shigoto

波宝神社

hahou




  祭  神:上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命 息長帯日賣命 
  説  明:境内案内板を転記します。
      「ここ白銀岳(612米)は、古代から神山として信仰を集めていたようである
       が、当神社は平安時代になって、天安二年(858)に官社となり、延長五年
       (927)の延喜式神名帳にしるされる古社である。
       上来大峯修験と深いかかわりを持ち、また境内には、明治初年まで『銀峯山神
       宮寺』があった。
       祭神は、住吉大神と神功皇后とされている。
       現本殿は、江戸時代、寛文十二年(1672)の再建で、左右二殿より成る。
       各一間社春日造り、桧皮葺、両殿前面を板壁などで連ね、一つづきの建物の
       ようになっている。
       春日造社殿をつなぐ他の例に比べて、当本殿の場合、縁廻りなど一体感の強
       い構成となり、連棟社殿形式の展開を示す遺構として、その資料的価値は高
       い。
       県内における十七世紀の得意な形式の神社本殿として重要である。」
  住  所:奈良県吉野郡西吉野村夜中176
  電話番号:
  ひとこと:この神社は、銀峯山のほぼ頂上に鎮座します。
       しかしなんでこんな山の上に、「波宝」。
       しかも海の神である住吉四神が祀られてるんでしょうね?
       
       神社の名前については、漢字はあまり意味がないことが多いです。
       まず「音」ありき。
       漢字は単なる当て字という……。
       
       とすれば、「はほう」という音に意味があるということになるのですが……。
      「はほう」という音から何を連想しますか?
       
       私が一番に思いついたのは、「はふり」という言葉でした。
       
      「はふり」は「放り」「葬り」「屠り」ですね。
      「祝」とも書きます。
       
       大辞林で「祝」を調べると、
      「神主・禰宜に従って祭祀をつかさどる神職。また広く神職の総称。はふりこ
       はふりべ」
       と説明されています。
       
       ちなみに、「葬る」は「1.死体を埋葬する。ほうむる。2.火葬にする」とあ
       ります。
       
       また、「屠る」は、「体などを切り散らす。ばらばらにする」ですね。
       
       ついでですから、漢辞海で「祝」を調べてみましょう。
       語義としては、「祭祀のときに、祭礼をとりしきり、祈りのことばを読みあ
       げる人。はふり」とあります。
       そしてその意味としては、「1.神にめでたいことばを告げる。いのる。2.め
       でたいことを口に出して言う」。
       つまり、祝うとは、思いを言葉に出すことが重要なようです。
      「寿ぎ」なのでしょう。
       
       ということはつまり、神職である「祝」さんは、死者を埋葬する役目を持っ
       ておられたのではないかと想像してもあながちはずれてはいないでしょう。
       
       そしてもし、「波宝(はほう」が、本来は「祝」なのであれば、この銀峯山
       は、死者の眠る山だったのかも……。
       
       それにしても私が少し面白いと思うのは、この山が大峯修験と深い関係を持
       つということ。
       そして、そこにあったお寺の名前が、「銀峯山寺」であることです。
       
       なにしろ、大峯修験の大本山といえば、「金峯山寺」ではありませんか?
       
       この山と大峯(吉野)山は、「金」「銀」の間柄ということでしょうか。
       
       金と銀は、太陽と月のような関係で語られることが多いものですが、この白
       銀岳と大峯(吉野)山の関係はどのようなものだったのでしょうか。
       
       標高は吉野山858M、銀岳612Mと、かなり違うのですが。
       
       しかし、多くの神話において、太陽は男神で、月は女神であることが多いも
       のですから、そのような関係だと考えれば、この高さの違いはちょうどいい
       かも(笑)
       
       しかもこの地名は「夜中」ですしね(笑)
       月は昼間には目立たないし。
       
       少し前まで……つまり戦前の国粋教育においては、魏志倭人伝に登場する卑
       弥呼は、神功皇后のことであるとされていたようです。
       邪馬台国を統べた卑弥呼は天照大神とも重なり、その連想から、神功皇后と
       天照大神にもつながりが見えてきます。
       
       実際、三韓への遠征に先だって、神功皇后が神がかりをしたとき、彼女に助
       言をし、また、遠征においても先導役をしたのは、撞賢木厳之御魂天疎向津
       媛命。
       天照大神の荒御魂であるとされます。
       
       ですから、神功皇后と太陽神の関係は深いようにも思うのですが……。
       
       私にはどうも、神功皇后は、「夜の女王」……月こそが相応しいような気が
       してなりません。
       
       この海からはほど遠い山の上に、海神たる住吉神が祀られた理由は、他なら
       ぬ、神功皇后にあるのではないか。
       
       そして彼女がこの地に祀られた理由とは、夜の女神、死の女神、祝の女神と
       いう一面を持つことによったのではないか……。
       
       妄想です。
       まったくの妄想です。
       
       が。
       何か妙にしっくりくる妄想でもあるのです。
              
       神功皇后+祝+夜中とくれば、阿豆那比および常夜を連想するべきなのかもし
       れませんが……。
       
       山をくだってふと振り返ると、銀峯山の中腹に朱の鳥居が見えました。
       
hahou

       
       それをみたとき、なぜだかわかりませんが、
      「月の峯」と言う言葉が、ポカンと頭に浮かびました。
       
       その峯合いから登る真っ白な月は、さぞかし「銀」の名にふさわしかろうと
       思ったのです。
       
       
                  ***後記***
       
       
       賀名生民俗資料館館長を務めておられたH氏から興味深いお話を教えていた
       だきました。
       そんまま転記しますね。
       
      「ここ西吉野の波宝神社にも、(神功皇后が)三韓からお帰りになった時にこ
       こを通られたときに、白昼であるのににわかに夜中のごとくくらくなった。
       そこで神に祈らせられるとようやく日が照りだし明るくなった。それで今ま
       で安場と言っていたのを夜中と呼ぶことになったという伝承が伝えられてい
       ます。」
       
       日高の小竹宮でおきた「常夜」と同じですね。
       神功皇后の伝承は土地によって特色がいろいろあるように思いますが、関西
       中南部では、暗闇と光の再生に関連づけられているようなのが興味深いです。

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