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川會神社

kawai_tatsunoko






  祭  神:底津綿津見命
  説  明:境内案内板を引用します
      「本社ハ景行天皇十二位年ノ草創ニシテ延喜式内名神小ノ社タリ。始ハ高瀬川ト木崎湖
       ヨリ出タル農具川トノ落合ニ鎮座在リシヲ以テ川會神社ト称シ後世亦、島ノ宮大明神
       トモ尊称シタリ仰々コノ地に底津綿津見命ヲ奉斎セルハ其御子穂高見命南安曇郡穂高
       神社式名神大ノ位ナル安曇宿祢が祖先敬慕ノ念ヨリ出テタルモノニシテ郡中僅ニ本社
       ノミ延喜式内ノ神社タルヲ思ヘバ其来由ノ深クシテ旦旧社タルヲ知ル可キナリ。特ニ
       平城天皇ノ大同年中坂上田村麿東夷征伐ノ砌コノ島ノ宮ニ陣シテ中房ノ鬼賊ヲ退治シ
       速ニ其効ヲ奏セルヲ喜ビ深ク神徳ヲ感銘シテ社殿ヲ回収シタリ。然ルニ天永元年高瀬
       川ノ激流水層ヲ増シ社地流没セルヲ以テ永久三年九月社ヲ河東ニ遷シテ崇敬絶ルコト
       ナカリシガ甲州ノ太守武田信玄兵ヲ信濃ヘ入ルルヤ本村亦戦闘ノ巷トナリテ為ニ社頭
       焼亡(後略)
       
       民話「泉小太郎」
       まだ山も川も海も固まらない時代のことです。信州安曇郡の有明の池は大きな湖でし
       た。泉小太郎は有明の竜神犀竜を母とし、高梨の竜神白竜王を父として鉢伏山で生ま
       れ、放光寺で成長しました。
       小太郎は快活ですばしっこく、山を渡り岩を登り、水に泳ぎ、水を潜り、健康そのも
       ので、また人情にも厚い少年でした。離れて暮らしていた母と再会したときのことで
       す。
       「私は諏訪大明神の化身です。氏子の繁栄を願っています。お前は私の背中に乗りな
       さい。そしてこの湖水を乗り割って水を涸らして陸地にしなさい。そうすれば人々は
       栄えるでありましょう」
       小太郎は母の言葉に従ってその背中に跨り満々と湛える水を押し退けて、山清路の滝
       を一気に乗りわたりました。水の勢いに乗り、下流の水内の久米路の岩山をも破って
       千曲川筋を越後まで開きました。それ以来、落合までを「犀川」と呼ぶようになりま
       した。満々と碧い水を湛えた大海原の水も次第に引いて、ついには広い陸地が生まれ
       たのです。これが今の安曇平です。
       その後、母神は父神を訪ね、ニ神は榊の横穴という岩穴にお隠れになりました。
       小太郎は有明の里・川合の地十日市場に来て館を建て、そこに住み富み栄えました。
       年月を経て小太郎は「私は千手観音の生まれ変わりである。この里が繁盛するよう護
       りましょう」と言って一族の者に別れを告げ、仏持の岩穴へ隠れました。その後十日
       市場の人々はお宮を建立し、泉小太郎を祭神として祀りました。これが川會神社です。
       泉小太郎の伝承は安曇平各地に残っていますが、中でも十日市場は縁の深い地として
       後世まで伝えられていくでしょう。」
  住  所:長野県北安曇郡池田町会染12079
  電話番号:
  ひとこと:この二つの逸話から考えれば、穂高見命と小泉小太郎は同一神なのかもしれません。
       穂高見命は安曇族の祖神とのことですから、安曇氏はその名の通り、安曇野の開拓者
       なんでしょう。
       
       彼らは「海人」とのことですから、あるいは朝鮮半島からやってきた弥生人ではなく、
       もっと昔に海を渡ってやってきた先住民かもしれません。
       
       しかしもしそうなら、その神をまつる神社で朝廷の坂上田村麿が戦勝を祈り、「霊験
       あらたか」としたっていうのは皮肉だなぁ。
       結局弥生系に侵略されちゃったというのならば。
       
       信濃近辺は、諏訪大社の摂社や末社が多かったのですが、諏訪大社の主たる建御名方
       は出雲から逃げてきた神。
       出雲の大国主は、弥生時代に先んじて、あるいは弥生時代の早い時期に渡来した弥生
       人だと思っているのですが、建御名方は大国主の息子ではなく、大国主に侵略されて
       逃げてきた人々の首長じゃないかなと考えています。
       つまり実際は、八束津水臣命の子ではないのかなと。
       
       北九州の安曇族。
       出雲の先住者。
       
       どんな人たちだったのでしょうね。

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