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國津比古命神社

kunitsuhiko_ehime






  祭  神:天照国照日子天火明櫛饒速日尊
  説  明:愛媛県神社庁説明を転載します。
      「当社は延喜式神名帳に所載の古社で、文徳天皇仁寿元年正六位上を授与。
       応神天皇の御宇に物部阿佐利が風早の国造に任じられて、饒速日命、宇麻志摩遅命を祭祀せられた。
       物部氏、風早氏は氏神として尊崇し、神田、神器を奉献され、社名は初め櫛玉饒速日命神社と称したが、阿佐利命
       を合祀して国津比古命神社と改めた。
       後に頭日八幡宮と改称したが、中御門天皇の享保年中に旧号に復した。
       天正年間に戦火のため社殿宝物を焼失したが、河野家が社殿を建築した。
       寛保元年に松平隠岐守は、毎年代官をして参拝する制度を定められた。」
       
       境内案内板を転載します。
      「國津比古命神社のいわれ
       主神 天照国彦天火明勝玉饒速日尊
       相殿 宇麻志麻治命 物部阿佐利命 誉田別尊(応神天皇)
       国津比古命神社は古墳の上にお祭りされています。昔、むかし風早の郷に魂を感じた人たちがいました。その人た
       ちはこの魂を国魂として素朴にお祭りしていました。
       やがて、日本の国をひとつにまとめるときがきました。大和朝廷は氏姓制度のなかに国造などを定めました。
       風早の郷には物部阿佐利という方があてられ、この方は、もともと風早にまつられていた国魂を敬い、なおかつ、
       自分の祖先である神様をも合わせておまつりし、櫛玉饒速日命神社と呼ばれるようになりました。後に、物部阿佐
       利命をいっしょにおまつりし、国津比古命神社と元の社名になりました。
       頭日八幡宮と呼ばれた時期もありましたが、享保年間(一七一六~一七三六)に、元の社名にもどりました。物部氏・
       風早氏の氏神として発展し、河野家の崇拝厚く、戦火により焼失した社殿が再建されました。
       寛保元年(一七四一)松山藩主の松平定裔は毎年代官を参拝させました。渇水のため、雨乞いの神事が行われ、その
       折、奉納された編額が現存しています。明治四二年、社格が県社になり、現在の拝殿内部は昭和四六年に改修され、
       昭和六二年に境内地拡張・斎館の整備などが行われました。」
  住  所:松山市八反地106番地107番地
  電話番号:
  ひとこと:律令国時代、このあたりの国造に物部氏が任じられていたなんて知らなかったし、伊予の国造が物部氏というのは、
       いまいちピンとこないというか……。
       
       んでもって、一般的に風早氏といえば、公家の家系なんですよね。
       藤原北家の支流ということになっており、伊予の風早氏とはどういった家柄なのかよくわかりません。
       
       いろいろ気になります。

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