治の明細帳では天羽
       槌稚命となっている。棟札には、古くは寛文九年(1669)二月九日から、
       安永六年(1777)八月十七日、文化十二年(1815)二月六日など多数
       あり、改築・屋根替その他記録を残し、いずれにも八大龍王とある。
       右側の境内社は戎神社で事代主命をまつる。六〇センチに八〇センチの春日造
       りトタン葺で、昭和二十四年九月の改築。
       本社の祭典は十月十七日で宮座は十五日に営む。座講は祭神にちなんで東座八
       軒、西座八軒ずつで神饌物も八大龍王の八個を準備する。
       宮田は東座二〇〇坪、西座四〇〇坪で、千本搗はもちろん刈取・脱穀・調製も
       全部男子で行うほか、祭典終了と同時に次年度の鍵と太鼓の責任者を神官の抽
       選できめる習慣である。」
       とあります。
  住  所:奈良県吉野郡大淀町畑屋牛三枚
  電話番号:
  ひとこと:この神社には、
      「水分神社に、なぜ、天羽槌稚命が祀られてるのだろう?」
       という疑問から、参拝することになりました。

       しか〜し、地図に載ってない!!

      「大淀町畑屋」に鎮座する・・・ということはわかっていたのですが、畑屋って、
       結構広いんです(T_T)

       現地でうろうろしたらなんとかわかるかな?
       という甘い考えだったのですが・・・。
       それは、ほとほと甘い考えだったのでした(笑)。

       だって、山なんですもん!!

       ある程度街中だと、こんもりした森などが目印となって、神社の存在がわかる
       ことが多いです。

       しかし、ここは山。
       鎮守の森よりずっと広い広い山でございます。
       見当さえつきません(^^ゞ

       もし、道の駅の店員さんのご親切がなければ、絶対たどりつけなかったでしょ
       う。

       なにしろ、地元の方でさえ、
      「そんな神社あったっけ?水分さんって言えば、吉野にあるけど・・・」
       とおっしゃるくらい、あまり知られていない神社だったのです。

       が、道の駅で
      「畑屋に天水分神社があると聞いたのですが」
       と尋ねると、あちらこちらに問い合わせをしてくださり、

      「水分さんかどうかは知らないけど、畑屋には、ここにしか神社がない!」

       と太鼓判のうえ、道を教えてくださったのでした。
       ほんっと〜〜〜〜〜にっ!ありがとうございましたm(__)m

       しかも!
       この神社について、詳しい事情がわからなかっため、大淀町役場に問い合わせ
       たところ、「大淀町史」のコピーを即座に送ってくださいました。

       親切だ〜、本当に皆さんとっても親切だぁあああ。
       本当〜〜〜にっ、感謝ですm(__)m

       さて、前置きが長くなりました。

       この神社は、小高い山の山頂にありました。

       山の名前は定かではありませんが、神社から田圃が見下ろせる感じで、確かに、
       ここに水の神様を祀るのは道理に叶っているような気がしました。

       ただ、ちょっと残念なのは、「水分」と「天羽槌稚命」の関連は全く見えてこ
       ないのですよね・・・。

       というよりは、
      「本来のご祭神は八大龍王」
      「現在も、お祭は、八大龍王に捧げられるお祭である」

       ということがわかったわけで・・・。
       天羽槌稚命との関わりは、なお分からなくなったというところでしょうか(T_T)

       ただ、ふと思い出すのは、奈良市にある倭文神社の「蛇祭り」です。
       この神社の伝説では、人身御供を要求する蛇を英雄が退治し、「蛇塚」に埋め
       られたとされています。
       そして、この神社の御祭神は、「武羽槌雄命」。

       人身御供を要求する蛇というと思い出すのは、出雲の八俣の大蛇。
       もしかしたら、「八俣の大蛇」と「八大龍王」がごちゃ混ぜになったのかもし
       れません。

       いいえ。
       もしかしたら、もともと八大龍王と八俣の大蛇は同じものだったのかも。

       そして、八俣の大蛇を退治したのは、素盞鳴命とされていますが、この英雄も、
       実は、別名を「天羽槌稚命」と言ったのかも。

       ・・・残念ながら、天羽槌稚命と素盞鳴命を同一視する説は、私は見たことが
       ありません。

       天羽槌稚命は、別名「倭文神」。
       倭文織という織物の守り神的な存在でもあります。

       しかし、織物の守り神であることと、「大蛇退治」の伝承と関わりがあること。
       そして、記紀で、「星の悪神・香香背男」を退治したと書かれていること。

       その3点以外、天羽槌稚命の事蹟は、あまり知られていません。

       が、香香背男神のお膝元である大甕神社に参拝したとき、「香香背男神を退治
       した天羽槌稚命」が憎まれるどころか、慕われているような気配なのに驚きま
       した。

       素盞鳴命も天羽槌稚命も、
      「遠征先で愛されている」
      「怪物退治の英雄」
       という点で似てるんですよね。

       ただ、かなり相違する点もあります。

       それは、倭文神は織物の守り神なのに対し、素盞鳴命は織姫を死に追いやった
       ことがあるのです。

       素盞鳴命の織姫殺害事件(?)は有名ですよね。

       天照大神の機屋で稚姫が機織をしていると、素盞鳴命が天斑駒の生皮を剥いで
       機屋に放り込んだ。
       驚いた稚姫は梭を陰部に突き立てて死んでしまった。
       それに腹を立てた天照大神は、天岩戸に閉じこもり世界に闇が訪れた。
       しかし、思兼命などの深謀により、天照大神は岩戸から出てきて、世界に光が
       戻った。

       そういうお話です。
       ・・・と、考えてみると・・・。

       この物語は、稚姫の死と復活の物語と読めないでもありません。

       つまり、稚姫は一旦死に、太陽の女神・天照大神として復活した。

       そう受け取ることもできるわけです。

       とすると、素盞鳴命は、一介の織姫を天照大神という太陽神に進化させるため
       の役目を背負った男神という風に考えられないでもありません。

       とすると、天羽槌稚命と素盞鳴命の関係が、少し近くなったような気もするの
       ですが。

       まぁ、お遊びです(^^ゞ
       でも、もしそうだったら。
       出雲に遠征した素盞鳴命と、常陸に遠征した天羽槌稚命が同一人物だったら、
       今度は、「織姫を援護し、遠方まで怪物を退治しに遠征する男神」の意味とは、
       一体なんなのか。

       今度はそれが気にかかってきてしまいますね・・・。
       う〜む。エンドレス。

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