shigoto

御坂神社

misaka






  祭  神:大物主神 八戸掛須御諸神 葦原志許男神
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「当神社は、播磨国風土記によると、人皇三十三代崇峻天皇(587~592)御宇元年戊甲九月九日の創建で、
       許曽社にして延喜式神名帳に【美囊郡(みなぎのごおり) 一座 御坂神社】とある。その延喜式内神社が当
       社とされている。延喜式内神社とは、延喜五年(905)から延長五年(927)に編纂された延喜式という
       神名帳に登録された神社で、三木市では唯一、一座当神社が登録されている。また当神社については、同風土
       記に『志染の里三坂にます神 八戸掛須御諸神は大物主神葦原志許男の国堅め給いし以後に天より三坂峯(み
       さかのみね)に下り給いき』とある。
       当社はもと旧志染荘中村(現志染町志染中)に社があったと伝えられているが、天正年間(1573~1592)
       に、羽柴秀吉が中国征伐の途次、三木の別所長治の居城釜山攻めを行い、その際、兵火にかかり焼失し、一旦
       は細目に遷座した後、慶長十年(1606)卯月三日に現在の地に社を遷したと由緒が伝えられている。しか
       し、古記録一切が烏有に帰し、今はその記録も見る事も出来ない。
       明治六年、十七代履中天皇が当神社にご参拝になり『この川の流れは大変美しい』と云われた事からこの地域
       を美囊郡と言うようになり、また、その時御召し上がりになった御食膳の上に《シジミ貝》が這い上がったと
       いうことから、この地を《しじみ》と云うようになったと伝えられている。履中天皇の御在位は皇紀1060~
       1065、現在より逆算すれば1600年前に鎮座なしたる当神社は、今、志染の里の氏神様として、また拓
       け行く、緑が丘、自由が丘、青山の産土神、鎮守様として神鎮まり坐すのである。」
  住  所:兵庫県三木市志染町御坂243番地
  電話番号:
  ひとこと:八戸掛須御諸神は聞き慣れない神名ですが、神社の御由緒には、「八戸掛須御諸神の御諸(みもろ)は御室(み
       むろ)であり、八戸掛須とは八方堅固な戸を掛ける意で、四方八方を堅固にかためた御室に鎮まります神の神
       名であって、この神も大国主の別名である」と説明されています。
       
       私が参拝した日、老人会か何かのウォーキングイベントもあったらしく、彼らが境内でお昼ご飯を食べていたの
       で、すごい人混みでした。

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