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阿沼美神社

anumami

味酒町の阿沼美神社

anumami

平田町の阿沼美神社






  祭  神:味耳命 大山積命
  説  明:愛媛県神社庁のサイトを転載します。
      「この地方の総鎮守として、往古勝山の峰(現在の城山)に鎮座していた。久米氏の氏神で、延喜式内名神大社で
       ある。
       その後、越智氏が国司となり、越智氏の氏神も祀る。
       慶長年間加藤嘉明により現在地に移遷される。
       味酒神社と呼ばれていたこともある。
       藩制時代、松山藩の崇敬社であった。旧県社。
       それぞれの時代の統治者の尊崇をうける。」
  住  所:愛媛県松山市味酒町3‐1‐1
  電話番号:
  ひとこと:松山市平田町983番地にも同名の神社があり、やはり式内社に比定されています。
       愛媛県神社庁によれば、ご祭神は大山祗神 月読神 高龗神 雷神の四柱で、ご由緒は、
      「延喜式神名帖(平安時代)に伊予国温泉郡阿沼美神名神大とある社と言われています。
       中世、河野氏が三島の神を合祀して阿沼美三島大明神と称え、一族の大内氏に祭事を司らした。
       河野氏滅亡後、三島新宮と称したが(鳥居の額にその名が見られます)、延文年間の石額、文禄年度の古棟札等
       により、その記載の社名に基づき阿沼美神社としました。」
       とあります。
       
       ご由緒書も転載しましょう。
      
      「一祭神 大山祇神 月読神 高龗神 雷神
      
       一 境内神社 稲荷神社 阿那波大明神社 多賀神社 十六皇子神社 貴布禰大明神社 神殿神社
       一由緒
       阿沼美神社伝旧記によりますと、「人皇七代孝霊天皇の第三皇子彦狭島尊が西南藩塀将軍として当国に来られてよ
       り国家総鎮主として累代御祈願所に定められた。」とあります。
       次に十二代景行天皇の皇子武国凝別(御村別の祖)、日本武尊の御子十城別王(別王の祖)の宮居された所と伝えられ
       ています。これは地名を大内・小字を宮内と言うことからも察せられます。別氏の子孫は阿沼美の神を奉斎して深
       く尊崇を尽くしました。 
       四十代天武天皇、四十五代聖武天皇、五十代桓武天皇、五十二代嵯峨天皇、七十五代崇徳院等は幣帛を奉られたり、
       勅願により宮殿再造営をされたそうです。
       別氏の没落後、河野氏は三島の神を併せ祀り「阿沼美三島大明神」と号して累代崇敬を尽くし、神領三百二十一町
       六反を寄進しています。
       河野通直は新たに社殿を築き、厳命して「新宮」の二字を加え「阿沼美三島新宮大明神」と称え、一族の塩見(潮
       見)山城主越智信泰を大宮司として祭事を掌らせました。
       ところが、天明二(一七八二)年本殿が大破して再建した際、屋根裏から文禄年度(一五九二~一五九五)の「阿沼美
       三島新宮大明神」と記した古棟板が発見されました。また、天保四(一八三四) 年九月六日には御幸橋の地下より 
      「阿沼美宮」と刻した延文年間(一三五六~一三六一)の石額を得ました。翌天保五年藩命を奉じて天朝に奏し「阿
       沼美神社」の旧号に復しました。
       延喜式神名帳(九二七年)に伊豫国温泉郡「阿沼美神明神大」また同臨時祭式に明神祭(二百八十五座)「阿沼美神社
       一座」(伊豫国)とあるのは当社と言われており、千年を超える由緒ある神社であります。」
       
       というわけで、どちらが式内社なのか、ちょっとよくわかんないですね。

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