shigoto

野里住吉神社 一夜官女祭




2007年2月20日午後2時。
快晴

大阪の西端、西淀川区に鎮座する野里住吉神社において、
一夜官女祭が催行されました。

この御祭は、悲しい伝説に基づいています。

昔、この野里は、風水害と厄病の流行に苦しんでいました。
古老達は、村を救わんとの願いから、ある一つの決断をします。

毎年、白矢の打ち込まれた家の娘を神に捧げる。

人身御供の娘は毎年定められた日の深夜に、
唐櫃に入れられて神社境内に放置されたのです。

そして、七年目のこと。
村人たちがこの儀式の準備をしていると、一人の武士が訪れ、
なにごとが起きているのかと尋ねました。

話しを聞いた武士は怒りの表情を見せます。

「神は人を救うもので犠牲にするものではない」

そう喝破すると、自身が唐櫃に入ると言い出します。

村人達はどう考えたでしょうか。
しかし、結局は武士の言葉通りにすることにしました。
今年ばかりは娘の入っていない唐櫃を境内に運び込むと、
一晩、そこに放置したのです。

翌朝、村人達が神社に行くと、
唐櫃は壊れ、境内は血塗れとなっていました。

血を追いかけると、隣の申村まで続いており、
大きな狒々が絶命していたのでした。

武士の姿もどこにも見えませんでした。
村を救い、なんの礼も求めることなく姿を消したのです。

この後、大阪夏の陣で絶命した薄田隼人、別名・岩見重太郎こそが、
この武士の正体であったと伝えられています。


この伝承の真偽はわかりませんが、
野里一夜官女祭は、春の季語ともなっているということで、
この御祭が有名で伝統があるものであるということがわかります。

2時少し前に神社に到着。
境内では、すでに御祭の行列がスタンバイしています。
これから、当矢にあたったおうちに、一夜官女を迎えにいくんですね。

harae


これが、唐櫃
もし、私の家に白矢が立ったとしても、私は入れません(笑)

harae


この行列は、先頭から、

ちりん棒
当矢行司
祓え役
大幣
楽人
お膳
官女

幣物
奉幣役
後見役
宮司
総代
一般

となるのですが、神社から出発するときは、
官女・士・後見役の人達はまだ参列してません。

「お膳」の方は、二人。
右の方はお酒を持っておられます。
そして、左の方は・・・牛蒡の煮付けを持っておられたのでした。

「え〜っと、これはお酒のつまみですか?」
呑気なことを聞く私に、
「そうや!」
と断言する「お膳」役の方。

またまた・・・ノリがいいんだから(^^ゞ


さて、神社を出発した行列は一軒の家に到着しました。
家紋の入った垂れ幕が玄関に懸け回され
家の中には、今日の主役、「一夜官女」たちが正座しています。

harae

中では宮司さんによる修祓えの儀式が執り行われ、
官女たちは決別の盃を受けます。

「決別」というところに、このお祭の意味が見てとれます。

私達は、「お膳」の方が持っていた牛蒡のお下がりをいただきました。

harae


なぜ牛蒡なのでしょうか。
宮司さんの奥様に質問すると、
「牛蒡は匂いが強いので、魔除けになるんです」
と教えてくださいました。

さて、当矢の式(修祓えと決別の盃)が終わると、
一夜官女たちが、出てきました。

それぞれ後見人と士に扮した母親と父親が付き添います。

harae

官女たちはニコニコしながらも緊張を隠せない様子。
まさに、小貴婦人ですね。

一人の一夜官女の前に、一つずつ桶がつきます。
桶の中に入っているのは、
鯉・鮒・鯰・餅・酒・小豆・干し柿・豆腐・大根・菜種菜

昔、岩見重太郎が生贄の身代わりとなったとき、
一緒に神社に運ばれたのも、これらと同じ供物だったといわれます。

harae


桶の上に波の形をしたものが立っているのが見分けられますか?
筆記体の「m」を柔らかく書いたような形で紅白の帯が巻かれていますね。

これは、龍の体を表したものだそうです。
住吉の御祭神は、海神。
海神といえば、龍神ということで、
つまりこれは、縁起物なんだそうです。

一夜官女を勤めた女の子達は、祭りの後にこれを持ち帰り、
魔除けとするみたいです。

一夜官女を連れた一行が神社に戻ってきたのは、3時過ぎ。

harae

この後、本殿の中で御祭が始まるのです。

私達は見学客なので、本殿の外から見学したのですが、
御祭の次第は、

開扉、警蹕
献饌
官女昇殿
斎主祝詞奏上
幣帛供進・唐櫃司
奉幣使祈願詞奏上 後取
振幣行事 宮司、後取
神楽奉奏 二座
斎主玉串拝礼 後取
奉幣司玉串拝礼 後取
官女玉串拝礼 代行
当矢・年行司玉串拝礼
侍玉串拝礼
母親玉串拝礼
参列者玉串拝礼
官女退下
徹饌
斎主一拝
各退下


・・・一夜官女さんのご家族が、
式次第を書いたプリントを見せてくださったので、
それをそのまま写しましたが、
「後取」ってなんなんでしょ(^^ゞ

ちょっとよくわかりません。

御祭の伝承はとても悲しいものですが、
今の御祭はとても明るく賑やか。

俳句を趣味となさっている方達がたくさんこられていていて、
お互いに情報交換したり、

境内にいる地元の方は御祭の次第について詳しく教えてくださり、
あげくのはてに、宮司さんの奥さんに紹介してくださったり、

宮司さんは、御祭の後の疲れている時にもかかわらず、
私の質問に明るく答えてくださり、

この御祭が、そしてこの神社が、とても愛されていることを感じます。
生贄となった少女たちも、この幸福な時代を喜んでくれているのでしょう。

その昔、
この村が「泣き村」と呼ばれていた悲しい時代、
一夜官女として犠牲になった少女たちは、
神社本殿裏にある、「乙女塚」に祀られています。

harae


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