shigoto

厳島神社

itukushima

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大鳥居 干潮だったので真下まで行けました

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疱瘡神社

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弥山頂上の磐座

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弥山頂上から眺める島なみ






  祭  神:市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
  説  明:伊都岐島本から引用します。
      「福岡県玄海町鎮座宗像大社の御祭神は当社と同様で、同社の伝説に『湍津姫命』は豊前の宇佐
       に『市杵島姫命』は安芸に御遷座になったとある。
       当社の伝説は、最初の御鎮座が豊田郡瀬戸田島で、同地の志加田原であり、更にここから同郡
       大崎島に御遷りになり、奈加の村、加牟の峯に御遷座があり、同島の七浦を御巡行され、その
       所々に御宮を造営されたという。これを『七浦行者(ゆかりのみや)』といった。
       しかしっこも御神慮に適わなかったから、更に安芸の島々を御巡行になり、最後に大竹市大竹
       浦に到り給い、そこから厳島を御覧になって『あそここそ吉い所だ。永久に鎮まろう』と仰せ
       になり、始めて御鎮座地が定まったと伝えている。
       宗像伝説にいう安芸への御遷座は、宇佐から伊予に、そして瀬戸田ということだろう。」
  住  所:広島県廿日市市宮島町
  電話番号:0829-44-2020
  ひとこと:なんにせよ、この地は往古、宗像、そして伊予となんらかの関係があったのでしょうね。

       もう一つ気になるのは、市杵島姫の遷座の経緯が、天照大神の伊勢巡行ととても似ていること
       です。

       天照大神はもともと宮中にまつられていましたが、「ここにいるのはよくない」と、あちらこ
       ちらに遷座の末、「ここはよい波の寄せる場所だ」と伊勢を選ばれたのですよね。

       似ていませんか?

       とすれば、市杵島姫を奉祭して各地を遷座した女性はいなかったのでしょうか?

       安芸の厳島神社は平清盛が尊崇したことで知られていますが、広島市南区堀越にある「疱瘡神社」
       には少し気になる話が伝わります。

       清盛と常盤御前の娘である天女姫は若くして疫病にかかってしまったため、清盛は姫を宮島に参
       らせるのです。

       しかしその甲斐なく、姫が急逝したため、その遺骸を葬ることにしました。
       しかしどこに埋葬すればよいかわからないと神慮を問うと、「ここから東方七里に赤い旗の立っ
       ている場所があるからそこに埋葬せよ」と。
       そこでその地に姫を葬り、「疱瘡神社」を創建したのだとか。
       姫が亡くなった日は、治承三年(1179年)の2月29日と明確にわかっているようです。
       そして姫の享年は14歳。
       13歳なら、虚空蔵菩薩と関係があるんだけど、14歳なのが残念。

       ところで姫の母は常盤御前。
       ということは、源義経の異父妹ですね。
       義経の愛妾・静御前もまた、瘡に深く関連づけられています。
       そして彼女も各地を巡行する女性です。
       
       それになにより気になるのは、義経にも市杵島姫と同じ、「島渡」の伝説があること。
       室町時代に成立したお伽草紙に「御曹子島渡」という長編があります。
       御曹子とは義経のこと。
       蝦夷の島に棲む「かねひら大王」が所持する兵法書「大日の法」を得るため、鬼界が島やら女護
       の島やらをめぐり、蝦夷にたどりついた義経は、かねひら大王の娘と結婚し、彼女に兵法書を盗
       ませます。
       
       義経は当然、妻に「一緒に逃げよう」というんですが、彼女は拒み、逃げる方法を教えます。
       そして、無事逃げおおせたら、たらいに水をはって「あうん」と書いてみてほしい。そうすれば
       自分が生きているかどうかわかるから、と伝えました。
       
       しかし、義経が言われたとおりにすると、水の中から一滴の血が……。
       お姫様は殺されていたのですね。
       
       そしてこの姫の名が「朝日の天女」。
       天女姫と関係あるのかどうか、気になりません?

       淡島様や倭姫など、各地を周り、瘡と関連づけられた女性は少なくありませんが、の市杵島姫も
       やはり、天女御前の疱瘡と関わっていましたね。

       この日、時間があったので、御神体山であろう彌山に登拝しました。
       山頂は巨岩がゴロゴロで、圧倒される雰囲気。
       それに山頂から眺める瀬戸の島なみのきれいなことったら。

       この島を選んだ市杵島姫の眼は確かですね。

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